元シチズン監督、青森県弘前市で教えて22年 弘前卓球センター・丹藤貴が手紙を書く理由

丹藤貴(たんどうたかし)。青森県弘前市に「弘前卓球センター」を開いて今年で22年目になる。

実業団の名門・シチズン時計の選手・監督を経て42歳で退職、地元・弘前市に戻り、卓球場を開いた。梅村優香らを輩出し、“卓球王国”青森の一角を担ってきた、弘前の歴史あるクラブである。

しかし、歴史的に卓球熱量の高い青森県のクラブも、他県同様、少子化と部活動の地域移行の波にさらされている。

弘前市で、卓球台4台をぎりぎり並べて指導を続けてきた、弘前卓球センターを見つめた。


写真:弘前卓球センターの看板/撮影:ラリーズ編集部


写真:弘前卓球センター/撮影:ラリーズ編集部

「地元の子どもたちを強くしたい」

――いまから22年前、この「弘前卓球センター」を作られたきっかけは何だったのでしょうか。
丹藤貴:実業団のシチズン時計に入って20年経ち、監督業務を山本恒安に渡して仕事だけになってみると、頭の良い一般の社員の人たちに仕事だけでは敵わないなと思ったのもありますが(笑)。

一番は、卓球を離れてみてその良さを改めて実感したことと、やっぱり子どもを教えてみたいと思いましたね。


写真:丹藤貴(弘前卓球センター代表)/撮影:ラリーズ編集部

――東京の実業団で約20年過ごした卓球キャリアからは、少し意外な気がします。
丹藤貴:たまたまGWに帰省したとき、高校の同級生二人が教えているクラブに練習に行ったんです。そこで“ああ、子どもを教えるのって面白いな”って思ったんです。

卓球を教えるスキルは積んできていたので、“僕が教えて、地元の子どもたちが強くなったらいいな”と。小学校の練習にも行ってみて、いろんな子が楽しそうにやってるのを見て、この子たちを強くしたいなと思いました。

弘前卓球センターを立ち上げたときから、その高校の同級生2人が教えている子どもたちが来てくれたので、最初は順調に始められました。


写真:丹藤貴(弘前卓球センター代表)/撮影:ラリーズ編集部

――チームを始めてすぐ、この卓球場を建てたんですね。
丹藤貴:はい。建てたというか、もともとリンゴの箱を作る工場で、そのあとはNTTドコモの基地局事務所だった建物を買って改築したので、そのへんに今も変な配線がいっぱいあります(笑)。

卓球場は狭いんですが、弘前には8台以上卓球台を置ける公共施設が10ヶ所以上あって、土日はその広いところで練習しています。


写真:真剣な表情で練習する子どもたち/撮影:ラリーズ編集部

原点となった一年目の全日本ホカバの敗北

――全農杯全日本ホカバの思い出はありますか。
丹藤貴:クラブ一年目から青森県代表に3人入り、全日本ホカバに行きました。

神戸の会場で金曜日朝10時から試合が始まり、2時間経たないうちに3人が負けちゃったんですよ。私も実業団で一応最終日ぐらいまでは残る選手だったんで、日程の9割以上残して終わるって、こんな惨めなことなのかと思いました。

ふと後ろを見たら、連れて行った選手の一人がゲームをしていて、自分の不甲斐なさに涙が出ました。

――その悔しさが指導者としての原点なんですね。
丹藤貴:翌年は女子選手3人が県代表に入り神戸に連れていきました。

試合当日の練習会場で、3人なので“まず私が一人の選手と練習するから残り二人はここで練習して”と言って、しばらくして戻ってくると、まだその二人が練習せずに端っこにいるんです。


写真:丹藤貴(弘前卓球センター代表)/撮影:ラリーズ編集部

丹藤貴:“どうしたの?”と聞くと“言葉が大阪弁で分からないんで、話しかけて台に入っていけない”と。

ああそうか、この子たちにとっては、大阪でも神戸でもブラジルでも心理的にハードルがあるんだと気づきました。地元の子で青森県から出た経験がほとんどなかったので。

場馴れもさせないのに、こういう場所でいきなり力を出せっていうのは無理だ。経験をうまく積ませて、なんとかここで力を出せるように持っていかなきゃと思って、それ以降は練習試合も含めて、どんどん子どもたちの経験を増やしていきましたね。

――地域性を感じるエピソードですね。


写真:練習中も楽しそうな子どもたち/撮影:ラリーズ編集部

負けず嫌いだった梅村優香

――クラブ出身選手としては、今年の全日本ダブルス準優勝で、先日現役を引退された梅村優香さんが挙がりますが、小学生の頃、どんな選手でしたか?

