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慶大躍進の一翼を担ったボーダーレスのアナリスト部隊――慶大助監督・竹内大助の知られざる野球人生【第4章】

慶応からソフトバンクに2位指名で入団した正木。彼もまたアナリストのデータを活用して結果を残したひとりだった。写真:滝川敏之
IT(情報技術)の進化により、野球のデータ分析も新しいフェーズに突入している。スピードガンによる球速表示から、いまや次世代の計測機器によりボールの回転数や変化量までもが数値化できる時代になった。また同時に、その数値を野球にフィードバックできる人材も必要とされている。

慶大野球部で助監督を務めた竹内大助は、そうした時代の流れを敏感に受け止め、前任者が起こしたムーブメントを、チームのカルチャーに昇華させようとしてきた。

第4話では、竹内がその起ち上げに尽力したアナリスト部門について触れていこう。

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竹内が助監督在任中、意欲的に取り組んだ仕事の一つに、データ分析部門の確立と進化がある。

社会人野球では、「アナリスト」と呼ばれるデータを扱う専門職を置いているチームが多い。所属するトヨタ自動車にも当然のようにあった。竹内も現役時代にいろいろ学ぶことが多かったという。

その経験から、「こういう野球へのアプローチの仕方が、今後は必要になってくる」と、選手たちに伝えていきたかった。

幸い、慶大にはデータ活用の土壌があった。
前任の林卓史助監督(現・朝日大准教授)が、ボールの回転や伸び、変化の特徴といった計測データに基づく投球分析のスペシャリストで、現在もその分野に関する研究論文の執筆を行っている。

林は在任中、「Rapsodo(ラプソード)」という、投球や打球のボールの軌跡や角度、回転といったものを測定出来る機器(携帯式弾道測定器)をチームに導入した。このラプソードによって、投手はこれまでのスピードガンによる球速に加え、投球速度やボールの回転数、変化球の変化量なども数値化できるようになった。

竹内と同じように主に投手部門を任されていた林は、そこで計測された各投手の数値を一覧表にし、合宿所やグラウンドといった選手の目に付くところに貼り出した。それは、これまで「キレがいい」とか「伸びている」といった感覚的な表現で伝えていた言葉の数字的な裏付けであり、いわば“見える化”だった。

選手たちは自分の投げているボールの特徴、傾向、そこから導き出される長所、短所といったエピデンスが明確に出てくるわけで、おのずと練習メニューはそれに基づいたものになっていく。

竹内が助監督に就任した2019年。秋のシーズンから東京六大学が神宮球場に設置された高性能弾道測定器「トラックマン」の活用を開始。リーグ戦における各チーム、各選手の測定データを、リアルタイムで、パソコン上の作業により共有できるようになった。

これを機に竹内は、林が種を蒔いた“見える化”から、もう一歩進めた形でのデータ活用に着手していく。

林助監督時代のデータ活用術は、それ自体は非常に革新的ではあったが、組織として考えると盲点もあった。その分析のノウハウは林の持つ知識に依拠するところが大きい。つまり「林という“職人”にしか出来ない」という、いわば属人的なものだった。

竹内はそれを一過性のブームに終わらせず、担当者が変わっても継続できる、慶大野球部のカルチャーにしていきたかった。

バトンを受けた竹内が、自分の知識で、林と同じ属人的なスタイルで着手しても、竹内がいる間はそれでやっていけるが、次の助監督がどんな思考、野球観を持った人物かわからないうえに、そもそも助監督というポスト自体が今後も常にあるとは限らない。それではせっかく蒔いた種が枯れてしまう。

一方で、部員というのは毎年多少の増減はあっても、入れ替わりながら常にある一定数が在籍している。それなら部員たちで林がやっていたようなデータ分析、データ活用を担っていくことが出来れば、これはチームにとって大きな財産になるのではないか、と考えたのがきっかけだった。

そして、竹内のなかに、もうひとつフレームを大きくしたアイデアが湧き上がっていた。

「今はSNSが活発に使われる時代で、野球に関しても、専門家ではない人たちが自由に発信をしています。そういう人材が、大学全体を探せば、きっといるはずだと思ったんです。必ずしも野球の経験者でなくてもいい。

