ビビりで英語力ゼロだった私でも、”2度目”のオールスターに。今度はDJとしてNBA ALL-STARに向かう高井智華のリアル【前編】

『NBA ALL-STAR』

「オールスター」の言葉通り、選ばれし人しか参加ができない大会である。
ドリブルやパスが得意な人、ダンクで魅せる人、また、当然ながら競技力の高い選手たちによる試合など、様々なコンテンツで彩られる。このオールスターは日本時間2月13日(金)〜15日(日)の3日間にかけて行われるが、通常の試合とはまた一味違った楽しみ方で、ある種の”ショー”のようにバスケ観戦を楽しめるのが特徴である。

ちなみにあなたは、このオールスターは、選手以外も”オールスター”であることをご存じだろうか。ダンサーもMCもDJも全て、シーズンで素晴らしいパフォーマンスをしている人だけが選抜され、この場所でパフォーマンスを披露できる。

このオールスターに、”2度”も選出された日本人女性がいる。

『高井智華(CHIKA TAKAI)』

なぜ彼女は2回もオールスターに選出されたのか。そしてなぜ今も輝き続けられるのか。そのルーツやアメリカのリアルを聞く。前編では、彼女がDJになるまでのキャリアや渡米のキッカケについて。

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英語力ゼロから、ダンサーとしてアメリカへ

__高井さんは今回NBAオールスターに”DJ”として、アジア人女性初として就任されますが、DJの前はダンサーと伺いました。

高井:2014年に渡米をして、2015年にアトランタ・ホークスのダンスチームに入れていただきました。そもそも英語もまともに喋れない私を、なぜホークスは雇ってくれたんだろう?って思うんですけど(笑)。オーディションに通ったと発表された時はとても嬉しかったですが、最初はみんなの動きに合わせるだけで必死でした。でも、ありがたいことに選んでいただいたので頑張ろうって練習したら『ルーキー・オブ・ザ・イヤー』をいただけたり、そのあと2年目には『ベテラン・オブ・ザ・イヤー』っていただいて。「2年目だけど、これはどういうことなんだろう?」と思いながらでした(笑)。

__その頃にダンサーとして”1度目”のオールスターを経験したわけですね。

高井:ホークスにはダンサーとして6シーズンいたんですが、最後の6年目はダンサーをやりながら、DJもやっていました。ただこの起用は、ダンサーではなくDJとしても活動していることをホークス側が知ったことがきっかけで、完全に"お試し"で、「どれだけできるか」を試されていたんだと思います。

アトランタ・ホークスのダンサー時代

ダンサーからオフィシャルDJへの転身

__ベタな質問ですが、なぜダンサーからDJになったんですか?

高井:そもそも私、大の音楽好きなんです。元々「ダンス」も、私の中では自分を表現する1つのツールなんですよね。メインは音楽で、ダンスを通して新しい曲を紹介したいとか、トレンドを紹介したいと思っていて。そういう意味ではダンサー時代から”DJ”だったかもしれません。
だからDJよりも音楽が詳しいようなダンサーだったんですよね。こだわりも強かったので、自分がどんなトラックで踊りたいかとかも考えるようになって、自分で音を繋いでみたりしていたのが根本にあるんです。

__高井さんがDJされている姿を拝見しましたが、確かに、DJしながら踊っていますもんね。納得です(笑)

高井:アメリカだとDJってそこら中にいるんですよ。誕生日会も結婚式もお店のセールも新しいレストランのオープニングの日も、どこでもDJを雇う文化があって。それでDJという仕事の需要を知って、自分も仕事にしてみたいって思ったんです。そこからショッピングモールとか地域のイベントとか、アトランタの街のいろんな場所でDJをしていたら、ホークスもそれを知ってくれて、「だったらチームでもやってみないか」って始まっていったんです。最初はホークスが実施する本当に小さなイベントからでしたね。

__アトランタはアメリカ国内でもヒップホップの有名な街ですし、特にDJの需要が高かったんじゃないですか。

高井:それもあると思いますね。それで、ホークスの最後のシーズンはダンサーとDJの兼務だったので、ダンサーのユニフォームを着て踊って、ハーフタイムはDJして、またダンサーに戻って……。と過ごしていたので「これは大変だ」って思っていました(笑)。ただ翌年に、たまたま今までDJをしていた方がPAアナウンサーになられたので、そのスポットに私が就任できてDJとしてのキャリアが始まった形です。まさか私が今もDJを続けていて、NBAオールスターのDJに、しかもアジア人女性で初めて就任できるなんて、当時は本当に夢にも思っていませんでしたから、本当に嬉しい気持ちです。

