レブロン、マジック、ジャバー…NBAの歴代ベスト“ドラフト1位チーム”を識者が選定!<DUNKSHOOT>

NBAの歴代ドラフト1位指名には、現役のレブロン(左)を筆頭に、名だたるスーパースターが名を連ねている。(C)Getty Images
 1946年に創設されたNBAは、翌47年からドラフト制度を開始させ、時代によってルールを変えながら現在に至っている。

 昨年7月までに計75回のドラフトが行なわれてきたが、なかでも毎年注目されるのが、その年のNo.1プレーヤーと目される「ドラフト1位選手」だ。今回『THE DIGEST』では、アメリカンスポーツに精通する識者に依頼し、NBAの歴代ベスト“ドラ1チーム”を選んでもらった。

【ポイントガード】
マジック・ジョンソン

1959年8月14日生。206cm・98kg
1979年ドラフト1位
キャリアスタッツ:906試合、平均19.5点、7.2リバウンド、11.2アシスト

 1965年まで、NBAのドラフトにはテリトリアル・ピック(地域指名)という制度があった。リーグ全体の人気を高めるため、出身地・出身校などが本拠地にゆかりのある選手を優先的に指名できるものである。

 そのため65年以前のドラフトは1位より前に数人が指名されている場合があったので、今回の選定は66年以降を対象とする。ただ、いずれにしても、1位指名で最高のPGがマジックであるのは変わりない。

 身長206cmとビッグマン級の体格ながら、天才的なパスセンスによってミシガン州大を79年のNCAAトーナメント制覇に導くと、同年のドラフト1位でロサンゼルス・レイカーズに入団。1年目からチームの中核を担っただけでなく、優勝の原動力となりファイナルMVPに輝いた。

 その後もノールックパスなど魅せるプレーで“ショータイム・レイカーズ”を牽引し、レギュラーシーズンとファイナルのMVPを3回ずつ受賞。HIVウイルス感染により31歳で引退(その後1年のみ復帰)したので通算1万141アシストは歴代6位にとどまっているが、平均11.2本は堂々の1位に君臨している。
 【シューティングガード】
アレン・アイバーソン

1975年6月7日生。183cm・75kg
1996年ドラフト1位
キャリアスタッツ:914試合、平均26.7点、3.7リバウンド、6.2アシスト

 かつてのNBAはビッグマン主体のバスケットボールを展開していたこともあり、ドラフト1位で指名されるのは長身のパワーフォワード/センターの選手が多かった。79年のマジックを最後にガードの1位指名は長らく絶えていたが、96年に17年ぶりのガードの選手として、ジョージタウン大のアイバーソンがフィラデルフィア・76ersから指名された。

 身長183cmは76年のジョン・ルーカス(191cm)を下回る、最も背の低いナンバーワンピックだった。だがそのようなハンディキャップをものともせず、持ち前の敏捷さとドリブルスキル、そして不屈の闘志によって得点を量産。1年目は平均23.5点をあげて新人王、PGからSGへ移った3年目の1998−99シーズンに初めて得点王となると、以後3回(計4回)タイトルを獲得した。

 2001年には平均31.1点、2.51スティールと両部門でリーグ1位、さらにシクサーズをファイナルまで導いてMVPに選出された。平均出場時間で7回もリーグ1位になったように、小柄な体格からは想像もつかないほどの体力の持ち主でもあった。
 【スモールフォワード】
レブロン・ジェームズ

1984年12月30日生。206cm・113kh
2003年ドラフト1位
キャリアスタッツ:1354試合、平均27.1点、7.5リバウンド、7.4アシスト

 NBAのドラフト史上、最初に高校生で1位指名されたのは01年のクワミ・ブラウン。2人目が03年、セントビンセント・セントメリー高校のレブロン・ジェームズだった。

 高校時代から未来のスーパースターと話題をさらい、それが過大評価でなかったことを、クリーブランド・キャバリアーズに入団した1年目から証明。平均20.9点とそれまでの高卒選手の記録を軽々と破り新人王を受賞すると、5年目の07−08シーズンには30.0点で得点王になった。

 翌年からの5年間で4度リーグのMVPに輝き、マイアミ・ヒート移籍後の12、13年に2連覇を達成。15年にキャブズへ復帰し、翌16年に球団初の栄冠をもたらすと、20年にはレイカーズでPGを務めてリーグ最多の10.2アシスト、3球団で頂点を極める偉業を成し遂げた。

