故障を克服した春の大一番 中嶋常幸からの大逆転劇を生んだ「なんとかパープレー」【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net
後に欧州シニア賞金王となる男の大逆転劇(撮影:GettyImages)
歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。
青木功の“タメ”は半端ない 最小限の動きで最大限のエネルギーを生む化け物だった【連続写真付きスイング解説】
海老原清治を悪夢のような出来事が襲ったのは、1985年の3月22日。期待に胸を膨らませて臨んだ開幕戦、静岡オープン(静岡CC浜岡C)の試合中だった。
「アイアンで打った時に(ボールの下の)木の根を打っちゃって、左の手首が外れちゃった」。
プロゴルファーにとっては命ともいえる左手首の脱臼というアクシデントともに予選落ち。病院で外れた手首を「はめてもらった」が、患部を石膏で固められ戦線離脱を余儀なくされた。
海老原にとって、勝負のシーズンだった。1970年にプロ入り後、15年目にして賞金ランク24位に入り初シードを獲得。晴れて臨んだシード1年目の出鼻を、いきなりくじかれてしまった。
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