何か特別なITスキルを持っていたり、この分野に強い思い入れがあったりという人が、たくさんいるはず。だったら、部員内で選出するよりも、外から探してしまったほうが、より適した人材が見つかるんじゃないか、と」 マネージャーと、SNSを使って情報発信。リクルートを始めようと打ち合わせをしていた矢先、一人の高校生から問い合わせの電話が入る。2020年の年明けのことだ。

「選手ではなく、データ分析などのスタッフとして入部することは出来るのですか?」

連絡してきたのは、現在、チームのアナリストを務める佐々木勇哉(慶大2年)だった。指定校推薦で4月からの入学が決まっていて、「大学ではスポーツの分析系をやりたい」という希望があるという。いわゆる飛び込み。コネもなく、野球部の組織も何も知らずに門を叩いてきた。

竹内は「これは願ってもないチャンス」と思った。

聞けば、水泳の競技経験があり、野球は小学校の頃にやっていたが、高校では野球部に所属していたわけではない。今後、スポーツに関わっていくとしたら、マネージャーかトレーナーかアナリストか。そのなかで、よりプレーヤーに近いところで競技に携わりたいという思いから、アナリストを選択したという。

ただ、野球部一本だったわけではなく、体育会で、自分が好きな競技やプレー経験がある競技を候補にリサーチしていた。最終的にラグビーか野球に絞り、両方の練習を見学した。

ラグビーは競技的にもそうしたデータ分析が進んでいて、慶大でもアナリスト部門がすでに設立され、システムやスタッフが確立されていた。一方、野球部にはまだそうしたシステムはなく、これから着手していこうという段階だった。竹内は、佐々木に言った。
「アナリストとしてのスキルを磨きたいのであれば、ラグビーに行ったほうがいい。ただ、野球部には現状そういう組織がなくて、これから作り上げていくことになるので、その思いを汲んでくれて一緒に頑張りたいというのであれば、ぜひ野球部に来てほしい。うち(野球部)でやるメリットは、ゼロから何かを作る仕事に携われること。そこはラグビー部にはない野球部の強みかもしれない」

佐々木は、「どうせやるなら、ゼロからやったほうが面白いんじゃないか」と思ったという。大学4年間で何をやりたいのかと考えた時に、分析に関するマニアックな知識よりも、大所帯のチームで、自分のやることが勝利に直結する、影響を与えられるというところに挑戦していきたい、実際にプレーする選手たちと勝ち負けを共有したい、という思いが強かった。

採用面接は堀井哲也監督と竹内の2人で行った。

もし入部が決まれば、この部門の第1号ということになる。竹内は、「本人の意欲、やる気は大前提として、インテグリティ(高潔性)のようなところまで求めました」と言う。しかし佐々木は、そんな不安のまったくない好青年だった。

堀井もまた、佐々木に本格的な野球経験がないことを、まったくネガティブな材料として捉えていなかった。むしろ、「これからはそういうプレーヤー出身者以外の人材が必要になる」と考えていた。こうした専門職のスタッフは、チームのトップにいる人物がどれくらい理解があるかで立場がまったく変わってくる。佐々木もそこを少なからず不安に感じていたが、堀井の思考の柔軟性に逆に驚かされた。

こうしてアナリスト部門を先導する人材として、佐々木の入部が決まる。 最初の1年間、竹内は佐々木にシンプルな指示を出した。「なるべくグラウンドに降りる時間を増やしてほしい」というものだ。

言葉通り、佐々木は具体的なデータに手を付けるよりも、とりあえずグラウンドに出て、練習を見たり、選手と話をすることを心掛けた。

「アナリストにいちばん重要なのはコミュニケーション能力だよ」と竹内はよく口にした。

佐々木はそれを常に意識して選手たちと接した。選手のなかでも、データリテラシーには個人差がある。いくらアナリストの言っていることが正しくても、その選手との間に信頼関係がなければ、データは活かしきれない。そのためにコミュニケーション能力が必要となるのだ。そこは単なるセイバーオタクとは一線を画す。竹内はチーム内SEを求めていたわけではない。

