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2021年の大谷翔平はベーブ・ルースを超えてMLB史上最高の選手になったのか?<SLUGGER>

投げては9勝&130イニング、打ってはリーグ3位の46本塁打と“二刀流”の活躍でMVPとなった大谷(写真)。ルース以上の存在になれたのか?(C)Getty Images
「史上最高の選手」はベーブ・ルースで決まりでも、「史上最高のシーズンを送った選手」となれば話は違う。そして2021年の大谷翔平は、“史上最高論争”に入るだけの輝きを見せていたとの評価は少なくない。果たして大谷は“野球の神様”を超えたのか。歴史的価値という文脈で考察してみよう。

何十年もの間、極めて簡単な答えを持つ、極めて簡単な問いがあった。

「ベースボール史上最も偉大な選手は誰か?」

もちろん、答えはベーブ・ルースだ。なぜなら、ルースは二人の選手が一つになったような存在だったからだ。彼はレッドソックスでエリート投手としてデビューし、そこから史上最強のスラッガーとなった。ウィリー・メイズやバリー・ボンズでさえ比較にならない。なぜなら、打者が投手として活躍することも、投手が一流打者になることもなかったからだ。

しかし21年になって、この問題は一気にややこしくなった。人知を超えた才能を誇る大谷翔平(エンジェルス)のおかげだ。もちろん、大谷を「史上最も偉大な選手」として検討するのはまだ早すぎる。ルースは40歳までプレーしたが、大谷はこの夏に27歳になったばかりだ。
だが、違った形で問いを投げかけることはまったく理に適っている。「大谷の2021年は史上最高のシーズンか?」というものだ。これなら、彼はかなり近いところまでくる。

確かに、今季の大谷は歴史上でもかなり稀有なシーズンを送っている。ルースが本格的な二刀流選手としてプレーしたのは2年だけ。1918年は20試合に登板(19試合に先発)し、382打席に立った。悪名高いトレードでヤンキースに移籍する直前、ボストンでの最後のシーズンとなった19年は、17試合に登板(15先発)して打席数は543だった。一方で大谷は、ルースのこの2年間よりも「二刀流度」が高い。9月3日には20先発と600打席をクリアし、ともに18~19年のルースを上回っている。

この2年間で、ルースは投手としても野手としても優秀な成績を残した。しかし、どちらのシーズンもWAR(Baseball Reference版)でリーグトップを記録することはなかった。18年はリーグ4位の7.0、19年は9.9でウォルター・ジョンソンに次いで2位だった。ヤンキースに移ったルースはフルタイムの打者となり、その後の12年間で10回WARリーグトップに立った。その間、年間2試合以上投げたことは一度もなかった。
一方の大谷はどうだろうか。リーグ3位の46本塁打を放ち、26盗塁、OPS.965を記録。投げては9勝2敗、防御率3.18、130.1イニングで156三振を奪っている。WAR9.1はMLBトップの数字で、最も近いザック・ウィーラー(フィリーズ)でも7.7でしかない。これらの成績から一目瞭然であるように、今シーズンの大谷はMLBのほかのどの選手よりも価値が高い。さらに言えば、ルースが二刀流でプレーした2年間をも上回っている。

怪我のため才能の一端しか発揮できなかったメジャー3年間を経て、大谷はついにポテンシャルを全面的に開花させた。そして、その姿が他の選手たちを驚かせている。

「ベーブだって、いつもこんな風じゃなかったはずだ」。現役時代、投手としてメジャーで長年活躍したロッキーズのバド・ブラック監督は言う。「まるで高校生の遊撃手がダブルヘッダーの2試合目に投げるみたいだ。それを最高のレベルでやってのけているんだからね。しかも、他の誰よりも素晴らしい成績を残している。クレイジーだと思わないかい? こんな選手は一生に一度しかお目にかかれないと言ってもおかしくないはずさ」
ドジャースの右腕ウォーカー・ビューラーはナ・リーグのサイ・ヤング賞有力候補に挙げられている。彼の通算打率は1割をやっと超える程度で、ホームランは1本しか打っていない。他の数多くの選手と同じく、ビューーは大谷の二刀流での活躍に驚きを隠せずにいる。

