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女性選手が長く活躍する方法と、日本女子球界発展に必要なこと。合田智子からの提言

女子野球というとまだ馴染みがない人も多いと思うが、その中でも海外で活躍する日本人選手がいる。その1人が合田智子選手。彼女は女子野球・ソフトボール選手として今なお海外でプレーを続けている。

社会人ソフトボールを経て、発足時の女子プロ野球でプロとしてのキャリアをスタートさせた彼女はその後、アメリカ、オーストラリア、オランダなどを渡り歩いてきた。

まだ女性が選手を続けるのは難しい環境の中で、長く選手を続けてきた合田選手が様々な経験の中で感じてきたこと、そして今後の目標について、「女性」という視点を中心に伺った。

競技を続けるために環境を選んできた

-まず、野球を始めたきっかけから教えてください。

野球を先に始めた1つ上の幼馴染の男の子が私をキャッチボールに誘うので、それに付き合ったり、試合も毎週観に行くようになったところからです。

父親の影響で巨人戦を観戦する機会もあり、野球に囲まれた環境に自然となっていたんです。それで地元の少年野球チームでプレーし始めました。

私はいつも外で遊んでいる子供で、男の子から場所と時間と人数が書かれているケンカの決闘状をもらうようなおてんばな子でしたから、男の子ばかりのところに入ることに特に抵抗はなかったです(笑)

そのまま私は地元の中学校に進学して、部活で野球を続けようと思っていたのですが、女の子は危ないからと入部を断られてしまいました。

それで元々おてんば娘の私が道を逸れてしまうことを危惧していた父の勧めで私立の中高一貫のお嬢様学校に進学することになりました(笑)

進学した中学、高校ではソフトボールをやることになります。本当は中学では部活禁止だったのですが、私はどうしてもやりたかったので、お願いして高校の練習に混ぜてもらっていました。

高校は体育科があり、実力者が揃っていたので練習は厳しく、先生も怖かったですし、先輩から呼び出されたりすることもありました。

高校を卒業してからは東芝ソフトボール部(岩手東芝エレクトロニクス)に入ったのですが、20歳の時に廃部になってしまいました。他のところからの誘いもありましたが、正直もうソフトボールは十分やったと思えたので、一度完全に競技を辞めることにしました。でもそうしたら急激に太ってしまったんです。食べる量は変わらないのにスポーツをしなくなって、その上様々なストレスも重なり、家に引きこもるような状態になっていたからです。体重は70kgを超え、古い友達とすれ違った時に私だと気づかれなくて、さすがにまずいと思いました。

それでダイエットを始めたわけですが、その過程で関わるようになったスポーツインストラクターに興味を持つようになり、私もそちらの道を目指すことにしたんです。インストラクターの養成学校に通ったり、ピラティスの資格を取って、その後スポーツやスキーのインストラクターをしていました。

桑田真澄氏、合田智子

女子プロ野球時代に桑田真澄氏(左)と

第1期生として女子プロ野球入団も…退団してから感じた野球の世界の広さ。

-**インストラクターとして働いていたところから、どのようにして女子プロ野球を目指すことになったのでしょうか?**

女子プロ野球発足に伴い、選手テストが行われることを当時の上司から聞き、受験を薦められたんです。でもプレーヤーとして10年もブランクがあって自信はありませんでしたし、そもそも女子野球というものが存在することすら知りませんでした。

ただ、1から改めて体を作りなおすにはいい機会だと思ったので、テストに向けて毎日トレーニングや練習をすることにしたんです。テスト受験を決めてから本番までは3〜4ヶ月ほどでした。

-**準備期間は短かったものの、ドラフトでは1巡目で指名されています。**

元々肩も強く、足も速かった方でしたから。あとはキャッチボールや草野球くらいですが、野球に触れるようにしていたというのも良かったのだと思います。

ただ、女子プロ野球に入ったからこそ見えてきたものもあって、いろいろ思うところもあり、結局2年で辞めました。辞めた理由は1つではないです。

プレーヤー自体もそこで辞めようと思っていたのですが、周りの人に止められ、もう少し続けることにしました。

そして私の引退を引き止めた人からの紹介で社会人野球の名門チーム・日本生命の練習に参加することになりました。しかし、私は辞める気でいたので、初めは正直全く身が入りませんでした。

でも行ってみたら、日本生命の選手達の野球に対する姿勢やレベルの高さに驚いたんです。今まで見たことがない世界を目で見て、実際に一緒にプレーすることで体感できて、その日のうちに嫌な気持ちはどこかに行ってしまいました。

日本生命は強豪ですから練習時間も長く、とてもきついはずなのに、内面的にもプレー面においても自分が成長していると実感でき、毎日楽しくてしょうがなかったです。

周りの意識の高さに引っ張られ、私自身の成長を感じられた時に初めて、「あの時辞めなくてよかった」と思えました。

同時に自分の知らない世界がもっとあると分かったので、そこをもっと知りたいと考えるようになり、海外に興味を持つようになったわけです。

ちょうどそのタイミングでアメリカの野球アカデミーから話が来ました。

合田智子

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