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「勝負弱い」イメージを払しょくした、静岡での鬼退治【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

同年の三菱ギャランでも同組対決 この試合は青木功が手にした

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

青木功のインパクト直前の形はまるでダスティン・ジョンソン!?【連続写真】

今回は勝負師・青木功との一騎打ちを制し、それまでのマイナスイメージを一気に払拭した、牧野裕のストーリー。

1992年のダイドードリンコ静岡オープン3日目は雨が降る悪コンディションの中、70にまとめた36歳の牧野裕がトータル11アンダーで単独首位。2打差の2位には青木功ら実力者4人が続いていた。最終日は静岡カントリー浜岡コース名物の強風が吹き荒れるコンディション。試合は大詰めに向かうにつれ、逃げる牧野を青木が追う、マッチレースの様相を呈していく。

実はそれまでの牧野には「ここ一番の勝負での詰めの甘さ」を指摘する声が多かった。その声は本人の耳にも届いていたという。「1981年にプロ入りして1983年のポカリスエット白竜湖オープンで優勝してから、2勝目まで8年かかりましたから。1勝目よりも2勝目が難しいとよく言われますが、それを地で行くような感じですね。しかもその間は、いろいろありましたからね」。

いろいろあった8年を、牧野に代わって振り返ってみる。1985年、東名古屋の日本オープンでは中嶋常幸、青木功との最終組で回り、優勝した中嶋に2打及ばず惜しくも2位。特に厳しい経験が積み重なったのは1987年のシーズン。ペプシ宇部、ブリヂストンオープン、大京オープンと3試合でプレーオフ負け。「1年で3回プレーオフ負けは、たぶん他にいないと思う」(牧野)。それから2年後の1989年も日本マッチプレー選手権で決勝に進出しながら、ジャンボ尾崎に3&2で苦杯をなめた。

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