吉田祐也・世界陸上東京大会マラソン男子日本代表「青学史上、最も練習した男」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

2024年12月、福岡国際マラソンの号砲が鳴り響く。

レースはアフリカ勢が十八番とも言える高速ペースで、先頭グループを構成する。

だがそこに、互角に渡り合う小柄な日本人ランナーがいた。GMOインターネットグル―プの吉田祐也(28)だ。

すると30キロ過ぎ、吉田はなんとアフリカ勢を引き離しにかかる。瞬く間にトップを独走! なおもギアを上げ、そのままゴールテープを切った。

優勝タイム2時間5分16秒。日本歴代3位の好記録で、吉田は2025年9月に東京で開かれる世界陸上の出場キップを掴み獲ったのである。

優勝インタビューでは、感涙を抑えきれない。

「(マラソン初優勝から)この4年間はつらかったこと、悔しかったことがあまりにも多くて言葉にできないんですけど、たくさんの人が支えてくれたから、こういうレースができたんじゃないかなと思います」

あれから5カ月。初の世界陸上に挑む努力の人、その直向きな背中を追いかけ、青山学院大学相模原キャンパスを訪ねた。

雨の中、黙々と走り続ける吉田の姿を見つける。大学駅伝最強チーム、青山学院大学陸上競技部出身者としては、初の世界陸上出場となる彼は今も母校・青山学院で、後輩たちとともに練習を積んでいる。

「(青学の)監督を信じてマラソンで結果も出せたし、その前の箱根も走れました。監督のメソッドを通じて、4年間徐々に力をつけられたのであれば、それを継続してやっていくべきだという思いがあったので、拠点を移すイメージはありませんでした」

その監督とは、大学駅伝界に革命を起こした名将・原晋。吉田にマラソンを勧めた張本人が、練習中の選手たちにゲキを飛ばしている。

「長距離ランナーとしての(吉田の)能力は、まぁ普通のランナーだなという印象しかなかったんですよ。それが大学4年生時の(箱根駅伝)4区の区間新記録の快走で、あ、こいつ強いんだと、そこで初めて感じて……。だから終わってすぐに『ちょっと俺にだまされたと思って、フルマラソンを走ってみたらどうか』と」

たった一度の快走が、吉田の人生を変えた。しかも、原監督の見立てを大きく上回る。

箱根駅伝からわずか1カ月後。初マラソンとなる別府大分毎日マラソンで日本人トップの成績、3位でフィニッシュすると、10カ月後、今回と同じ福岡国際マラソンで初優勝。一気に日本マラソン界のトップランナーへと昇り詰めたのだ。

「練習自体は苦手ではないし 故障もしないので。練習が継続できることがマラソンの結果につながるんだなって。このままいけば世界を目指せると思ったんです」

そう、吉田の走りを支えるのは、ケガなく積み重ねてきた圧倒的な練習量だ。

自宅から5㎞離れた練習場には走って通い、休む間もなく1時間の走り込み。この継続は、誰にでもできるものではないと原監督はいう。

「あそこまでトレーニングができる男っていうのは、そうそういません。私は今年で22年目の指揮を執ってますけど、吉田が一番でしょうね」

〈青学史上、最も練習した男〉その原点は、小学校時代の屈辱にあった。

「3年生のとき、持久走で後ろから3番目になって……。それが結構ショックで、登下校は走ろうって決めたんです。毎日続けてたら4年生で19位になって、5年生で2番。6年生でついに1位になりました。校内で1番というのがなんとなくうれしくて、それを今まで継続して強くなったっていう感じです」

幼いころから走ることを習慣にし、それを当たり前のように続けた。実力者ひしめく青山学院では時間こそかかったものの、4年生で箱根駅伝4区を快走。区間新記録を叩き出し、マラソンランナーへの扉を開いたのだ。

100年に一度の大規模再開発中の東京・渋谷。そこに吉田が所属するGMOインターネットはある。

彼は現在、広告部門で週三回の業務に従事している。オフィスでパソコンに向かっている姿からは、日本最強のマラソンランナーのオーラは感じられない。

「仕事も結構楽しんでますから」

昼時の社員食堂に、吉田がやってくる。

己の肉体だけが武器のマラソンランナーは、食事に人一倍気を使う。

この日も、栄養価が計算されたメニューを口に運ぶ。

「バランスよく食べることを意識してます。何か一つに偏らずに」

最も気を使っているのは、水分補給だという。

「スポーツドリンクは、血糖値が上がりづらいものを飲んでます。パラチノースという成分が入っている特殊なドリンクなんですけど、それを飲んでから、体質的にもよくなった感じがあります」

