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「歴史の裏主人公」「マネーボールの申し子」――自ら命を絶ったジェレミー・ジアンビの短くも波乱に満ちたキャリア<SLUGGER>

抜群の選球眼と豪快なキャラクターが売りだった現役時代のジェレミー。00~01年は兄ジェイソンとプレーした。(C)GETTY IMAGES
 ジェレミー・ジアンビが他界した。両親の自宅で、拳銃で自分の胸を撃ち抜いた。47歳だった。

 2000年にアメリカン・リーグMVPを受賞した兄ジェイソンと瓜二つの風貌で、豪放な一面は兄以上だったジェレミー。彼は、あるひとつのプレーでMLBの歴史に名を残している。それも、“裏主人公”として、だ。

 2001年のア・リーグ地区シリーズでヤンキースのデレク・ジーターが見せた一世一代の好プレーである“ザ・フリップ”で、ホームで憤死したのが他でもないジェレミーだったのだ。

 アスレティックスが2勝0敗と王手をかけて臨んだ第3戦、0対0で迎えた7回裏に事件は起きた。2死一塁の場面で、テレンス・ロングが一塁線を破るヒット。打球を処理したライトのシェーン・スペンサーの送球がカットオフマンの頭を大きく超え、ボールが転々とする。一塁走者のジェレミーが生還してアスレティックスに貴重な先制点……かと思いきや、どこからともなく現れたジーターが一塁とホーム間でボールをつかみ、素早く捕手にトスしてジェレミーをアウトにしたのだ。 絶好のチャンスを逸したアスレティックスは、その試合に敗れると、続く第4戦、第5戦も落としてシリーズにも敗退。余裕でホームインできると高をくくっていたのか、スライディングしようとしなかったジェレミーは、1986年のワールドシリーズでサヨナラトンネルを喫したビル・バックナーと同じく、MLB史上最大級の“しくじり選手”として記憶されるようになった。

 また、ジェレミーは、“マネーボールの申し子”のひとりでもあった。「貧乏球団」アスレティックスを率いるビリー・ビーンの快進撃の秘密を描いてベストセラーとなり、今に続くセイバーメトリクス革命の口を切った『マネーボール』で、ジェレミーは「市場が見落とした価値」、すなわち出塁率に秀でた選手として登場する。
  メジャー通算打率.263に対して出塁率は.377。たしかに、ジェレミーの選球眼は一流だった。ただ、結局は兄のような成功は収められなかった。メジャー6年間で4球団に在籍したが、どのチームでも準レギュラーにとどまった。

 守備と走塁が大の苦手(ジェレミーが外野で打球を追う姿を『マネーボール』は「狂犬から逃げまどう郵便配達人のよう」と形容した)だった点もあるが、なによりも素行面の問題がチームを渡り歩く原因となった。

 兄と同じようにステロイドも使っていただけでなく、マリファナ不法所持で逮捕されるなど、トラブルも絶えなかった。映画版『マネーボール』では、チームの敗戦後にもかかわらず、クラブハウスで大音量の音楽を流して呑気に踊るジェレミーに、ビリー・ビーンが激怒する場面がある。
  引退後はプライベートレッスンで子どもたちに打撃を指導していたというジェレミー。2年前に掲載された米メディア『The Athletic』の記事によると、子どもの保護者から“ザ・フリップ”について尋ねられた時は「それも俺の人生の一部だ。いいことであれ悪いことであれね」と言っていたという。

 一方、同じ記事内で、01年当時にアスレティックスの指揮を執っていたアート・ハウは“ザ・フリップ”について、次にように語っている。

「数年前、テレビであのプレーを見たが、私は今でも彼はセーフだったと思う。ジェレミーが気の毒だよ。本当にね。彼はこのことでひどい仕打ちを受けた。実にアンフェアだ。心からそう思う」

 豪放な人間の多くがそうであるように、ジェレミーも豪快な外面の下に繊細な一面を持っていたようだ。元チームメイトのバリー・ジーとは訃報に際し、こんなコメントを残している。

「彼は、とても繊細な心を持った、信じられないほど愛情深い人間だった。心の奥深くで何かと闘っていたことは、僕たちチームメイトには明らかだった」

構成●SLUGGER編集部

 

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