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しながわシティは、打倒・王者の“最強の挑戦者”となれるか? 元日本代表のクラブGM岸本武志氏が語る、F1昇格までの苦悩と覚悟「容易ではないが、優勝を目指す」

2020シーズン、栃木シティフットボールクラブの傘下に入ったトルエーラ柏は、豊富な資金を元手に白方秀和や中村友亮、サカイ・ダニエル・ユウジら、名だたる選手を一気に補強。圧倒的な成績でF2リーグを制覇すると、全日本フットサル選手権大会ではバルドラール浦安や名古屋オーシャンズ、バサジィ大分、フウガドールすみだを下し、日本一に輝いた。

その翌週には、クラブの命運を左右するディビジョン1・2 入替戦が控えていた。しかしF1ライセンスの交付が認められず、試合前に次のシーズンもF2で戦うことが決定した。

しながわシティとして、チーム名とホームタウンを移転して戦った2021シーズンは、F2で再び優勝し、入替戦へと臨んだ。だがそこでは、ボアルース長野に逆転負け。気持ちを一新に戦った昨シーズン、“三度目の正直”でようやくF1昇格の悲願を叶えた。

絶対王者・名古屋の対抗馬として、どんな大型補強を敢行するのか──。

ストーブリーグの動向にフットサルファンの注目が集まったが、F1でプレー経験のある新加入選手は、黒本ギレルメと笠篤史の2人のみだった。

なぜ、しながわの選手獲得は最小限に留まったのか。GMを務める岸本武志氏にF1昇格までの3シーズンに渡る苦悩と、補強の狙いを聞いた。

取材=北健一郎
編集=舞野隼大

しながわにしかできないアプローチでFに旋風を

──前身のトルエーラ柏から数えて、岸本さんがこのクラブに関わって、何年目になりますか?

5年目ですね。栃木シティでJリーグ参入を目指している大栗崇司社長とは、サッカーを通じて縁があり「フットサルにも力を入れたい」とおっしゃっていたことをきっかけに、2019年に栃木シティのフットサル部門を設立して、Fリーグ参入を目指しました。県リーグから一つずつ上を目指すなか、当時のトルエーラ柏のクラブ運営が困難になっているということで、「助けてもらえないか」という話があり、我々がFリーグに参入したのが3シーズン前。そこから柏で1シーズン、ホームタウンを東京の品川区に移して、しながわシティとして戦った2シーズン目にF1に上がれました。本当に、やっとスタートラインに立てた状況ですね。

──栃木シティの時から規格外の戦力補強をされていました。それは岸本さんが中心になって進めていたのでしょうか?

そうですね。フットサルに関しては、すべて自分に任せてもらえるような環境で始まりました。長い時間をかけてクラブを作って昇格していくスタイルではなく、とにかく最短で結果を出すことに重きを置かれていたので、可能な範囲で必要な選手を補強しつつ、うまくバランスを取るというスタイルでした。

──県リーグにもかかわらず、ボラをはじめ、元Fリーガーがメンバーに名を連ねていて、驚いた人は多かったはずです。

シノ(篠崎隆樹)やレオ(横江怜)、イナくん(稲田祐介)、遠藤(晃夫)さんといった、僕と同世代かちょっと上の代表で関わった選手に来てもらっていましたね。助っ人の選手と当時、県リーグにいた選手とはマインドも含めて差があったのでまとめるのが難しく、1シーズン目で昇格はできなかったですけど、2シーズン目で関東リーグに上がれました。

それと同時に、柏としてF2に参入した時に「いきなりF1に上がろう」ということを目的にしたので、F1の選手にも声をかけさせてもらって、監督は岡山孝介さんに任せて、当時の環境で本当に素晴らしいチームを作ってもらいました。そのシーズン、僕らはノーマークだったということもあるでしょうけど、全日本選手権では優勝もでき、フットサル界にインパクトを与えることができたと思います。そういう思い切ったチームの作り方と、みんなが出した目に見える結果がうまく重なり、期待も込めて「もしかしたら名古屋オーシャンズに対抗できるかもしれない」という見られ方をされるようになったのかなと、当時はすごく感じました。

──全部が予定通りではなく、トルエーラ柏を引き継ぐという偶然も重なった。

そうですね。「シティグループ」としてフットサルのプロジェクトがスタートした当初は、トルエーラ柏を引き継ぐ話はなかったです。

──経営母体を移しながらモランゴ栃木、柏として戦い、Fリーグに参入しました。クラブを取り巻く変化について、岸本さんはどのように感じていましたか?

「Fリーグに新しい風を起こしてくれるんじゃないか」という期待感を持ってくださる人もいれば、「なんで急に入ってきたんだ」と思うフットサル界の関係者もいたと思います。好意的な意見だけでなく、批判を受けることもたくさんあります。ただ私たちは、リーグが定めるルールを守りながら、この舞台への参入を目指し、そして運やタイミングにも恵まれ、当初から描いていた形とは異なりますが、ここまで辿り着きました。

これまでもこれからも、フットサル界にとって価値のあるクラブを目指していますし、運営面を含め、F1を戦い抜ける体制づくりをさらに推し進めていきます。しながわシティにしかできないアプローチを通して、Fリーグに旋風を巻き起こしていきたいです。

F1昇格を二度絶たれ、苦しんだ3シーズン

──最短は何年で、F1への昇格を目指していましたか?

