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ジンクスはあるのか?「2年目」に明暗分かれた過去のルーキーたち<SLUGGER>

今や球界を代表するスラッガー村上(左)は、1年目も2年目も凄かった。一方、松坂世代の一人・木佐貫は2年目に苦しんだ。写真:山崎賢人、産経新聞社
栗林良吏(広島)、牧秀悟(DeNA)、宮城大弥(オリックス)、伊藤大海(日本ハム)、中野拓夢(阪神)、伊藤将司(阪神)、佐藤輝明(阪神)……。2021年はルーキーが躍動したシーズンだった。

今年、彼らは「2年目のジンクス」に挑むことになる。ジンクスにはまって不振や故障で停滞を余儀なくされた選手、逆にジンクスをはねのけた選手……ここで改めて過去の例を振り返ってみよう。

10代で新人王に輝き、翌年はさらに飛躍を遂げたのが村上宗隆(ヤクルト)だ。

2019年、村上は高卒2年目以内の選手では歴代最多の96打点、最多タイの36本塁打を記録して文句なしの新人王に選ばれた。20年は本塁打こそ28本にとどまったが、前年に.231だった打率は.307と劇的に上昇、セ・リーグ記録の184を喫した三振の割合を10%近くも改善されるなど打者として一回りも二回りも成長を遂げ、最高出塁率のタイトルを獲得。打者としての総合力を示すOPS(出塁率+長打率)でも1.012でリーグトップに立った。 新人王受賞翌年にタイトルを獲得した選手は他にもいる。

05年に史上2人目のシーズン200安打を達成し、最多安打と首位打者を授賞して新人王に選ばれた青木宣親(ヤクルト)は翌年、2年連続最多安打に加えて盗塁王も獲得。本塁打を前年から10本も上積み(13本)させた。

2度にわたるドラフト指名拒否を経て、09年に念願かなって巨人入りした長野久義は、リーグ3連覇達成直後のチームでセンターとライトをこなし、即戦力野手の評判に違わぬ活躍。2年目の11年は統一球導入もあり、多くの有力打者が成績を落とす中、首位打者獲得に加えてリーグトップのOPS.847を記録してベストナインとゴールデン・グラブ賞を授賞した。

則本昂大(楽天)はプロ1年目の13年、新人ながら開幕投手に抜擢され、リーグ2位の15勝。楽天創設以来初の日本一に大きく貢献した。2年目もブレーキはかからず、リーグで唯一投球回と奪三振が200を超え、タイトルを手にした。 牧田和久(当時西武)と平良海馬(西武)は、いずれも新人王獲得翌年に新たな役割にうまく順応した。

牧田はプロ1年目の11年、6月に先発からブルペンへ回り、22セーブを挙げて新人王を受賞。迎えた2年目は、シーズンを通して先発を担いチーム最多の13勝を挙げた。

平良はプロ3年目の20年に一軍定着し、リーグ最多の54試合に登板して33ホールドで新人王受賞。翌21年は当途中でクローザーに定着してパ・リーグ史上初の20ホールド&20セーブを達成した。39試合連続無失点の日本記録も樹立し、防御率は0.90。東京五輪代表にも選ばれるなど、日本球界屈指のリリーバーへ台頭した。

一方で、「2年目のジンクス」にどっぷりとはまった選手もいる。

正田樹(日本ハム)は高卒4年目の02年に先発陣の一角へ加わり、9勝11敗、防御率3.45の成績で新人王を授賞。翌03年もローテーションを守りはしたが、リーグ最多の15敗(5勝)を喫し、防御率5.78と成績が大幅に悪化した。 02年にセ・リーグで新人王に輝いたのが木佐貫洋(巨人)で、快速球を武器に7完投2完封、防御率3.34、リーグ2位の180奪三振を記録した。ところが、2年目は序盤から打ち込まれ、8月からは抑えに配置転換。前年同様に奪三振能力は優れていたが、防御率5.03と苦しんだ。

小松聖(オリックス)はプロ2年目の08年、先発とブルペンを行き来しながらリーグ3位の15勝を挙げて負け数はわずか3、防御率2.51の好成績を残して新人王を受賞。翌09年はWBC日本代表にも選ばれた。WBC優勝後にチームへ合流し、開幕投手も務めたが、最初の4先発でいずれも自責点6以上と滅多打ち。立て直せないまま、防御率は7.09に跳ね上がった。

故障に泣かされた選手もいる。

06年にリーグ3位の防御率を記録した八木智哉(日本ハム)、18年に球団生え抜き最多(当時)の18本塁打を放った田中和基(楽天)、同じく18年にプロ1年目でチーム最多11勝を挙げた東克樹(DeNA)はいずれも新人王を獲得した翌年に故障に苦しんだ。

新人王は受賞していないものの、19年に11試合連続無失点のルーキー記録を樹立し、同年のプレミア12日本代表にも選ばれた甲斐野央(ソフトバンク)も、2年目は右ヒジを痛めて一軍登板なしに終わっている。

文●藤原彬

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