身長164センチ。小柄な吉田にとって、バランスのいい走りをキープするには、体重管理も重要だ。

「(体重が)低すぎることはダメだと思っています。ベスト体重は48㎏なので、寝る前の体重が46㎏台はアウトです。そうするともう次はちゃんと食べるか、もしくは水分が抜けているかのどっちかなので、それをうまく調整していくという感じです」

誰かがやってくれるわけではない。自己管理を日々淡々とやってのけることも、才能のひとつではないだろうか。

吉田の恩師はもちろん原晋監督だが、マラソンランナーとしてもう一人、大きな影響を受けた人物がいる。

日本人として初めて2時間5分台をマークし、東京オリンピックでは6位入賞を果たした日本マラソン界の至宝、大迫傑だ。

「大迫さんと一緒にトレーニングをして、世界トップレベルの選手たちのトレーニング風景を目の当たりにしたっていうのが一番大きかったですね」

2021年、東京オリンピックを控え、大迫は米国での高地練習合宿に臨んだ。吉田はそこに参加していたのだ。

「大迫さんから学んだのは練習方法というよりも、世界でどう戦うべきか、どういう心理で臨むべきかというメンタルの部分でした」

大迫から学んだ世界で戦う姿勢を胸に、原監督の指導のもと、吉田は母校でトレーニングを続けている。

6月、世界陸上に向け、本格的な調整に入った吉田を再び訪ねる。

先月まではトラックでのスピード練習を中心に、その強化に努めてきたという。

その成果として、5月末に出場した5000メートルで自己新記録をたたき出していた。

「段階的に仕上げているので、トラックはトラック、マラソンはマラソンと、うまく組み合わせながらやっている状況です。ここから9月に向けて、よりマラソン仕様に仕上げていきます。ここまで結果を出しながらきているので、すごく順調なのかなと思います」

それは、原監督とのやり取りからも垣間見えた。

『(原監督)スター選手なんだっていう自信を持っていかないと』

『(吉田)メダルをとらないとダメですよ』

『(原監督)メダルは100年早い。そんな過度なプレッシャーは感じちゃいけない』

『(吉田)いけそうな感じ、してますけどね』

この軽口のたたき合い、後で原監督に訪ねるとニヤリと笑った。

「念ずればかなうで、まずは思わないとダメですから。カラ元気じゃなく、自然体の前向きな発言、僕はいいと思います。どんどん自己表現した方がいいんですよ。場も和むし」

明るさは吉田の強さの秘訣、そのひとつに違いない。

6月5日、世界陸上まで100日となったこの日、日本代表の公式ユニフォームが発表された。

発表の舞台に上がり、真新しいユニフォームに袖を通した吉田は満足気だ。

「非常に鮮やかな色ですね。僕はオレンジ色が好きなので、この明るい色は当日に向けてモチベーションが上がります」

そんなちょっぴり呑気な吉田に、恩師・原監督は期待を言葉にしている。

「今、世界で戦える領域にいるのは、日本では吉田かなと思いますね。この9月に行われる、ちょっと残暑が残る東京大会では、ケニア、エチオピア勢は3番以内が難しくなるとあきらめる傾向にあります。そこを上手に最後まであきらめることなく上がっていければ、8位入賞、場合によってはメダルが見えてくるはず」

指で空をさし、テレビ視聴率もうなぎ上りと、おどけてみせた。

練習に戻った吉田が、黙々とスピードに乗って駆けていく。

「大迫さんの(東京オリンピックでの)順位6番を超えて、僕自身の目標達成ができればと思っています」

休憩中、明るい軽口を期待して、残り3カ月で必要なことは? と尋ねた。

「練習を、とにかくちゃんとやるということですね。万全の状態でスタートラインに立つことだけ考えて、難しいことは考えない。その2つだけ守っていきます」

最後に微笑んで、また駆け出していく。

鮮烈なマラソンデビューから5年。途中、パリオリンピック代表の座を逃すなど、順風満帆なマラソン人生とは言い難い。だが今、愚直なまでに己の走りを積み上げてきた男、その背中がまぶしく映る。

われわれは間もなく目撃するだろう。吉田祐也は9月の東京で、世界と渡りあう。

※吉田祐也氏の「祐」ですが、正しくは「示」へんに「右」の旧字体です。機種依存文字でもあることから正しく表示されない可能性もあるため、「祐」の表記を使用しております。