「グラウンドにいれば、選手も僕を認識してくれるでしょうし、そこで多少なりとも信頼とかが芽生えてくれれば、と思っていました。やっぱり普段グラウンドにない人間に話をされても、選手だってなかなか聞いてはくれないと思うんです」

佐々木は言う。また、グラウンドにいれば、選手個々の性格や気性だけでなく、リーグ戦期間中のチームの動きもある程度理解することが出来る。企業が新入社員に行うOJT(職場内研修)に通じるところがある。

アナリスト班としての具体的な仕事は、まず、リーグ戦中は4年生の部員を中心に構成されたデータ班のサポート。もともとシーズン中は、メンバー外の学生たちでデータ班が組織されている。対戦する5チームの各データについては、既存のデータ班が作り上げてきたシステムがあり、そこに試合ごとに更新される新しいデータをインプットしていけば、内容的には事足りるものになっていた。
ただ、これまでデータ班が担っていたのは相手チームの分析。一方、自チームの分析というのは、人員不足もあって、どうしても手薄になっていた。そこを佐々木たちを中心としたアナリスト班に任せることで、もっと充実させたかった。

ラプソードについても、まだチームとして使い切るところまでいっていない。リーグ戦は各試合、神宮球場に設置されたトラックマンからデータを収集することが出来る。とはいえ、入手するデータはいわば数字の羅列であり、それを選手が見やすい形に落とし込むところまでは人員を割けずにいた。

そこで、神宮球場のトラックマンから取得したトラッキングデータや、自分たちで収集している統計的なデータを、選手全員が理解しやすい形にビジュアル化して伝達する作業に、アナリスト班が中心になって取り組んだ。

竹内は目指したビジョンを次のように語る。

「今までも数字は取っていたけど、それをデータに変換し切れていなかったんです。変化球の変化量を数字で言われても、なかなか頭でイメージできないでしょう。まずはそれを、データとして見られるようにしたい。

同時に、選手たちに、そのデータを読み解く力を育てていかなくてはなりません。それを指導者からの働きかけではなく、アナリストが中心になって、選手たち主体でデータ分析ができるようになるところまで作り上げて、そのデータ分析によってチームの意思決定が行なわれたり、行動変容が起こるようなアプローチをしてほしいんです」 佐々木も2年生になった昨年から、試合前のミーティングなどで選手を前に説明する機会が増えた。竹内はいつも、「事実だけを伝えてくれ」と言っていた。感覚や見た目というのは、監督や自分たちが専門家としてやる作業であり、あくまで数字から出て来たものを簡潔に伝えてくれたらいい、と。

それをもとに、選手、アナリスト、そして竹内が議論する。投手であれば配球の傾向や、球種の割合、それぞれの効果的な使い方といったことを明確に数値化。ピッチングのプランニング、ゲームプランニングをする段階までシステム化してきたのが、4冠に迫った昨年の慶大だった。

「私たちが目で見て感じていることがあって、上がってくるデータを見たら“あぁやっぱりな”というのが現時点では多いです。感覚で得ている情報と数値が一致しているわけで、そこに説得力が生まれます。納得が8か9。驚きが1くらいの割合になるのが理想ではないでしょうか。

その驚き、オッと思うようなことが一つ二つあると、見た目で気付かなかったその投手の魅力に気付いたり、選手自身が気付いていなかった能力を発見出来たり、そういうことからまた成長のチャンスもあると思いますから」

竹内は言う。選手もデータがない状況だと感覚ベースでやるしかないので、選手の感覚による主観的なイメージと、やはり感覚ベースで話すコーチの議論になると、どこまで行っても平行線を辿るだけ。そこにデータという客観的な指標があることにより、例えばストレートが伸びているのか、タレているのかという判断一つでも、「タレてきたように感じた」と言うのと、「データ的に数値がこうだからタレているよと」というのでは説得力も全然違ってくる。