 通算得点は史上3位、早ければ来季にもカリーム・アブドゥル・ジャバーのNBA記録を塗り替えるだろう。“GOAT(史上最高の選手)”かどうかは議論の余地があっても、最高のドラフト1位選手であるのは間違いない。
 【パワーフォワード】
ティム・ダンカン

1976年4月25日生。211cm・113kg
キャリアスタッツ:1392試合、平均19.0点、10.8リバウンド、3.0アシスト

 90年代には、有力選手は4年間大学に通わず、アーリーエントリーしてドラフトに臨むのが通例になっていた。ウェイクフォレスト大のダンカンも、2年生時ですでに1位指名候補に挙がる存在だった。だが、学業優先の姿勢を貫き、大学で4年を過ごしたのち、97年ドラフト1位でサンアントニオ・スパーズに入団した。

 その時点でもう完成された選手であり、平均21.1点、11.9リバウンド、2.51ブロックの成績で新人王に選ばれた。以後8年連続で平均20点・10リバウンド・2ブロックと無類の安定感を誇り、2002、03年に2年連続でシーズンMVP。スパーズを5度の優勝に導き、3度のファイナルMVPを手にした。

 性格もプレースタイルも派手さとは無縁で「退屈な選手」と謗りを受けたこともあったが、「玄人受けする選手」という形容の方が的を射ている。前述のように、かつて1位指名は大半がPF/センターだったので、ほかにもエルビン・ヘイズやクリス・ウェバー、現役のアンソニー・デイビス(ロサンゼルス・レイカーズ)ら多くの名選手がいる。
 【センター】
カリーム・アブドゥル・ジャバー

1947年4月16日生。218cm・102kg
1969年ドラフト1位
キャリアスタッツ:1560試合、平均24.6点、11.2リバウンド、3.6アシスト

 レブロンが登場するまで、最高の1位指名選手の座はジャバーで揺るがなかった。高校時代、そして大学のUCLAでも常に彼の率いるチームは敗北とほとんど無縁。プロでも同様で、69年のドラフト1位でミルウォーキー・バックスに入団すると、前年は27勝しかできなかったチームは56勝へ躍進。翌71年には王座に就き、自身もシーズンMVPとファイナルMVPをW受賞した。

 本名はルー・アルシンダーで、71年オフにイスラム教に由来する名前に改名。最初の7年間はすべて平均27点&14リバウンド以上、75−76シーズンからレイカーズでプレーし、80年までに史上最多となる6度のMVPに輝いた。

 80年代中盤に入ってからは緩やかに成績が下がっていったが、大きな故障もなく20年間プレーし続け、史上最多の通算3万8387点を記録。得意技のスカイフックは、当時のNBAの代名詞とも言える知名度があり、また武術の師匠でもあったブルース・リーの映画で敵役を演じるなど、俳優としての活動でも足跡を残した。
 【シックスマン】
アキーム・オラジュワン

1963年1月21日生。213cm・116kg
1984年ドラフト1位
キャリアスタッツ:1238試合、平均21.8点、11.1リバウンド、2.5アシスト

 ここまで登場した選手は、同期生にコビー・ブライアントやスティーブ・ナッシュがいるアイバーソン以外は、皆その年の指名選手でナンバーワンの実績を残した。

 しかしヒューストン・ロケッツで活躍したオラジュワンの場合は、自身も史上有数の大選手であるにもかかわらず、84年のドラフト同期生にもっとすごい選手がいる。3位でシカゴ・ブルズに入団したマイケル・ジョーダンだ。

 ロケッツもドラフト前からジョーダンを高く評価しており、コインフリップ(コイントス)で1位指名権を獲得できれば地元ヒューストン大のスターだったオラジュワンを、2位ならジョーダンを指名するつもりだった。前年にドラフト1位で獲得した先発センターのラルフ・サンプソンを、ジョーダンとトレードしようとの案もあったようだ。

 結果は幸か不幸か1位指名権を獲得したロケッツが、予定通りにオラジュワンを指名。ジョーダンが一時的に引退していた94年、オラジュワンはMVPに輝く活躍でロケッツを初の王座に導き、翌95年も2連覇を果たしたのだから、1位指名が失敗だったわけではない。単にそれを上回る大成功のチャンスを逃したということである。

文●出野哲也

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