「僕に言わせれば、二刀流をこなすためにかかる肉体的負担はとんでもなく大きい」とビューラーは言う。「あの打撃は本当に信じられない。言ってみれば、彼はもう一人の自分と常に対戦しているようなものだからね」

サイ・ヤング賞3度の実績を誇り、将来は殿堂入りが有力視されるマックス・シャーザーは次のように語っている。「投手を務めるために求められる肉体的な水準は、控えめに言ってもかなり厳しいものだ。その負担をこなした上で、あれだけ打つなんて本当に信じられないことだよ。あんなことができるのは、とてつもないアスリートだけ。彼はまさにそんな存在だ。彼が出ている試合は絶対に見逃しちゃだめだ」

大谷の驚くべきパフォーマンスは、約1世紀にわたって信じられてきた球界の常識を打ち破るのに十分なものだった。チームメイトのマイク・トラウトがふくらはぎの故障で長期欠場する中、大谷には〝球界最高の選手〞という称号もつけられるようになった。結局のところ、投打どちらか一方でも大谷と同等以上の活躍を見せている選手は数えるほどしかいないし、両方となると誰もいない。
大谷の2021年シーズンはMLBの歴史の中でも他に類を見ないものだ。とはいえ、「史上最高のシーズン」と呼ぶにはわずかに足りない。私の考えでは、1920年のベーブ・ルース——また彼の名前が出てきた——こそが史上最高のシーズンだ。なぜなら、その年のルースによってベースボールというゲームが根本から変わったからだ。

ヤンキースに移ってフルタイムの野手になった(4イニングを除いて)年、ルースは3年連続でMLB最多の本塁打数を放った。18年は11本、19年は29本、そして20年は54本に達した。この数字を別の視点から見てみよう。この年、アメリカン・リーグで51本塁打以上を放ったチームはヤンキース以外になかった。ナ・リーグでは、極端に狭い球場を本拠としていたフィリーズだけが50本(64本)を超えた。21年、ルースは59本塁打を放った。この年、全体で59本未満のチームが16球団中9チームもあった。

端的に言えば、ルースはベースボールで最も強大な武器であるホームランを極めることによって、球界全体を凌駕したのだ。シングルヒットや盗塁、バントといったスキルは、フェンスを越える打球にはかなわない。ルースは、それ以前には不可能と思われていた形でベースボールに革命を起こした。
考えてみてほしい。11本塁打でタイトルを獲得してからわずか9年後の1927年、ルースはメジャー史上最多の60ホーマーを放った。10年もしないうちに、彼は最も重要な項目における生産性を6倍近くに増やしたのだ。その転換点となった20年、ルースは得点(158)、点(155)、出塁率(.532)、長打(.847)でもMLBトップを記録し、OPSは1.379に達した。OPSでこれ以上の選手を残した選手はボンズ(02年の1.381、04年の1.422)しかいない

ボンズを評価する際には、ステロイドとのつながりを脇に置く必要がある。ボンズのキャリアの大半を通じて、MLBはパフォーマンス向上薬のテストを行っていなかった。また、ボンズは薬物使用による出場停止処分を一度も受けていない。その意味で、黒人選手が締め出されていた時代にプレーしたルースと同じように、ボンズの成績も正当な記録として認められるべきだ。

ボンズの最も有名なシーズンは、年間最多記録となる73本塁打を放った01年だ。その翌年には打率.370で首位打者を獲得した。04年、ボンズはすさまじい打棒でゲームを事実上、破壊した。相手投手が彼との勝負をあきらめた結果、歴代新の232もの四球を記録したのである。