アナリストの組織作りについても、佐々木と一緒にゼロから取り組んできた。

現在のアナリスト班は、昨年まで3人。同学年の羽島大貴も、佐々木と同じくプレーヤー経験はない。もう一人は、前主将の福井章吾の妹・福井みなみ(1年)。この3人で分析作業を請け負っていた。
4月の入学予定者のなかに、2人、アナリスト班としての入部希望者がいるという。1人は福井と同じ女子マネ出身。この部門においては、もはや未経験者もジェンダーの壁もないようだ。もう1人は高校まで選手としてプレーしていた。

「プレーヤーの目線が入ってくるのはありがたいです。今まではいなかったので、また違った視点が生まれたらいいと思います。どちらに偏るのもよくないので」

佐々木は言う。竹内からは、「卒業するまでに、アナリスト部門を今後どういう組織にするのか、理想の形を考えるように」と宿題をもらっている。佐々木のなかには、今は「対戦相手」「自チーム」で活動が分離しているが、いずれは「アナリスト戦略分析室」のような名称を付けて一つの組織にして、両部門のデータを統一、整理したいという構想がある。

さらに構想は膨らむ。

竹内と佐々木でよく話していたことがあった。毎年、部員のなかに3、4年生になって学生スタッフに転向する者が何人かいる。彼らにグラウンドでのサポートやマネージャー業務だけでなく、アナリストという選択肢はないものだろうか、と。

分析というのは、機械化といっても手作業も多く、単純に人数は力になる。また、そうやって人材を埋もれさせることなくチームに関わらせることが出来れば、それはチームの活性化にも繋がる。「プロ野球のアナリストの方々から見たら、その程度のことしかやってないのかと思われるかもしれないし、IT産業の専門家からしたらまだまだ全然活用しているうちに入らないのかもしれませんが、慶應大学の野球部にとっては大きな一歩だと思っています」

竹内は少しだけ誇らしげにそう言う。

「こういうことを、属人的な能力で終わらせたくなかったというのが、まず出発点でした。個人ではなく、組織に組み込んでいきたい。そういう意味では、林さんが前任の助監督だったからこそ作り上げられたものだし、“2世代のプロジェクト”と言うことも出来ますね。

また次にポストに就く方が、まったく別のフィールドで新しいことをやっていかれるのか、今あるものを成熟させていくのか、そこはもう僕にはわからないことなので、OBとして応援させていただくだけです。ただ、学生たちに落としてきたものは、繋がっていくでしょうから、そこはしっかりと任期のギリギリまで手を付けさせていただきました」

3年間の任期を終えて昨年末に退任した竹内。決まっていたこととはいえ、後ろ髪を引かれる思いはなかったのだろうか?
竹内は、「それは現役を退いた時と同じで、いつ辞めたとしても思うんじゃないですかね。1年引っ張ったら、1年後にそう思うでしょうし」と笑う。

「まあ本心を言えば、アナリストの部門はまだ成長段階なので、もうちょっと見ておきたいという気持ちはありました。それと、3年間やってきて、今度の新4年生が入学した時に一緒に入ってきたので、卒業するまでワンサイクル見届けたいなという気持ちも。でも、3年というサイクルで切っていることによって、学生たちは必ず2人の助監督と一緒に野球をすることになります。これはすごく良いことだと思うんです。

良くも悪くも多感な時期に、いろんな大人と関わったほうがいい。まして今はこのコロナ禍で、人と出会うチャンスが減っている社会状況なので、なおさらそういう身近にいる助監督のような立場の人が変わっていくことで、いろんな感覚を持った人と話す、議論をする機会が生まれる。そういう経験は学生時代にしておいたほうがいいですから」

昨年の4年生が、竹内が就任した時に前任の林とのギャップに戸惑ったように、3年生以下の部員たちは、竹内と新しい助監督のギャップに戸惑うことがあるのかもしれない。それもまた、彼らにとっては良い経験だと竹内は思っている。

———第5章へ続く———

取材・文●矢崎良一

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