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後の賞金女王が「食べ物が胃から出そうだった」 極度の緊張下でつかんだプロの称号【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

プロテストから9年後、女王の座を手にした(撮影:GettyImages)

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の数々の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

今年“1回目”のプロテスト合格者の顔と名前は分かりますか?

プロゴルファーの多くが、試合以外に大きな“勝負”を経験している。プロのライセンスを手にするためのプロテストがそれだ。「2度と経験したくない」と多くのプロが口をそろえる緊張感。1999年賞金女王の村口史子が、プロになるために通らなければならなかった“最初の勝負”を振り返る。

すでに1次が始まっている2021年度女子のプロテスト。2次を経て11月に最終テストが行われ、20位タイまでが合格し、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)会員となることができる。現在とはシステムが違うが、村口が合格したのは1990年春のプロテストだ。

「あれだけ緊張することは、その後もなかった」と、その独特な空気を、村口は今でも覚えている。高校卒業後、一般企業のOLとなったが、3か月で退職。グリップの握り方もろくに知らないうちからプロゴルファーを志した。郡司洋プロに弟子入りして千葉CC野田に入社。練習を重ねて1990年に合格し、晴れてプロとなった。5回目の挑戦だった。

師匠からは「(千葉CCには)5年しか置かない」と言われており、この年、入社して5年目。ギリギリ、最後のチャンスだった。

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