「オグシオ」から始まったバドミントンの「四文字ペア」の系譜 次の注目ペアは誰だ?
写真左:小椋久美子 右:潮田玲子 (アフロスポーツ)
オリンピックでは1992年バルセロナ大会から公式競技になったバドミントン。日本勢は、近年国際大会で好成績を収めており、2024年に行われるパリ大会でもメダリスト誕生の期待が高まっている。そんな日本のバドミントン界を彩ってきたのが「四文字ペア」の存在だ。日本における習わしとして主に女子ダブルスペアの呼称がメディアで使われ、定着してきた歴史がある。今回はバドミントンの人気に一役買ってきた「四文字ペア」を紹介し、その軌跡を振り返っていきたい。(文・井本佳孝)
ブームを起こしたパイオニア
写真左:小椋久美子 右:潮田玲子 (アフロスポーツ)
バドミントンの四文字ペアの歴史を語る上で外せない存在が、小椋久美子と潮田玲子による「オグシオ」ペアである。2002年にペアを結成した両者はともに名門・三洋電機に入社すると、2000年代半ばからバドミントン界きっての人気選手として注目を集める。数々のメディアに露出するなど、いち選手としてだけでなく、旧来のファン以外にもバドミントン競技を浸透させる広告塔としての役割も担った。今に続く四文字ペアのパイオニアと呼べる存在がオグシオペアである。
オグシオペアは2004年のアテネ五輪出場は逃したものの、同年の全日本総合選手権を初制覇すると、2008年まで5連覇を達成。2005年にはデンマークオープン優勝、2007年の世界選手権では銅メダルに輝くなど、人気と実力を兼ね備えたペアとして成長した。2008年北京五輪に初出場を果たしたが、五輪では小椋が故障を抱えるなどのコンディションの不調もあり、準々決勝敗退で5位に終わった。五輪後の2008年11月にペアの解消を発表した。
日本バドミントン協会は、当時マイナー競技だったバドミントンへの注目を集める存在としてオグシオペアに期待をかけていた。2007年、08年には野村證券が代表のスポンサーにつき、そのほかの主要大会でも大手企業複数社がスポンサーについた。ペア最後の大会となった2008年の全日本総合選手権では立ち見が出るほどのフィーバーぶりを見せるなど、日本バドミントン界にもたらした貢献度は高いものがあった。協会へは200億円とも言われる宣伝効果があったといわれている。
リオ五輪で「タカマツ」ペアが金メダル
写真左:松友美佐紀 写真右:高橋礼華 (千葉格/アフロ)
オグシオペアに続く存在として台頭したのが末綱聡子と前田美順による「スエマエ」ペア。2008年北京五輪では準々決勝でアテネ五輪金メダリストの中国ペアを撃破し、日本勢初のベスト4に進出する躍進を見せ注目を集めた。その後も国際大会で実績を積み重ねると、2010年11月には世界ランキング2位に入り、2012年のロンドン五輪にも出場を果たした。オグシオペアからバトンを受けた形となったスエマエペアの活躍を機に、日本勢の世界においての存在感も高まりを見せていく。
スエマエペアに代わり台頭したのが藤井瑞希と垣岩令佳による「フジカキ」ペアで、高校時代に結成された。インターハイでは藤井が陣内貴美子以来25年ぶりの3冠を達成して学生時代から実績を積み重ねると、初出場した2012年のロンドン五輪では銅メダルを獲得。バドミントンが五輪で正式種目になって以来、日本勢では初メダルとなった。藤井は2014年にドイツ・ブンデスリーガのルーディンハウゼン、2016年にはイギリスリーグのブリストル・ジェッツに加入するなど世界進出を果たし、個人でも海外の舞台で研鑽を積んだ。
そして、2016年リオデジャネイロ五輪では日本史上初の金メダリストが誕生する。高校時代に結成した高橋礼華と松友美左紀による「タカマツ」ペアは、2014年のヨネックスオープンで日本人ペア初優勝を果たすと、同年10月に世界バドミントン連盟(BWF)が発表した世界ランキングで日本史上初の1位にランクイン。2016年の全英オープンを制するなど、優勝候補として挑んだ2016年リオ五輪で金メダルを獲得した。オグシオペアから続く日本女子ペアの歴史はスエマエペア、フジカキペアと世代交代するとともに国際舞台での実績も積み重なり、タカマツペアの金メダルにより、日本バドミントン界の世界における存在感も確かなものとなった。
(次のページ「パリ五輪のエース候補『シダマツ』ペア」へ続く)
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