Fリーグで無双中、弱冠二十歳の新世代レフティ・山中翔斗とはいったい何者?憧れのクラブ、町田のエンブレムを胸に「俺がやるしかない!」
ペスカドーラの左利きアラと言えば──。
甲斐稜人は名古屋オーシャンズへ、原田快はスペインへ旅立った。クレパウジ・ヴィニシウスはピヴォのちフィクソを務め、篠崎隆樹は引退してずいぶん月日が流れた。
そして甲斐修侍は今シーズン、トップチームの監督に就任した。
ペスカドーラの左利きアラと言えば、今は断然、背番号29・山中翔斗である。
メッシ級テクニシャン山中翔斗も登場!
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それほどまでに今シーズンの彼の活躍は際立っている。
主力が入れ替わり、甲斐新監督の下で若手が躍動する新生ペスカドーラにあって、山中は19節終了時で10得点を記録。ABEMAが選ぶ「アベマ中盤戦MVP」に輝いた。
この弱冠二十歳の左利きへの注目度は、実はリーグ序盤戦から高く、ABEMAの中継で解説陣が名前を出す場面も多かった。特に稀代のドリブラー稲葉洸太郎氏は、かなり早い段階から推しており、それもあって「山中翔斗」を覚えた人も多いだろう。
序盤戦から好調をキープしてきた山中は、得点やアシストでゲームを動かす存在感を示し、6節と10節と17節では「アベマ週間ベスト5」にも選出された。
主力が抜けたチームをプレーオフ出場に手が届く好位置に押し上げた大きな原動力として、異論なしの中盤戦MVPと言っていいだろう。
日本を代表する左利きアラと言えば──。
近い将来、そこに名を連ねる選手になるはずの男のインタビューをお届けする。
※インタビューは1月13日に実施
インタビュー=本田好伸
編集=高田宗太郎
■メッシ級テクニシャン! 山中翔斗/ペスカドーラ町田
新生ペスカドーラは「俺がやるしかない!」
──まずは、ABEMAのFリーグ中盤戦のMVPに選出された感想を教えてください。
Twitterで知ったのですが、まさか選ばれると思っていなかったので、素直に嬉しかったです。本当に。
──節ごとのベスト5にも、3度選出されていますね?
見てます、見てます。ちゃんと確認しています。
──選手としては、モチベーションになる?
はい、なりますね。ちゃんと節ごとに選んでいただいている、そこに入るのは光栄なことなので、次の試合また頑張ろうとモチベーションが上がります。
──実際、今シーズンの山中選手の活躍は際立っています。振り返っていかかですか?
そうですね、昨シーズンは出場時間もそんなに長くなく、得点も2点で満足する結果ではなかったです。今シーズンになって昨シーズン主力だった選手が抜けて、「町田ヤバいんじゃないか?」と言われていましたけど、そこで「俺がやるしかない」という気持ちになって。オーシャンカップから自分の持ち味のドリブルやパス、シュートなどを出せたので、そこが自信につながってリーグ戦もそのままの勢いでいけたというイメージです。
──Fリーグデビューは昨シーズンでしたよね?
はい、そうですね。
──その昨シーズンの2得点から、今シーズンはここまで9得点(18節終了時)と飛躍しました。この変化のきっかけはなんでしょうか?
きっかけは、やっぱり昨シーズンとチームがガラッと変わったことですね。先ほども話しましたが、主力が抜けて周りからめちゃくちゃ言われて、という状況のなかで「俺がやるしかない!」とメンタルを切り替えました。同じ左利きのアラでは、(甲斐)稜人が怪我で長期離脱をしていて、当時はまだスペイン移籍前の(原田)快がいましたが「俺しかいない」という気持ちになれました。それが今につながっていると思います。
──いい若手が揃っていて競争も激しい町田の中で、それでも「俺しかいない」「俺がやってやる」と思えるようになったのはなぜ?
出場時間が増えたことが一番大きいです。監督が甲斐さんになって長く出させてもらって、そのなかで自分になにができるか考えた時に「得点に関わること」だと。そこが特徴だと思っているので、自分でいくこともそうですし、周りを使ってゴールにつなげる動きもそう。そこを、甲斐さんにも「こだわってやれ」「もっと自分の気持ちを出していいぞ」と言われて。自由に、ではないですが、周りを動かしながらやらせてもらっています。
──先日、成人式を迎えて二十歳。チームメイトは全員年上ですか?
石井遥斗が同学年、1学年下に中村心之佑で、それ以外はみんな年上です。
──その中で堂々たるパフォーマンスですね。ただ昨シーズンは、先ほど名前に挙がった年下の原田快選手がブレイクして一気に日本代表まで駆け上がっていきました。間近で見ていて焦りとかは?
