湯浅剛&冴華。車いすバスケットボールが繋いだ2人の縁

リオパラリンピックで日本は過去最多のメダルを獲得し、近年パラスポーツの注目度は高まりを見せているが、その中でも高い人気を誇っているのが車いすバスケットボールだ。

そして車いすバスケットボールをきっかけにして人生の伴侶を見つけたのが共に選手として活躍する湯浅剛選手、冴華選手の2人。

12月25日にめでたく入籍した2人が出逢いのきっかけとなった車いすバスケットボールの魅力について語ってくれた。

2人の出逢いは車いすバスケットボールがきっかけ。

-**まず初めにお2人は車いすバスケットボールに出会う前はどんなスポーツをしていたのですか?**

剛:サッカーと柔道と野球をやっていました。サッカーは小学校低学年ぐらいでやめてしまったんですけど、柔道は小学1年から6年までやって、野球は大学までやっていました。

冴華:私は小学校の時にバレーボールをやっていて、中学校からバスケットボールを始めました。中高はしっかりとバスケをやって、大学では車いすバスケットボールのサークルがあったので入りました。そこは2年ぐらいで辞めてしまったんですけど、その後社会人のクラブチームで車いすバスケットボールをまた始めていました。

-**冴華さんはなぜ、大学の時に車いすバスケットボールを始めようと思ったんですか?**

冴華:福祉系の大学だったのですが、うちの学生が埼玉ライオンズという車いすバスケットボールチームに、ボランティアで行ったことがきっかけで、大学に車いすバスケットボールのサークルを作りたいという流れができました。それで私もそのサークルに入ったんです。

普段の試合では健常者は試合に出られないんですけど、健常者リーグというのがあったりするんですよ。

-**冴華さんは一度競技から離れて、また社会人で再び車いすバスケットボールを始めています。それはどのような理由があったのでしょうか?**

冴華:学生時代まではスポーツクラブで働いていたのでずっと運動していたのですが、看護師になって運動しなくなって、体重が増えてしまったんですよね。それで痩せなきゃと思って走ったら急に足の付け根が痛くなって、痛みが1ヶ月続いたので自分の働いていた病院で受診をしたら『変形性股関節症が進行している』と言われました。手術や減量など、対処法は色々あったようですが、ちょうどその時に車いすバスケットボールで知り合った人で変形性股関節症の人がいたので話を聞いて、それで手術に至りました。

-**それが分かった時にすぐに車いすバスケットボールをやろうと思ったのですか?**

冴華:すぐではなかったですね。友人に誘われて車いすバスケットボールの大会を見に行って、「そういえば私これ、できるな」と思って、それでもう1回始めました。

-**一方、剛さんは大学4年時にスキーで障がいを負ったとお聞きしましたがその時のことについてお聞かせください。**

剛:ジャンプして回転したりするためのキッカー(ジャンプ台)で遊んでいる時にバランスを崩し、1回転で着地しようとするのを1回転半して、そのまま落ちてしまったんですよ。自分の中では背中を打った程度の感覚でした。後ろから人が来るので、寝転がっているのは危ないと思って横に移動しようとしたらできなくて。それでヘリで運ばれたのですが、脊髄を損傷してしまい障がいを負ってしまいました。

-**その時のショックは相当大きかったように思えます。**

剛:最初は障がいと思っていなかったんですよ。10ヶ月ぐらい入院をするんですけど、全然思っていたのと違ってそんなに落ち込まなかったですね。結構楽観視していました。

-**そこから生活が一転して行くわけですが、数あるパラスポーツから車いすバスケットボールを選んだ経緯を教えてください。**

剛:スキーはその後も好きだったんですよ。チェアスキーというのもあるので、それをしに行ったら親に『懲りないな』と言われて(笑)

楽しかったんですけど、健常者の時に滑っている感覚とは全く違っていて、そこから感じる不甲斐なさもあり、結局辞めてしまったんです。その後はホッケーをやっていたこともありますが、障がいのクラス分けがないので、片足の人とかと一緒にやると明らかに不利でした。テニスもやったのですが、同じような理由で辞めました。一方でバスケは障がいに応じたクラス分けがあって、しかも体育館さえあればできるという手頃さがありました。