そう、04年のボンズはあまりにも優秀だったため、全打席(617)の約3分の1で勝負する機会を与えられなかったのだ。一人の選手がこのような扱いを受けるなど、ほとんど馬鹿げている。同時に、ボンズがいかに傑出していたかを浮き彫りにしている。ただ、ボンズの活躍は球界全体にはあまり大きな影響を与えなかった。大谷と同様(少なくとも現時点では)、ボンズは特異な現象だと捉えられた。バリーのような選手は他にいない。同じようにショウヘイのような選手が登場する気配もいない。
一方、1947年のジャッキー・ロビンソン(ドジャース)のメジャーデビューは、史上最もインパクトの大きいシーズンだった。ロビンソンは人種の壁を打ち破り、勇敢さと大胆さを持って白人以外の選手に門戸を開いた。彼はまた、フィールド上でも素晴らしい成績を残した。打率.297、OPS.810、リーグ最多の29盗塁を記録して新人王に輝いた。ロビンソンは2年後、MVPを獲得している。

球界全体に大きな影響を与えたシーズンは他にもある。1968年、カーディナルスのボブ・ギブソンは22勝、防御率1.12という途方もない成績を残した。だが、“投手の年”と呼ばれた68年を象徴するボブソンの活躍は、得点が少なくなることがファンの関心の低下につながると常に懸念するMLBの危機感を募らせた。翌年、マウンドの高さが15インチから10インチに下げられ、現在もそのまま残っている。

だが、「史上最高のシーズン」となると、私は1920年のルースを選ばざるを得ない。なぜなら、彼はそれまでに球界が築き上げてきたものすべてを軽々と凌駕し、まったく新しいプレースタイルを生み出したからだ。そしてそのおかげで、ベースボール人気もどんどん高まっていった。ベースボールの進化の形を振り返った時̶̶そこには必ずパワーの重視があった̶̶必ずルースに行き着くのだ。
ホームランの増加を後押しした要因は他にもある。ルースは当時ヤンキースが本拠としていたポロ・グラウンズの狭いライトを有効活用した。また、MLBは当時、スピットボールの使用を禁止しようとしていた。さらに、1919年のワールドシリーズで起きた八百長事件〝ブラックソックス・スキャンダル〞も、ルースの人気上昇につながったと、野球史家のビル・ジェームズは述べている。他の時代だったら、オーナーたちは「ルースを邪魔するために何か行動を起こしていただろう」とジェームズは指摘している。彼らは、ルースがベースボールを愚弄していると考えていたのだ。だが結局、オーナーたちはルースに自由にさせた。そこから球界は力強く前進した。ホームランの数は誰もが想像しなかったほどのペースで増え続けた。

今後、大谷によってMLBの方向性が大きく変わることがあれば、つまり二刀流選手が数多く登場するようなことになれば、大谷の2021年はルースの1920年を凌駕して「史上最高のシーズン」となるかもしれない。だが、現時点では、球団間で大谷のフォロワーを育てようという動きは特に見られない。もしそれを目指しても、おそらく失敗するだろう。大谷のような天才は100年に一人現れるかどうかだからだ。

今シーズンの大谷は、アスリートによる史上最も優れたパフォーマンスの一つとして称賛されるべきだ。だが、ずば抜けた成績とその後の球界に及ぼした影響を考えれば、私は1920年のベーブ・ルースこそが「MLB史最高のシーズン」だと思う。

文●タイラー・ケプナー/『ニューヨーク・タイムズ』紙

【著者プロフィール】
ペンシルベニア州出身。13歳で自作の雑誌を制作し、15歳でメジャーリーグの取材を始める。大学卒業後、『シアトル・ポスト・インテリジェンサー』紙を経て、『ニューヨーク・タイムズ』紙でメッツ、ヤンキースの番記者を務め、2010年からナショナル・ベースボール・ライターとなった。Twitter IDは@TylerKepner。

※スラッガー11月号より加筆修正の上、転載

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