パ・リーグ”冬の時代”を支えた名作『あぶさん』。実在のスターの個性と魅力を克明に描いた「事実を下敷きにした面白さ」<SLUGGER>
1月10日、漫画家の水島新司氏が肺炎のため亡くなった。82歳だった。
60年以上も漫画を描き続けた水島氏には多くの作品がある。代表作にはよく『ドカベン』が挙げられるが、僕は『あぶさん』が一番好きだった。
『あぶさん』は、南海(のちに福岡ソフトバンク)ホークスの呑べえの代打男・景浦安武(かげうら・やすたけ)の野球人生を描いた作品だ。1973年から2014年まで約41年にわたって続いた史上最長のスポーツ漫画で、単行本は全107巻、総発行部数は2200万部を突破している。
タイトルはヨーロッパ由来の酒アブサン(景浦が初登場時に飲んでいる)から取ったもので、主人公・景浦のニックネームでもある。大酒飲みで1試合にフル出場する体力がない代わり、代打ですさまじい集中力を発揮し、特大のホームランをかっ飛ばすのが景浦という男だった。
40代後半で3年連続三冠王を獲得したり、60歳で史上初の打率4割を達成するなど、連載後半は現実離れした展開になってしまったが、代打に徹していた頃の『あぶさん』はそのリアルさも魅力だった。
二軍落ちすることもあったし、頻繁にトレード話も持ち上がった。30代後半の頃には不振もあって引退勧告を受け、結局自由契約になってしまったこともある(その後、入団テストを受けて南海にもう一度入団する)。引退か現役続行かで悩む景浦の姿には、プロ野球の世界のシビアさがリアルに描かれていた。
景浦のキャラクター設定にも、細部にわたってモチーフがあった。姓は戦前に阪神で活躍した景浦将から。打撃フォームは通算465本塁打を放った元近鉄の主砲・土井正博を模倣している。愛用の1mバット“物干し竿”は、“初代ミスター・タイガース”藤村富美男へのオマージュであり、酒豪ぶりは元近鉄の永淵洋三をモデルとしている。事実を下敷きにしているからこそ、キャラクターも真に迫っていた。
不人気だった頃のパ・リーグ、しかも弱かった時代のホークスを舞台にしていたことも魅力で、歴史的にも意義深い作品だった。
当時の球界は、とにかく巨人一強。巨人戦は毎試合ゴールデンタイムで中継される一方、パ・リーグの試合はスポーツニュースでもほとんど取り上げられなかった。山田久志や福本豊(ともに阪急)、東尾修(西武)、村田兆治(ロッテ)、鈴木啓示(近鉄)といった実力派の選手が大勢いながら、彼らの姿をお茶の間で見る機会はほとんどなかった。
それだけに、『あぶさん』で実在のパ・リーグの選手たちが登場した意味は大きかった。山田、東尾、鈴木は景浦の良きライバルだったし、村田はトミー・ジョン手術から“復帰登板”で、景浦と名勝負を演じたこともある。まるで決闘のような景浦と名投手たちの真剣勝負の緊迫感は、漫画の域を超えていた。
そんなライバルたちが、景浦の義父が経営する場末の居酒屋「大虎」にやってきて、酒を傾けつつ語り合うのも定番の展開だった。3000安打男の張本勲(日本ハム)はバットのこだわりを得意げに語り、作中で景浦とタイトル争いを演じた落合博満(ロッテ)は、“オレ流”らしく「最後はオレが本塁打王だ」と豪語してばからない。景浦の意外な好走塁がクローズアップされた際には、福本をはじめ、蓑田浩二(阪急)、島田誠、高代延博(ともに日本ハム)とパのスピードスターが大挙詰めかけてきたこともある。
パ・リーグの選手たちの個性や魅力が実に生き生きと描写されていて、いつも誰が出てくるか楽しみだった。それは読者だけでなく選手たちも同様だったようで、当時のパ・リーグには「『あぶさん』に出演したら一人前」という認識があったと言われる。
現役時代は南海で遊撃手として活躍し、漫画にも登場したことがある小川史ソフトバンク三軍監督は、水島氏の死去に際して「パ・リーグの広報部長というイメージでした」とコメントを寄せている。『あぶさん』だけを指したものではないが、パ・リーグが人気獲得に奮闘していた時代にあって、この作品の影響がいかに大きかったを表している。
野球漫画といえば、どちらかと言うと高校野球が主流で、プロ野球を題材にした作品は少ない印象がある。特に今は肖像権の問題もあって、実在の選手が登場するのは難しい。そのこともまた、『あぶさん』を不朽の名作たらしめている。水島氏は亡くなってしまったが、彼の描いた作品はこれからも残り続ける。今後も多くの野球ファンに『あぶさん』を楽しんでほしいと願ってやまない。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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