【テキスト版】CROSSOVER「STANCE」深堀圭一郎×平野早矢香

輝きを放つアスリートたちは、どのようにして頂点を極め、そのときに何を感じ、そして何を手にしたのか—— 。

自身もプロゴルファーとして活躍している深堀圭一郎が、スポーツ界の元トップ選手や現役のトップ選手たちをゲストに招いて、アスリートたちの深層に迫る、BS無料放送『クロスオーバー』連動企画のテキスト版。

そこから垣間見えてくる、ゴルフにも通じるスポーツの神髄とは? 第11目のゲストは平野早矢香さん。

※敬称略

ライバルに勝てなかった小学生時代…中学で日本一を目指すため仙台育英へ進学!

深堀:今回は、ロンドン五輪の卓球女子団体の銀メダリスト、平野早矢香さんにお話を伺います。平野さんは、ご両親の影響で卓球を始められたそうですね。

平野:はい、両親が学生時代に卓球をしていて、私も5歳のころから始めました。そして、次第にのめり込んでいったんです。負けず嫌いだったのも「勝負の世界に入る」きっかけになったと思います。運動神経は悪くはなかったのですが、卓球のセンス、手先の器用さやバランス感覚などは他の選手と比べて、特別優れていたわけではありません。どちらかといえば、練習で自分のレベルを上げるタイプでした。卓球が面白いのは、考えながら相手と対戦するだけではなく「反射的に体が動く」ことが重要。ボールに対する反応や反射神経を養う、という意味では、小さいころからプレーしたほうがいいと思いますね。

深堀:小学生のころは、どのような練習をされていましたか?

平野:フットワークなど基本的な練習が多かったですね。例えば、フォア側半分を2球ずつ打ってから動く。あとはボールをコントロールするために何球も打ち続ける練習も。100~300球を1コースで続けて打ち、次のコースに移る感じです。それからマシン練習もしました。マシンのボールは回転量が強く、ある程度一定の球になるので、技術を身に付けるのにピッタリなんです。

深堀:当時、競技に出場したときの想い出などはありますか?

平野:試合前は、とにかく緊張していました。それから、小さいころから競技記録をノートに書いていましたね。実際のプレーでは、小さいころの福原愛ちゃんのように「相手に1ゲーム取られると泣いて戻ってくる」みたいな感じでした(笑)

深堀:地元にライバル選手はいたのでしょうか?

平野:はい、小学4年生のときに全日本選手権で負けた選手で、地元のクラブに所属していた杉田早苗さんです。彼女はすごく才能があって、全国でも一番強い感じでした。

深堀:僕も小学6年生ごろから競技に出始めましたが、当時どうしても勝てなかった同級生がいたんです。ところが成長の過程で、彼は器用だったために基本とは違う打ち方などを取り入れ、少しずつ調子を崩していきました。

平野:小さいころに「天才と呼ばれた選手」が、将来必ずトップまで上り詰めるわけではないですよね。成長していく過程でいろいろありますし。

深堀:いいコーチとの出会いやライバルとの関係などによって、選手の伸びしろは変わると思います。

平野:私の場合は、杉田選手に勝つために「どうすればいいか」を常に考えていましたね。

深堀:そんななか中学校は親元を離れて、仙台育英の付属校に進学されましたよね?

平野:当時、栃木県には中・高校ともに卓球の強豪校がなかったんですね。そのため、トップを目指す選手は県外の学校に進学していました。中でも大阪の四天王寺中学校は卓球の名門で、杉田選選手らも入学。そして、私も「中学や高校では絶対日本一になりたい」と思っていたところに2校からオファーがあり、憧れていた仙台育英へ入学しました。

深堀:仙台育英は、卓球部が強かったのでしょうか。

平野:高校は、全国でベスト4に入るぐらいの強豪校。しかし、付属の『仙台育英学園秀光中学校』は、私の代が学校全体の2期生で卓球部も活動し始めたばかりでした。

深堀:高校が強豪という理由以外に、魅力があったのでしょうか。

平野:環境面が素晴らしかったです。当時の寮は、卓球部の大岡巌監督と、奥様で先生でもある多津子さんが一緒に生活して面倒を見てくれたんです。女子選手にとって、女性の先生がいるのは安心できました。多津子先生も元卓球の選手で、世界選手権ベスト8の実績がある方でした。もちろん、練習場など施設も完璧に整っていましたし、高校の先輩たちと練習できたのもよかったですね。

深堀:卓球は個人戦であり団体戦でもありますが、メンバーの関係はいかがでしたか?

平野:当時はチーム一丸で「四天王寺を倒し日本一を取る」という気持ちが強かったです。私は個人戦より団体戦で優勝したかったですね。

深堀:中学で日本一を目指した結果は、どうだったのでしょうか。

平野:残念ながら、一度も日本一にはなれませんでした。3年時の全国中学校卓球大会の3位が最高位。このときに優勝したのも四天王寺中学の杉田選手でしたね。

深堀:杉田選手は中学でもライバルだったわけですね。

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