そうですね、ちょっとは、焦りはありましたけど、快もいい選手なので。局面局面で自分よりできることが多かったり。ただ、快とは違う特徴を自分は持っているので、それほど強く焦るということはなかったですね。
ペスカのレジェンドを見て育ち、学び、共に戦う今
──改めて、山中選手のキャリアを教えてください。中学までは、FC町田ゼルビアでサッカーをメインに?
そうですね。中学3年間はゼルビアのジュニアユースでサッカーをやっていました。
──それで高校からペスカドーラ?
はい、ペスカドーラU-18に入りました。
──そこが分岐点ですね。フットサルに転向した経緯を教えてください。
もともと小学生に上がる前にペスカドーラのスクールに入っていて、小学校はサッカーとフットサルを両立してやっていました。中学に上がった時にゼルビアのセレクションに受かって、3年間はサッカーに専念しました。高校生になってゼルビアのユースに上がることができなくて、どうしようかな、部活よりはクラブチームに行きたいな、と悩んで。その時に、サッカーよりもフットサルがやりたい、と。
──それはなぜ?
1学年上に稜人がいたことも大きくて、彼はゼルビアユースに行きながらペスカドーラにも行っていたので、そういう道もありなのかなと。ただ、その時にはフットサルへの興味が強かったので、ペスカドーラU-18のセレクションに応募して受かって、高校からはしっかりフットサルを学んでいこうと。
──サッカーとの両立ではなく、フットサルに専念することを選んだ。
そうですね。中学3年生までは体も小さくて、走れなくて。挫折ではないですが、周りも身長が大きくてなにもできなかったんです。ただ当時ゼルビアのチームメイトからは「足元がある」と。「小さくてもテクニックの部分ではチーム1だ」と言われていたんです。それで「フットサルだったら」と。偏見かもしれないですけど、多少体が小さくてもやっていけるんじゃないか、なんとかテクニックで補えるんじゃないかと思って、フットサルをやろうと決めました。
──その時、誰かに相談したりは?
親にしました。「自分のやりたいようにやれ」と背中を押してくれたので、迷わずやれました。
──サッカーだとプロの道は、もちろん競争は激しいですが、道としてはイメージできますよね。でもフットサルは、Fリーガーでも他に仕事をしている選手も多いですし、給料をもらって競技に専念するという意味でのプロでやっていくイメージは抱きにくいと思います。転向した当時、その辺りはどう感じていましたか?
プロとして練習して試合してだけをやることが理想ですが、なかなかそうはいかないですよね。でも自分は、やりたいことをやるのが一番いいと思っていましたし、それにユースに入った時は、こんなにすぐトップに上がれるとは思っていませんでした。とにかくフットサルをやりたい、それが強かったですね。
──でも中学時代、フットサルは全く、ですよね。
全くやっていないです。
──それでもフットサルを選んだのは、甲斐稜人選手の存在や、小学生時代の体験が大きい?
そうですね。小学生のスクールの時は毎週のようにペスカドーラの試合を見に行っていて、金山(友紀)さんや(クレパウジ・)ヴィニシウス、原辰介選手などは、小さい頃から知っていました。その人たちがまだいる中で一緒にできたことはすごく大きいです。
──彼らは、小学生の「山中くん」にとっての憧れ?
そうですね。当時ペスカドーラのスクールは、直接トップ選手が教えてくれていたので、身近にいるコーチが週末にはリーグに出ているというのは嬉しかったですね。
──一番、印象的だったのは?
僕の中では甲斐さんですね。
──スクールで教わっていた?
いえ、教わってはいないです。ただ、僕が通っていた多摩校のスクールでワンデー大会に出た時に、成瀬校のコーチが甲斐さんで稜人もいたんです。直接指導をしてもらってはいなかったんですが、そういうつながりがあって、甲斐さんのプレーを見るようになりました。
──印象に残っている?
そうですね。同じ左利きというのも大きかったです。
──甲斐さんのプレーはすごい?
すごいっすね、はい。
──そうやって憧れてきた人が、高校生になった自分の監督になる。その時はどんな感じでした?
不思議な感じでしたね。憧れている選手がまさか自分の監督になると思っていなかったので。でも、すぐに慣れましたね(笑)。
──どんな監督でしたか?
メンタルコントロールが本当にうまい人だなという。ユースなので、うまくいかない時に悩んだり……。
──自意識が高かったり、ムラがあったり、まだ未成熟な年代ですよね。
それにフィジカルトレーニングが入ってくる年代でもあって。そこのモチベーションの上げ方は、本当に上手でしたね。心底やる気を出させてくれる言葉をかけてくれることもそうですし、一人ひとりに目をかけてくれるので、プレーしていてそこが一番大きかったです。
──技術的な指導は?
多いです。個人的に教わったこともかなりあります。同じ左利きですし、そこまでちゃんとフットサルをやっていなかったので、右も左も分からないなかで、ボールの持ち方や動き方をていねいに教えてもらいました。今でも教わることは多いです。
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