華麗なる一族に生まれがらも…苦難に別れを告げる劇的V 未勝利の23歳がジェット相手に大番狂わせ【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net
この勝利の後も2勝をマーク 聖地にも降り立った(右)(撮影:GettyImages)
歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。
【特別動画】「10年間で一番いいアプローチ」松山英樹が選ぶ2021年ベストショット
真夏の埼玉・鳩山CC。サドンデスプレーオフは、すでに3ホール目に持ち越されていた。「これを外したら、チャンスは2度とこない」。そう心に決めた、3メートルのウイニングパット。西川哲は、ゆっくりとアドレスに入った——。
有名芸能プロダクション社長の父・西川幸男氏(故人)と人気女優の五月みどり、兄は「新聞少年」という大ヒット曲を持つ紅白出場歌手・山田太郎という華麗なる芸能一家に生まれた西川だが、この瞬間に至るまでの道のりは、苦難に満ちたものだった。
1歳で両親が離婚。シングルプレーヤーだった父と兄に連れられ8歳でゴルフを始めた息子に、父は毎日2時間の打ち込みを課した。雨が降っても40度の熱があっても休むことは許されなかった。
その甲斐あって中学2年で初めて出場した日本ジュニアで3位に食い込む。ここで1学年上の伊澤利光と知り合い、後を追うように日体荏原高校に進学。1年下に丸山茂樹が入り当時最強の布陣が出来上がった。
X(Twitter)をフォローしよう
Follow @ssn_supersports
Follow @ssn_supersports