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1991年全米女子プロゴルフ選手権 岡本綾子の忘れられない2位「あのときばかりは、どうしても納得がいかず初めてコースに戻った」【名勝負ものがたり】

1987年「全米女子オープン」での岡本綾子 82年から米国女子ツアーに本格参戦し17勝挙げている(撮影:GettyImages)

長いゴルフ人生で、岡本綾子がただ一度、試合が終わってから18番グリーンに戻ったことがある。1991年「全米女子プロゴルフ選手権」(現KPMG女子PGA選手権)、最終組の3人が最後まで激戦を繰り広げ、岡本が2位となった大会だ。

首都ワシントンDCに隣接するメリーランド州にあるベセスダGC。18番では、撤収作業が始まっていた。観客はもちろん、選手のほとんどもコースを去り、別世界となったコースにいるのはスタッフの一部と、メディアルームで戦いの様子を伝えている報道関係者だけ。戦いの余韻を残し、夕暮れが迫る静かな試合終了後の特別な時間。だが、この日はいつもは聞こえない拍手の音がした。
 
■車でコースを出てから「どうしても最後のパッティングが納得いかなくて」戻ってきた
 
18番グリーンでボールをカップに沈めたのは岡本だった。近くで作業中だったスタッフから「Finally(ついに!)」という声と拍手が送られる。静かにほほ笑む岡本。「感動してくれたみたい」と、30年以上経った今も、頬を緩ませる。
 
岡本が打ったのは、最終組の3人が通算9アンダーで並んだ場面で入らなかったパットと同じラインだ。「ゴルフをしていて初めて(コースに戻ったからね。表彰式が終わって、車でコースを出て、1キロか2キロ走ってからUターンしてきたの。どうしても最後のパッティングが納得いかなかった。パターとボールを持って18番グリーンに行った。撤収しているスタッフに『Welcome back!』って言われた」と、鮮明な記憶をたどる。
 
40歳になった岡本と、同世代のライバル、パット・ブラドリー。そこに、頭角を現していた新鋭、メグ・マローンが加わった最終組。互いに譲らず、通算9アンダーで並んだまま18番ティに立った。いずれもフェアウェイのいい位置にティショットを運び、全員がバーディーチャンス。岡本は「手前2~3メートルかと思ったけど、行ってみたら5~6メートルあった」というフックライン。ブラドリーは右手前からもう少し長いパット。マローンが最も近く3~4メートルだが奥からというラインを残していた。
 
最初に打ったブラドリーのパットが外れ、次が岡本だ。「軽いフック。思ったとおりに打って入ったと思ったのに右に切れた。タップインした後、メグが上から入れて(優勝が)決まった」。2位が岡本とブラドリーという結末だった。
 
■「負けて泣いたことはない」でもあのときばかりは、納得がいかなかった
 
メジャーでの優勝争いを何度もしながら、惜しいところでタイトルを逃している岡本だが「負けて泣いたことはない」という言葉どおり、静かに結果を受け止めた。だが、このときばかりはパットが入らなかったことにどうしても納得いかなかった。だから戻って来た。
 
当時、この大会には日本の自動車メーカーであるマツダの冠がついていた。賞金女王となり、何度も優勝争いをするツアーの顔として、マツダの地元、広島出身の岡本がいたからに他ならない。18番グリーン横には優勝副賞のスポーツカー、マツダミアータ(ユーノス・ロードスター)が置かれていた。そんな場所に戻り、ボールとパターを持った岡本はグリーンに立った。
 
「『この辺』じゃなくて『ここ』という場所にボールを置いて、さっきと同じように打ったら入った。思ったとおりのラインで。それで納得したかな。自分は正しかったけど、たまたま入らなかっただけだって」と、静かに口にする。見ていた人は本当にわずかな、影絵のようなドラマだった。
 
実はこの日、プレー中にマローンの肩にクモの糸が降りてくるという出来事があった。「12番か13番くらい? 木陰に入ったらサーっと(糸)が降りてきて、彼女が『ヤダ~!』って。だから『運がいい人に舞い降りるみたいよ』って言ったら喜んでくれたの。クモが糸を垂らしてきたらいいことがあるっていう迷信があるから『彼女が勝つのかな?』って思ったりしたの。その後、彼女がツキ始めたんだよね」と、淡々と語る18ホールのドラマ。その最後のパットが、入らなかったから起きた”番外編“だった。
 
「後悔しないために1打1打やってる。すべては勝つために、上位でチャンスを作るためにクラブを振ってるの。だから、負けた試合でも後悔しない。でも、あのときは『何で入らない?』って思ったから…。でも(戻って打ったパットが入ったことで)自分の中で処理できたんだと思う。『今のゴルフでは精一杯やったから、まぁ、いっか』って」
 
米ツアーでの海外選手のパイオニアの一人、岡本綾子。後に世界ゴルフ殿堂入りする華やかな活躍の裏でいくつも味わった悔しさを、糧にする方法のひとつだったに違いない1シーンだ。(文・清流舎 小川淳子)

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