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「ここは山岡しかいない」――崖っぷちのオリックスに救世主! 山岡泰輔が5ヵ月ぶりの“復帰戦”で見せた矜持【氏原英明の日本シリーズ「記者の目」】<SLUGGER>

実戦登板は6月22日以来。それでも山岡は日本シリーズの大舞台で大仕事をやってのけた。写真:塚本凜平(THE DIGEST写真部)
日本シリーズを制覇するには救世主が必要だ。戦前から予測していた戦力とはまた別の存在、いわばラッキーボーイが出てきた時に、チームは大きく前進する。

完封勝利を挙げた投手や本塁打を放った打者が目立つのは確かだが、鍔迫り合いのような試合においては、必ずキーになる存在がいる。

日本シリーズ第5戦は、すでに3勝を挙げているヤクルトが序盤から優位に進めた。だが、1勝を挙げて神戸に帰りたいオリックスが何とか粘り、食らいつかんとする試合だった。

ゲームを左右したのは8回裏、オリックスのセットアッパー・ヒギンスの乱調だ。先頭の1番・塩見泰隆、2番の青木宣親を連続四球で出すと、3番の山田哲人に同点となる3ラン本塁打を浴びたのだった。

続く4番の村上宗隆はセンターフライに抑えたものの、これもあと一歩間違えればスタンドに飛び込むような大飛球だった。

オリックス・中嶋聡監督はここで禁じ手と言っていいほどの策に打って出た。9月に右ヒジクリーニング手術を受け、実に5か月ぶりの登板となる山岡泰輔を、この場面で送り出したのだ。

「球数の制限をかけないといけないし、連投は無理だろうし。でも、東京ドームの間に投げさせたいなと思っていた。ここは山岡しかない、と送り出しました」

マウンドに上がった山岡は、1四球を許したものの勝ち越しを許さなかった。

すると9回表、山岡の代打に入ったアダム・ジョーンズが起死回生の勝ち越し本塁打。最後のところで踏ん張ったオリックスが勝利を挙げたのである。

中盤から打線がつながり、3点差をつけながらも同点に追いつかれたことは、オリックスにとって痛かったのは間違いない。ただ中嶋監督が「同点で止めたことが大きい」と語っているように、その後こそがカギだったのだ。

相手のホームで振り出しに戻った試合展開。当然、スタジアムは大歓声。完全アウェーの空気の中で、抑え切るというのは容易ではない、

ましてや長期離脱明けの山岡にとって、球場の雰囲気や実戦感覚などのさまざまな要素を鑑みても、冷静さを保つのも容易ではないはずだ。
試合後の山岡の言葉を聞くと、中嶋監督の「山岡しかいない」という言葉の意味が読み取れる。

「ヒジさえ治っていれば、調整をして気持ちの準備だけだった。投げる機会があればと思っていたんで不安はなかったです」

普段からの取り組みが自分の中に確固として自信としてあるからこその言葉だろう。自身の体の状態がどのようになっているかきちんと把握しているからこそ、難しいことも簡単に言いのけてしまうのである。

シーズン中に怪我で離脱してしまったことに悔いはあると思うが、それでもここで合わせてきたのは、日頃の積み重ねの賜物だ。

山岡は言う。
「メンバーに入った時からどんな少しの場面でもチームに力を貸したいと準備していたので、準備は出てきていました。マウンドに行くときはムードが相手に向いている時だったので、球場の雰囲気を変えたいなと思いました。それは0に抑えるしかないので、どんな形でもいいので、無失点でベンチに帰ってきたいなという気持ちでマウンドに行きました。

ワクワクした分、かなり力が入ったんですけど、短期決戦は結果が0だったらいいかなと思います。(日本シリーズは)限られたチーム、限られた人しか投げられないところだと思うので、こうやって怪我で離脱していたのに、投げさせてもらえたことに感謝しています」

これでオリックスは2勝目。まだ崖っぷちに立たされている状況には変わりはないが、この日、初めてセーブシチュエーションでマウンドに上がり、無失点で抑えた平野佳寿とともに、チームの勝利に貢献した救世主のような存在はやはり大きい。

第6戦目は山本由伸が先発し、長いイニングを投げて抑えてくれるはずだ。そこで勝つことができれば、第7戦はおそらく総力戦になる。山岡というピースは、きっと日本シリーズの最終盤にまた力を貸してくれるに違いない。

文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』『甲子園は通過点です』(ともに新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。

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