ボンズ、クレメンスにも光!? 「ゴールドグラブ16度」のカットと「50%ジンクス」のホッジズが殿堂入りした意義<SLUGGER>
アメリカ野球殿堂は現地時間12月5日、時代委員会選出による2022年の殿堂入り選手を発表され、バド・ファウラー、バック・オニール、ジム・カット、ギル・ホッジズ、ミニー・ミノーソ、トニー・オリバの6名が選ばれた。今回はこのうち、通算283勝のカットと、球宴選出8度の強打の一塁手で、監督としてもメッツで世界一をつかんだホッジズについて、個人的感慨を述べたい。
そもそも野球殿堂入りには2つのルートがある。引退後5年を経た選手を対象とする全米野球記者協会(BBWAA)の選出と、そこから漏れた選手に加えて、監督やオーナー、GM、審判なども対象とする時代委員会による選出だ。
後者は長い歴史を4つの時代に分け、それぞれの区分を一定の頻度で選出を行なっている。今回は1949年以前の「Early Baseball」と、50~60年代の「Golden Days」に活躍した選手が対象で、カットとホッジズはいずれも後者の区分だった。
カットはイチローや松井秀喜世代のMLBファンにとって、ヤンキース戦でのテレビコメンテーターのイメージが強いかもしれない。しかし、かつてはツインズ、ホワイトソックスなどで25年間にわたって活躍した名左腕だ(引退時点では投手として史上最長のキャリアだった)。シンカーやスクリューボールを短い投球間隔で「ちぎっては投げ」のスタイルで、シンデレラになぞらえて「2時間が経ったらオレの速球はカボチャに戻るからな」と語っていたという。
しかし、BBWAAの投票では、5年目の1993年の29.6%が最高と評価は高まらなかった(殿堂入りには75%以上の得票率が必要)。その理由としてシーズン20勝以上は3度のみと、傑出したシーズンや印象的な全盛期がなかったことが挙げられていた。
その一方でカットは守備の名手としても知られ、62年から77年まで16年連続でゴールドグラブを受賞している。守備に関しても、DRSやUZRといった最先端指標が普及する現代とは異なり、イメージや惰性で選出が続いた面もあろうかと思うが、それでもこの記録は凄い(ポジションを問わず、同賞の現在の最多受賞はグレッグ・マダックスの18度だ)。
今ほどインターネットのニュース記事の発信が発達していなかった時代は、現地の専門誌を読む楽しみのひとつが、ユニークな意見があふれる読者投稿欄だった。20年近く前のことだが、『Baseball Digest』誌の「カットが殿堂入りしていないのはけしからん」とする投稿が目に付いた。
殿堂入り名遊撃手オジー・スミスのゴールドグラブ受賞は13度だったが、カットは16度。「それだけでも選出に値するではないか」というスジの通った“暴論”だった。今回の殿堂入りの報に接して、ぼくは「あんたの主張がやっと認められたよ」と、その見ず知らずの投稿者に心の中で祝福を送った。
ホッジズの場合は、カットとは逆だ。50年代前後のブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)、“The Boys of Summer”(夏の若者たち)の一員として、49年から7年連続100打点以上を記録。ジャッキー・ロビンソンやデューク・スナイダーらとともに、同球団の黄金時代を支え、監督として69年のメッツを初の世界一に導く(“ミラクル・メッツ”)など、華々しいキャリアを持つ。
だが、選手としてはピーク時の活躍こそ目覚ましいが、メジャー昇格直後に兵役に就いた影響もあり、通算成績は1921安打、370本塁打だった。72年のスプリング・トレーニング期間中、心臓発作により47歳の若さで死去したため、監督業も9シーズン務めただけ。このため、選手としても監督としても殿堂入りの水準には届かなかったのである。
だが、殿堂にはホッジズとともに語られてきた「50%ジンクス」とも言うべき傾向がある。それは、BBWAA投票で50%を一度でも超えた者は、時代委員会経由も含めて、最終的には殿堂入りを果たせるというものだ。
これまでにその例外はホッジズのみだったのも、そのジンクスを裏付けていた。しかもホッジズは、BBWAAでは11度も50%以上を獲得(当時の投票有資格者期間は15年だった)。通算で3000票以上も得ており、これは殿堂入りしていない選手の票数としては最多だった。
そのホッジズが今回ついに選出されたことにより、「50%ジンクス」は画竜点睛となった。一層強化されたジンクスに基づくならば、昨年の投票で得票率50%以上だったバリー・ボンズやロジャー・クレメンスにも希望が持てることになる。
ボンズもクレメンスもステロイド疑惑により、現役時代の実績に比して得票率が伸びておらず、次回の投票でBBWAAの選考は最後になる。だが、もしこれでに殿堂入りできなくても、ホッジズのように将来的には再評価されるかもしれない。
文●豊浦彰太郎
【著者プロフィール】
北米61球場を訪れ、北京、台湾、シドニー、メキシコ、ロンドンでもメジャーを観戦。ただし、会社勤めの悲しさで球宴とポストシーズンは未経験。好きな街はデトロイト、球場はドジャー・スタジアム、選手はレジー・ジャクソン。
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