
「またF1でと言うより、ペスカドーラ町田の選手としてFのピッチに立ちたい」。カスカヴェウに憧れた少年が歩む、終わりなき夢への旅路|全日本の爪痕
ベスト8進出が単なるフロックではないことを、彼らはそのプレーで証明してみせた。駒沢屋内球技場で行われた、第30回全日本フットサル選手権大会準々決勝。2回戦で新F1王者・バルドラール浦安を破って勝ち上がったペスカドーラ町田アスピランチは、ボルクバレット北九州にも互角に渡り合った。最後は宮崎岳のボレーに沈み1-2と敗れたものの、その健闘ぶりは、会場を埋めた観衆を惹きつけるのに十分なものだった。
今はまだ無名の、しかし将来を嘱望される原石たちが輝きを放つ一方、Fリーグでのプレー経験を持つキャプテン・小幡貴一もまた、たしかな存在感を示していた。かつてエスポラーダ北海道で、そしてFリーグ選抜でスポットライトを浴びてから約5年。檜舞台への帰還を目指す背番号7は、いま何を思いながらプレーしているのだろうか。胸に抱く、そのエンブレムへの熱い想いに迫った。
取材・文=福田悠
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全日本のピッチで示した、確かな成長
聖地・駒沢で行われた、全日本フットサル選手権大会準々決勝。20歳前後の若き黄色の戦士たちが、格上・北九州相手に勇猛果敢に食らいつく。自信と意欲にあふれたその戦いぶりは、2カテゴリーの差を感じさせないものだった。そんななか、Fリーグでのプレー経験を持つ27歳の“ベテラン”も、実に渋い存在感を発揮していた。アスピランチの主将を務める、小幡貴一だ。
小幡は北海道室蘭市の出身。2016-2017シーズン、地元・エスポラーダ北海道の選手として弱冠19歳でFリーグデビューを果たし、2018-2019シーズンにはFリーグ選抜の一員としてもプレー。リーグ通算81試合9ゴールを上げており、その実績は現在のアスピランチのなかでもピカイチだ。Fのピッチを離れて久しいが、サイドからのドリブルの仕掛けなど、そのアグレッシブなプレーを記憶に留めている人も多いことだろう。筆者のなかでも、小幡と言えば「アタッカー」のイメージだ。
ところが、5年ぶりにスタンドから観た小幡のプレーは、かつてFリーグでプレーしていた頃とは様変わりしていた。以前とはまた違った意味で、とにかく“効いている”のだ。
北九州にボールを持たれる時間が長くなるなか、FPの最後尾で全体をコントロール。同じくF1でのプレー経験を持つゴレイロ・石井遥斗と連係しながら、バランスを取り、要所を締め、攻撃の芽を摘む。相手がピヴォ当てを狙う直前にピヴォの前に入って牽制する駆け引きや、それとは逆にあえて出させた上での前カット、サイドでの1対1のカバーリングなど、地味ながらもそのプレーは実に効果的だ。ポジションはアラ/フィクソだが、どちらかと言えばフィクソの色の方が濃い。すっかり大人のプレイヤーとなった小幡の姿が、そこにはあった。
「年齢を重ねるごとにチーム内での立ち位置も変わってきて、だんだんといろんな役割を担うようになりました。2回戦の浦安戦も今日の北九州戦にしても、格上相手に勝利を狙うにはやはりまず守備で渡り合うのが最低条件だったので、自分はその役割を全うしようと。僕たちは東京都予選、関東予選、全国ラウンド1回戦とすべて完封で勝ち上がってきて、浦安戦の1失点が今大会初の失点でした。今日初めて2失点を喫してしまったのが悔やまれますし、このメンバーでもっと上に行きたかったです。でも、チーム一丸となって戦い抜く、ということは最後までやれたのかなと思います」
Fのピッチを離れて以降もプレーの幅を広げ、確かな成長を遂げた小幡。「トップレベルの相手にも“やれる”と感じた部分もありました」と語ったように、現在のパフォーマンスはF1復帰の可能性を十分に秘めているようにも見える。例えばの話、選手層の厚い町田での昇格が難しかったとしても、他のF1クラブに活躍の場を求めることも選択肢の1つとなり得るのではないか。第三者の勝手な意見でしかないが、客観的な立場から見れば素直にそう感じてしまうくらい、小幡のプレーは素晴らしかった。
「実際、練習試合で他のFのチームと対戦させていただく機会があるので、そういう時に相手チームにいる知り合いの選手やF選抜の同期から『移籍したらチャンスあるんじゃない?』と言ってもらえることもあります。でも、僕のなかではあくまでも“町田のトップチームで活躍する”ことが目標なので。だから少なくとも現時点では、F1の他のクラブに行くという選択は考えていません」