アトランタ・ホークスでDJとして活躍を始める

音楽を好きになったルーツ

__素朴な疑問ですが、なぜ高井さんはそこまで音楽が好きなのですか?ご両親の影響とかでしょうか?

高井:なんだろう……?(笑)。でも、おそらく姉の影響だと思います。私、13個上のお姉ちゃんがいるんですが、まぁ13も上なので、姉は多分ずっと妹が欲しかったんだと思うんですよね。だから私が生まれた瞬間からお姉ちゃんのおもちゃだったんですよ。こう、チュッチュされながら手を持って私を踊らせる、と言いますか(笑)。そういうトレーニングを0歳からさせられていたので、そこは大きいと思います。

__そうなんですね。お姉さんが高井さんをおもちゃにしている姿、想像できます(笑)

高井:両親が熱心な音楽好きとか、ずっと音楽を流している家ではなかったので、本当に姉の影響だと思います。私の時代って、TSUTAYAとかでCDをレンタルしてMDに入れて音楽を聴く時代だったんですが、もちろん私も最初はJ-POPを聞いていたんですよね。でも、姉が大学時代に海外の音楽を聞くようになっていって、それで私も洋楽に少しずつ興味を持っていったんです。

__高井さんが洋楽を聞き始めた当初は、どんな曲が好きでしたか?

高井:恥ずかしいですけど、Sean Paulの『GET BUSY』とか、DESTINY'S CHILDとか、特にビヨンセの曲とかは大好きでしたね。

__そこまでいくと、逆になんでダンスを始めたの?ってなりますね。

高井:元々は小学校1年生からモダンバレエをやっていたんですよ。ただ、モダンバレエとかコンテンポラリーとか、あんまりリズムとか音楽は関係ないダンスをやっていて。でも、中学のときにジャズダンスとかストリートダンスを初めて「音楽と動きがマッチするとこうなるんだ!」って知って、”音”を意識するようになったんです。そこからは、昔、姉におもちゃにされた経験からなのか、要はビートの強い音楽が凄く好きだってことに気がついて、ビートの強い音楽で踊りたい、自分を表現したいって気持ちが強くなっていったんです。

当時では考えられないほど、ダンサーやDJという職業を通してさまざまな人と出会ったと本人談

ビビりな私が、アメリカに渡米しようと決意した理由

__これもベタな質問ですが、なぜアメリカに行こうってなったんですか?

高井:私の中では、エンターテイメントの業界で仕事をしていくって決めた時に、その業界でベストな国に行きたいって思ったのが大きいです。そう考えた時に、やっぱりアメリカだなって思って。中でもヒップホップがメジャーで、日本人が少ない都市のアトランタに行きたいって決めました。LAとかNYが留学先としては選ばれやすいと思うんですが、あえて日本人が少ないところにチャレンジしたいとも思ってアトランタに。
ただ、私本当にビビりで。渡米する前は地元の埼玉県から出たことがない子だったので。

__そうなんですか?話を聞く限り、そうは思えないですけど……。

高井:正直、最初は「3ヶ月くらい行って帰ってこよう」くらいの気持ちでした(笑)。家族とか、ワンちゃんとか大好きだったし。だけど、そのタイミングで病気になって、1年くらい何もできなくなった時期があって。その経験を経て「3ヶ月なんてダメだ」って。「できる時にできる限りのことをしよう」って。それで片道切符でアメリカに行ったのが2014年でしたね。

__チャレンジできることの大切さを知ったわけですね。

高井:アトランタに行ったら行ったで全てが挑戦でした。英語は知っていても話せないし聞けないから、1年間語学学校に通いました。それにダンスも力を入れていたので、地元のローカルスタジオにも行ってました。ありがたいことに特待生制度でスカラシップ(奨学金)をもらって、毎日トレーニング三昧。1日5〜6時間くらいレッスンを受けて、かなり追い込まれましたけど、でもそこのコミュニティでできた仲間とか声をかけてくれた人たちから、NBAのダンスチームの存在を教えてもらったんですよね。

私はNBAは知っていたけど全然そこを見ていなかったので、スポーツの中にエンターテイメントがあるということに最初は驚きました。今は多分、どんどん盛んになっていると思いますけどね。当時の私は本当に知らなかったので、あのスタジオの繋がりでその存在を知って、興味を持ってホークスのオーディションを受けに行ったのが最初ですね。そこから、私はダンサーとして入ることができて、今となってはアリーナのDJとして音楽をやっています。そしてダンサーとしてもDJとしてもオールスターに選んでいただけて、本当に幸せです。

次回:
アジア人で女性DJという”マイノリティ”だからできることとは?高井智華が、アメリカで自分の理想を描くまで【後編】