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ホッケー女子日本代表・及川栞「パリでリベンジしたい」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
2021年東京オリンピック、女子ホッケーの会場で、ベテランディフェンダーの及川栞が呆然と立ち尽くしていた。
ホッケー女子日本代表、通称<さくらジャパン>は自国開催の利を活かしての躍進が期待されていた。しかし結果は、1勝もあげられず惨敗。世界トップレベルのオランダリーグでも活躍してきた、日本の第一人者は、無観客の舞台で、屈辱にまみれる。
『このまま終わっていいの?』
そして2023年、パリオリンピックへの出場権がかかるアジア大会を直前に控え、<さくらジャパン>はフランスとの国際強化マッチに臨んでいた。そこには、代表チーム最年長となった及川の姿もある。豊富な経験と運動量でチームを牽引していた。東京オリンピックでは、周囲はもちろん、自分自身への期待も裏切った。あの夏に夢や希望を置き去りにしてしまった。
「オリンピックでの悔しさは、オリンピックでしか返せない。他の大会では代用にならないんですよ」
パリの大舞台で命を燃やす、彼女は誓っていた。
及川をスポンサードする企業、タカラベルモント社。新作化粧品の会議の場に、及川の姿を見つける。社員でもある彼女は、日差しにさらされやすいアスリート視点で、使用感をフィードバックしているのだ。上司の新井さんは、及川の存在で職場が活気づき、雰囲気が良くなると、顔をほころばせる。それを横で聞いていた及川は・・・
「私の方がパワーをもらっていると思ってます。でも、元気になると言われたら嬉しいですね」
夜のピッチに、及川が姿を見せる。これから、所属チーム・東京ヴェルディでの練習が始まるのだ。日本では、まだ発展途上のスポーツ、ホッケー。選手、スタッフのほとんどは、日々の仕事を糧にしているため、平日は夜から少人数での練習になることが多い。コーチ不在の場合も決して珍しくはなく、そんな時は及川を中心に、選手自ら練習メニューを決めている。
「やはりチームとしての活動が少ない分、みんなが少しでもレベルが上がったと、自信を持ってピッチに立てるように、コミュニケーションを取っています」
及川はチームの中で唯一、ホッケーに専念できる日本女子初のプロ選手。チームメイトは、世界での経験が豊富な彼女から、多くを学んでいる。
『試合で足りないところの練習メニューを考えてくださるので、常に側にいて欲しい存在です』
『誰にも負けないパワフルさは、自分も見習いたいと思っています。力強い大黒柱のような人です』
母親もホッケー元日本代表選手という、ある意味サラブレッドの及川。だが、そのホッケー人生は決して順風満帆ではなかった。
実業団チームの強豪、ソニーで実力を養うも、日本代表に初選出されたのは24歳の時。遅咲きと言っていいだろう。そして2016年には、リオデジャネイロ・オリンピック代表選考から落選。挫折を味わっている。念願のオリンピック初出場は、くだんの東京オリンピック。注目も期待も集めながら1勝も出来ず、プライドはズタズタにされた。
後日、トレーニングジムで汗を流す及川を訪ねた。東京オリンピックでの惨敗をきっかけに、パーソナルトレーナーと契約し、肉体の進化を求めたのである。
「東京オリンピックの時よりも、何かを(より高いレベルに)変えたいなと思って。もちろん、パリでリベンジするためです」
トレーナーには、実際に試合を見てもらい、ホッケーの動きに必要な練習メニューを組んでもらっているという。当然のようにハードなトレーニングが進んでいくが、そこに悲壮感はない。小さな成果にも喜びを露わにし、ジム全体を明るい雰囲気に染めていく。34歳、情熱の人。及川の肉体は、今も進化を続けている。
行きつけのカフェで、つかの間の息抜き。及川は、ホッケーのことを忘れる時間も大切だと考えている。なのに、ふと蘇るのは、全敗に終わった東京オリンピックへの後悔。年齢的にはあの時、代表引退を考えてもおかしくなかった。それでも次のパリを目指すことにしたのは、決して悔しさからの一時的な衝動ではなかった。
「女子バスケは東京の銀メダルで、国からの援助が増えたのはもちろん、競技自体も凄く盛り上がったじゃないですか。素直に羨ましいと思ったし、強くならなければ、結果を出さなければ、ホッケーの未来が見えてこないんですよ」
さらに言えば、全敗を喫した時、会場で覚えた空虚感も忘れることが出来ない。
「無観客の寂しさ、悲しさが・・・ずっとサポートしてきてくれた両親を招待することも出来なかったんです。テレビのモニター越しに情けない姿を見せただけで・・・私は両親にまだ恩返しができていないんですよ」
パリオリンピック出場と日本の躍進。ホッケー界の未来のために、両親への恩返しのために、及川は戦い続けることを選んだのだ。
パリオリンピックの切符が賭かるアジア大会。それに向けた、日本代表合宿。アジア大会でオリンピック出場が決まるのは、優勝国の1チームのみ。インドや中国など、ライバル国に勝つのは簡単なことではない。監督のジュード氏は<さくらジャパン>の強みについて教えてくれた。
「日本の強みは、スピード。とても速いホッケーで試合を優位に進められる」
確かに練習では、速いパス回しで、ディフェンスラインから一気に前線へボールを送る場面が目立つ。この合宿では、自分達の強みを磨くのに重きを置いているのだという。その速いホッケーを目指す<さくらジャパン>の中にあって、最年長の及川が担う役割は大きい。キャプテンの永井は言う。
「選手のお手本になってくれる存在で、最年長というところもあって、私も含めた下の子たちに、良いタイミングで声をかけてくれるので、凄くありがたいです」
この日、特に時間をかけて確認していたのが、ペナルティコーナーの練習。シューティングゾーンでの反則があった場合に行われるセットプレーは、ホッケーでは最も得点が期待されるシーンだ。そしてそれは、ディフェンダーの及川が得点に絡むチャンスでもある。及川を筆頭に、全員の集中力が増していった。
日本代表対フランスの、国際強化マッチが行われた。相手のフランスは、来年のオリンピック開催国。日本にとっては、アジア大会への試金石であり、磨いてきた戦術を試せる、貴重な機会だ。
大勢の観客の声援を受ける中、試合が動いたのは第3クオーター。日本が、流れを呼び込む先制点を挙げる。そして、次の1点が試合の行方を左右する状況で、相手の反則からペナルティコーナーのチャンスを得る。合宿で磨いてきたセットプレー。是が非でも決めたい。
バックラインからのボールを、及川がゴール前に入れると・・・ミッドフィルダーの瀬川選手が零れ球に合わせて追加点!紛れもない練習の成果だ。さらに、サッカーでいうPKを任される及川が・・・ダメ押しのゴール!すると守りのリズムも良くなり、及川のボール奪取から、カウンター攻撃へ!強みである速いホッケーが展開し、日本は3対0で完勝した。
「いつもよりワクワク感が凄くて。みんな(大勢の観客)が見ている中で1点決めることが出来てホッとしました。やっぱり観客の応援が有ると無いとでは全然違いますね。パワーにもなるし、(次のアジア大会で)パリオリンピックを決めてやるって固い決意ができました」
<さくらジャパン>最年長の及川にとっては、輝きを放つラストチャンスかもしれない、パリオリンピック。満員の観客が見守る大舞台。その時まで、彼女は命を燃やし続ける。
TEXT/小此木聡(放送作家)
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