-**車いすバスケットボールとはどのようにして出会ったのでしょうか。**

剛:スキーで障がいを負う怪我をした時、僕は埼玉の病院に入院をしていたんです。その病院には障がいを負った人向けの職業訓練校と寮が付いていて、今後仕事などをしていくにあたり、必要なスキルを学べるようになっていました。自分もそれまで野球しかしてこなかったので、そこに入っていたのですが、訓練がない土日は暇なわけです。

その病院の施設内には体育館も併設されており、土日には車いすバスケットボールのチームが練習に来ていたので、遊びに行かせてもらうようになりました。元々はバスケが一番苦手なスポーツだったんですけど(笑)

冴華:そこが私の所属しているチーム、ELFINだったんです。よく入院している人が遊びに来ていて、彼もそのうちの1人だったということです。

湯浅剛 湯浅冴華

特有のルールによって生み出される競技の奥深さ

-**二人を繋ぐことになった車いすバスケットボールの魅力を教えてください。**

剛:他のパラスポーツと比べて障がい者がやっている気がしないところです。

冴華:いろいろな障がいの選手がそれぞれの役割を持って、得意なところを生かせるスポーツなのかなと思います。

-**車いすバスケットボールを始めて、驚いたことはありますか?**

剛:動きが速いです。あとはリングが高く見えて、シュートが届かないなと思いました。

-**車いすバスケットボールをやっていて、今までで一番嬉しかったこと、辛かったことを教えてください。**

剛:一昨年、30歳以下の日本代表として北九州チャンピオンズカップに出場したのですが、その時に優勝したんです。自分がしっかりと試合に出て初めて獲れたメダルだったので嬉しかったです。

辛かったのは車いすバスケットボールをやっていて怪我をした時ですね。日本代表に目標を置いて、そこから逆算をして今、このぐらいの位置にいなければいけないというのがあるじゃないですか。そういうプランを作った時にどこかでアクシデントが起こってしまうと、引いたレールから離脱することになります。思うように練習ができなくなったことが悔しかったです。

冴華:つい先日女子の日本一を決める大会があったんですけど、いつも苦戦するチームと初戦で当たったんです。その中に私が代表を目指していく上でのライバルだと思っている選手もいたので、その試合に、その選手に負けたくない、という想いがありました。チームとしてやるべき事を徹底し、練習してきた事を出せて、結果ブザービーターで逆転勝ち出来た事がすごく嬉しかったです。

辛いのは私が(※)ハイポインターで、得点を決めさせてもらう役割を担っている中で、シュートが入らなかった時に自分のせいで負けてしまったと思う時とか、もっとできたことがあったと悔しくて、不甲斐ないなと思う時です。

※車いすバスケットボールの障がいレベルに応じたクラス分け
選手には障がいのレベルに応じたクラス分けに基き、1.0〜4.5までの持ち点が定められている。障がいが重度であるほど点数は低く、軽度であるほど高い。また、2.5以下の選手をローポインター、3以上の選手をハイポインターと呼ぶ。

どのレベルの障がいを持った選手にも等しく出場機会が与えられるように、コート内の5選手の持ち点は合計で14点と決められている。

-**今、ハイポインターという言葉が出てきましたが、車いすバスケットボールにはどういったポジションや役割があるのでしょうか?**

剛:ポジションは一応あるんですけど、みんな何でもやる感じです。センター以外はだいたい、いろいろなポジションをやります。ハイポインターに対してローポインターというのは障がいが重い選手です。チームによって変わりますが、ローポインターは点を積極的に自分が店を取りに行くというよりもディフェンスを崩して障がいの軽い選手をゴールの近いところに導いたりとか、そういう選手をインサイドに入れて得点を狙っていくものですね。

-**障がいの度合いによってプレーに出てくる違いというのはどこにあるんですか?**

剛:まず乗っている車いすの高さが違うんですよ。僕らは体のバランスが取れないので低い車いすに乗っているんです。障がいの軽い選手は高い車いすに乗ってもバランスが取れるので。体の大きい選手や高い車いすに乗っている選手が上からシュートを打つと僕らのような低い車いすの選手がブロックをしようとしてもほぼノーマークで打たれてしまうんです。そういうミスマッチを試合の流れの中でなくしたり、作り出していくんですよ。

冴華:そういうローポインターの動きを見ているとまた試合を観るのが面白くなると思います。ローポインター自身が得点を取りに行くチームもありますし。

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