
リトル・コーノ撃破で父も納得 3羽ガラスの1羽目誕生の瞬間【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net
3羽ガラスの1羽目誕生の瞬間だった(撮影:ALBA)
歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。
第14回は今も伝説として語り継がれる「1981年ジーンサラゼンジュンクラシック」最終日の大逆転劇にスポットを当ててみよう。主役は当時プロ入り2年目、弱冠24歳の湯原信光だ。
青木功のインパクト直前の形はまるでダスティン・ジョンソン!?【連続写真】
1981年の10月4日。栃木県のジュンクラシックカントリークラブで、そのドラマは起こった。大会の最終日、18ホールを前にして、役者は十分に揃っていた。
マスターズで大活躍を演じ「リトル・コーノ」の異名を取った河野高明が3日目に「69」をマークして5位から首位に浮上。1打差2位で、前年の「全米オープン」で帝王ジャック・ニクラウスとの死闘を演じ2位に入った青木功がピタリと追う。青木は、国内でも3年連続の賞金王に向けて快走していた。
さらに1打差で追うのが、1か月前に烏山城CCで行われた「関東オープン」でプロ初優勝を飾ったばかりの湯原だった。最終組は河野、青木の両ベテランに若い湯原が割って入る格好となった。
X(Twitter)をフォローしよう
Follow @ssn_supersports
Follow @ssn_supersports