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オティーズとはあまりにも対照的…サミー・ソーサの殿堂入り記者投票が静かに幕引き【豊浦彰太郎のベースボール一刀両断!】<SLUGGER>

98年のホームランラッシュ以降、ソーサはMLBのトップスターの一人だった。当時の熱狂を思えば今の影の薄さはあまりにも物哀しい。(C)Getty Images
現地時間1月25日、全米野球記者協会(BBWAA)による今年の野球殿堂入り投票結果が発表された。今回の大きなトピックは2つ。投票最終年だったバリー・ボンズとロジャー・クレメンスのステロイド疑惑2大巨頭と、引退後に“暴言マシーン”と化したカート・シリングの3名がそろって落選したこと。そして、ボストンの英雄デビッド・オティーズが投票初年度ながら選出されたことだ。

しかし、個人的にそれらと同じくらい気に掛かったのが、サミー・ソーサが最終年の今回も18.5%しか票を集められずに殿堂入り候補者リストから名が消えてしまったこと、しかもそれが大きな話題にもならなかったことだ。

ソーサはかつてMLBの太陽だった。カブスに在籍していた1998年、マーク・マグワイア(当時カーディナルス)との歴史的なホームランバトルは、全米を、いや全世界を熱狂の渦に巻き込んだ。その年のナ・リーグ本塁打王は70本を打ったマグワイアだったが、MVPに選出されたのは66本のソーサだった(打点王も獲得した)。
パワーだけではなく、明るく屈託のないキャラクターもソーサの魅力だった。本拠地リグリー・フィールドでは、ゲーム開始時刻になると、三塁側ダグアウトから外野フェンスに沿ってライトの守備位置まで全力疾走するソーサの姿にファンは熱狂したものだ。

打撃練習もエンターテイメントだった。現在とは違い、リグリー・フィールドの外野席が低かったこともあって場外弾が乱れ飛び、名物のボールホーク(場外で打球を待ち受けるファン)がそれをキャッチせんと走り回った。実はぼくも参戦したことがあるのだけれど、シカゴっ子たちの打球への反応やダッシュ力には到底ついていけなかった。

しかしソーサは06年に、球界のドーピング問題を告発した「ミッチェル・レポート」に薬物使用者として名が挙がる。すると、マグワイアとともにその名声は地に落ちた。ソーサ自身は薬物使用を強く否定していたが、デビュー当初は針金のように細い体型の“ワイヤリーキッド”だった彼が、その後はどんどんマッチョに変化していった様子を見ると、薬物に手を染めていただろうと考えるのは自然なことだった。
09年には『ニューヨーク・タイムズ』紙が、03年にMLBが非公式に実施した薬物検査で、ソーサもオティーズやアレックス・ロドリゲスと同様に陽性反応を示していたことを報じた。その後ロドリゲスは、13年のバイオジェネシス・スキャンダルで薬物使用が改めて明るみに出て、翌14年はフルシーズン出場停止処分を受けている。しかしオティーズに関しては、コミッショナーのロブ・マンフレッドが「あの検査は信頼性が十分でない」とし、「オティーズに薬物使用者の烙印を押すべきではない」と弁護したほどだった。

だが、ソーサは糾弾されることもない代わりに、擁護されることもなく、その後の検査では陽性反応を示したことがないにもかかわらず、ステロイドユーザーとみなされている。今回の投票におけるオティーズとの対照的な結果は、まさにそれが大きな要因だ。

なお、オティーズとソーサの2人を通算成績で比較すると、ソーサは通算609本塁打でオティーズは541本。総合的な貢献度を表すWAR(Baeball Reference版)はソーサが58.6で、オティーズは55.3だ。強打者タイプの殿堂入り当確ラインが70あたりとされていることを考慮すると、意外にも2人ともあまり高くない。ソーサは比較的早打ちで出塁率は高くなかったこと、オティーズは基本的に指名打者であったことがそれぞれ影響しているのだろう。
だが、数字にほとんど差がないにもかかわらず、殿堂入り投票でここまで圧倒的な差がついたことに、客観的かつ正当な理由は見当たらないと思う。

薬物疑惑のある者として、ここまで歴史から抹殺されていることに関しても、ある意味では不公平だと思う。ボンズやクレメンスの落選については賛否両論が出ているが、ソーサはまったくスルーされている。このことはラッキーだったという見方もあると思うが、ぼくはむしろ悲劇と捉えたい。

もちろん、ボンズにもクレメンスにもシリングにも、そしてソーサにも時代委員会での敗者復活の道は残されている。だが、このままではその時にも、ソーサだけが置いてきぼりを食うような気がしてならない。

文●豊浦彰太郎

【著者プロフィール】
北米61球場を訪れ、北京、台湾、シドニー、メキシコ、ロンドンでもメジャーを観戦。ただし、会社勤めの悲しさで球宴とポストシーズンは未経験。好きな街はデトロイト、球場はドジャー・スタジアム、選手はレジー・ジャクソン。

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