クラブへの愛着を語る小幡。だが、町田から遠く離れた北海道の出身で、町田のアカデミー育ちでもない彼がなぜ?という率直な疑問も浮かぶ。そのルーツは、今から約20年前。小幡が小学生だった時代まで遡る。
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異国の地で抱いた、カスカヴェウへの憧れ
小幡の生まれ故郷である北海道は雪が多いため、屋外でサッカーをプレーできない期間も長い。従って、他地域と比べてフットサルがより身近な存在だ。例によって小幡もそんな環境でフットサルに出会った……のかと思いきや、実はそうではない。幼稚園までを室蘭で過ごした小幡少年がフットサルと出会ったのは、なんとそこから遥か5,000km南西。小学校1年生の時に移り住んだ、南国・タイだった。
「幼稚園までは剣道をやっていて、ボールを蹴ったこともなかったんです。けど、タイに行ったら当然、剣道なんてやれる環境がないんですよね(笑)。どうしようかなと思っていた時に、同じマンションに住んでいた日本人の友達から『日本人向けのフットサルスクールができるみたいなのだけど、一緒にやらない?』と誘ってもらって。そこで初めてフットサルをプレーしました」
赤道にも近いタイは、熱帯モンスーン気候。年間を通じて高温多湿な環境だ。そういった気候から、サッカーよりもインドア競技のフットサルを好んでプレーする人も多い。タイ代表のアジアのなかでの立ち位置を見てもわかる通り、タイではフットサルは非常にポピュラーなスポーツの1つなのだ。
そんな東南アジアの国で、小幡は小学5年生までを過ごすことになる。徐々にフットサルへの関心が深まり、両親に連れられてタイリーグの試合を観に行くようにもなった。
そうなると少しずつ湧き上がってくるのが、母国・日本のフットサルリーグへの興味だ。年に数度の一時帰国の際には、フットサルの試合を観に行くのが恒例となっていった。Fリーグ誕生目前、関東フットサルリーグが空前の盛り上がりを見せていたあの時代。小幡少年の心を奪ったのが、ペスカドーラ町田の前身・カスカヴェウだった。
「タイにも『フットサルマガジン ピヴォ!』が輸入で少しだけ入ってきていたんです。多分、数もそんなに多くなかったはずなので、当時の僕にとっては貴重品でした。新刊が手に入ると、もう夢中で読んでいましたよ(笑)。そんなピヴォに出ていた憧れの選手たちが、すぐ目の前にいて。そのなかでも、カスカヴェウのフットサルが特に魅力的だったんです。普段なかなか観に行けない環境にいた僕からしたら、みんな雑誌の向こう側のスターでした」
その後小幡が小学4年生の時に、Fリーグが開幕。帰国時の恒例行事だった関東リーグ観戦はFリーグ観戦に変わり、小幡が5年生を終えて日本に戻るまで続いた。
また、帰国直前の2008年には、タイで開催されたAFCフットサル選手権を現地観戦する幸運にも恵まれた。しかも準決勝の日本代表対イラン代表の試合では、ハーフタイムショーとしてピッチでリフティングチャレンジも行ったという。当時の記憶はあまりにも鮮明だ。
「前半終了間際に、日本の選手の自陣でのパスが、プレスをかけてきたシャムサイー(当時のイラン代表のエースピヴォ。後のイラン代表監督)の足に当たって入ってしまったんです。それに対して、木暮賢一郎さんや小野大輔さんがブチ切れていて。その迫力といったら、もう本当に凄かったですよ。代表の厳しさみたいなものを肌で感じた瞬間でした」
初めて目にする、フットサル日本代表の公式戦。ヒリつくようなその空気感は、少年の脳裏に深く刻まれたのであった。そんな代表戦士たちのなかでも小幡を夢中にさせたのは、やはりペスカドーラ町田のあのレジェンドだった。
「金山友紀さんのプレーが本当に好きで。カスカヴェウやペスカドーラでのプレーはそれまでにも何度も観ていましたけど、日の丸を背負って戦う姿を見て胸が熱くなりました。“あの人みたいになりたい”と、本気で思いましたね。それもあって、僕のなかで“いつかはペスカドーラで”という気持ちがずっとあったんです」
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