柏に参画した時は、1年でF2チャンピオンになって、昇格することを目指していました。

──事実、1年目にF2で優勝して昇格まではあと一歩だったと思います。

そうですね。F2で優勝して、選手権でも優勝して、その後に入替戦という流れでした。そのタイミングでF1ライセンス不交付と認定されてしまったので、もう1シーズンF2で戦うことになったんです。

──日本一になった2日後の3月9日にF1ライセンス不交付の発表がありました。

ちょうど決勝の日(3月7日)が日本フットサル連盟の理事会で、そこで最終的な「不交付」が決定し、すぐに連絡を受けました。その日は、監督にしか伝えられなかったです。普段、感情的にならない岡山監督もものすごくうなだれていましたね……。選手には急きょ、翌日にクラブの事務所へと集まってもらいました。そこで事情を伝えると、涙する選手もいました。

その次のシーズンは、チーム名とホームタウンを変更し、「しながわシティ」として戦って、初めての入替戦に臨みましたが、僕らの力不足で上がれませんでした。昨シーズンは大袈裟でもなく、「結果を出すか、なくなるか」という覚悟で監督、選手たちと戦ったシーズンでした。F2は試合数が少ないので「1試合でも引き分けてしまうと優勝できないかもしれない」というプレッシャーが常にありました。「今年でダメならもう引退する」という覚悟を持っていた選手もいたと思います。

──そうして昨シーズン、またF2で優勝して入替戦への出場権をつかみました。

入替戦は死闘ですね……。なにが起きるか本当にわからない。普段のリーグ戦やトレーニングマッチでなら、余裕を持って戦えたかもしれないですけど、あの空気感、あの環境、あの独特なプレッシャーのなか、選手たちが普段の能力を発揮できるか、ものすごく不安でした。長野は長野で、僕らとの入替戦を一度制しているので、ある意味自信もあったと思います。特に2戦目は、同じような構図でパワープレーを仕掛けられました。気が抜けなかったし、最後の最後までどうなるかわからない緊張感と不安がありました。終わった時には力が抜けたというか、喜び以上に緊張が途切れた感覚でした。監督、選手は僕以上に疲労困憊したと思います。やっと乗り越えられたな、と。苦しかった3年間でした。

──岡山監督はペスカドーラ町田やバルドラール浦安を率いていた時と同様に、クワトロを採用していて、昨シーズンはチアゴという大きな補強がありました。

監督がやりやすい環境を作ることが僕の仕事の一つです。一方で、自分も選手としてそれなりにキャリアを積んできた立場から見て、それまでのしながわには、相手の脅威になるプレーが少ない印象がありました。岡山監督が得意とするクワトロをベースに、相手のライン間や裏を取って多くのチャンスを作ってきましたが、特にF2のチームは対しながわ戦になるとずごく食らいついてくる。オールマンツーマンやベタ引きされた時に、なかなか打開できないと感じていました。

──勝ててはいるけども、脅威となるプレーが少なくなっていた。

はい。そこで前線で脅威を与える選手が必要になると感じたので、日本でのプレー経験があって、背負うだけでなく前を向いて勝負もできて、献身的にディフェンスもできるチアゴの獲得に動きました。クワトロにすぐ馴染めるかわからなかったですけど、[3-1]がベースになった時、彼の存在がチームにプラスになると期待していましたし、実際に昨シーズンのしながわにものすごく貢献してくれました。

──チアゴは全日本選手権前にチームを離れましたが、入替戦までの契約だったのでしょうか?

ブラジルは1月からプレシーズンが始まって、2月くらいから開幕というスケジュールなので、「早めにあっちへ合流したい」という意向だったので、双方合意で選手権は戦わないということになりました。我々としては今シーズンもいてもらうつもりでしたけど、ブラジルのカルロス・バルボーザという世界的なビッグクラブでプレーしたことがなかったので、彼のキャリアを優先して送り出しました。ブラジルの中堅クラブや、他のアジア圏のクラブであれば引き留めていましたけど、カルロス・バルボーザとなると僕も理解はできます。

彼は「もっとこうした方がいいんじゃないか?」とか「これはどうなんだ?」とクラブや監督に対して疑問を投げかけてくれました。本気でクラブを良くしようという気持ちでいて、人間的にも素晴らしかったです。名古屋さんのようにプレーにだけ専念できるという環境ではないことも理解してもらって、与えられた環境であれだけの結果を残したというのは、本当にプロフェッショナルでした。なにより、彼のそうした姿勢を選手たちが間近で見れたことが大きく、クラブの総合的な部分でも非常によくやってくれたと思います。

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