梅村優香(サンリツ)
写真:2025年1月全日本卓球選手権大会での梅村優香(サンリツ)/撮影:ラリーズ編集部

丹藤貴:負けず嫌いでしたね。全日本ホカバで負けた日に、神戸から青森に帰ってそのままこの卓球場に来て、泣きながらサーブ練習してましたから。

多球練習でもボールを人一倍多く持ってきて、“いっぱい拾ったから私にたくさん球出してね”って言っていました。やる気があって、積極的で、明るい子でした。

いまも帰省すると卓球場に顔を出してくれて、子どもたちもすごく励みになってます。


写真:練習する弘前卓球センターの子どもたち/撮影:ラリーズ編集部

中学生男子がバンビ女子の相手をする

――梅村さんをはじめとしたクラブ卒業生も、今年のホカバ県予選通過者にしても、有望な女子選手を育成するクラブという印象です。
丹藤貴:年代によりますね。

ただ、卓球場も狭いし、人数も減っているので男子女子で分けて練習できないので、そうすると男子と打つ女子は伸びますよね。


写真:バンビ女子と中学生男子が練習/撮影:ラリーズ編集部

――今日も、けっこう上手な中学生男子がバンビ女子の練習相手もやっていて、女の子たちも楽しそうでした。

ただ、男子自身の練習はどうするんですか。

丹藤貴:なので、男子中学生は東奥学園さんに連れて行って、レベルの高い高校生たちと練習させてもらっています。


写真:男子中学生がいいボールを打っていた/撮影:ラリーズ編集部

課題や練習メニューは手紙で

――なるほど、それは良いですね。

練習中の丹藤さんを拝見していて、厳しく上から言うよりも、選手に任せるという姿勢だなと思いました。

丹藤貴:それが卓球だと思っているので。自分のために、自分が好きだからやっているはずなので。

保護者の方の中には“練習やらない子に怒ってくれない”と言われたこともありますが、子ども自身が“これじゃダメだ”と気づいて方法を考えるようになってほしい。じゃないと、卓球の試合を組み立てていけないです。11点取るまで我々指導者は何も手出しできないんですから。

練習中にあれこれ言わない分、具体的な課題や練習メニューは、定期的に私が手紙を出すんですよ。


写真:練習を静かに見守る丹藤貴氏/撮影:ラリーズ編集部

――手紙ですか。
丹藤貴:はい、こういう課題があるのでこういう練習をしてほしいなど細かく書きますが、やるかどうかは本人次第です(笑)。


写真:全農杯全日本ホカバ青森県予選会・カブ女子で優勝した内田こはる(弘前卓球センター)/撮影:ラリーズ編集部

ツッツキが上手な雪国の選手たち

――面白いですね。

あと、練習を見ながら、ツッツキが上手な子が多いなと思いましたが、それはカットマンだった丹藤さんの影響もあるんでしょうか。

丹藤貴:どうなんでしょう(笑)。ただ、雪国でボールが飛ばないので、打つより入れるほうが勝ちやすいのはあると思います。パスウェイ合宿などに参加しても、東北の子どもたちはツッツキが多いって言われます。

ただ、最初は効いても途中でループドライブで攻略されるので、11点は取れても33点は取れないです。

いま、若い指導者が増えてきた青森県に

――少子化が進む青森県ですが、一方で、かつての丹藤さんのように実業団を経験した後で地元に戻って指導を始めた八戸の沼田勝さんや、十和田の下山さんなど、子どもたちの指導に明るい材料も増えている印象です。
丹藤貴:そういう流れはありますね。指導者が勉強することは大事ですが機会は少ないので、関東で学んだことを子どもたちの指導に活かしていければ良いんです。

逆に近年、青森県から関東の大学に進む子が少ないので、そのパイプも強くなってほしいと願っています。

私も今年64なので、そうしたこの地の伝統が次の世代に引き継がれていくといいなと。

「もうひと花くらい咲かせたい」

今年のホカバ予選青森県予選で5人が入賞し、副賞として贈られた県産のお肉やお米を保護者の方が調理、練習後にチームみんなで食べる一コマもあった。


写真:1位副賞「青森県産倉石牛サーロインステーキ」に歓声を上げる子どもたち/撮影:ラリーズ編集部

前日の大会では厳しい表情でベンチに入っていた保護者の方々も、みな柔和な笑顔で子どもたちにおにぎりを握る。


写真:子どもたちの練習中に保護者の方々が握ってくれたおにぎり/撮影:ラリーズ編集部


写真:練習後チームみんなで頬張る/撮影:ラリーズ編集部

口下手だけど、温かい。不器用だけど、まっすぐで、この土地を象徴するようなクラブだ。

「もうひと花ぐらい咲かせたいなと思ってるんですよ。まずは今年、チームの子たちが良い成績を上げられるように」丹藤さんの情熱もまだ燃えている。

弘前で22年続く弘前卓球センターの時計は、今日も確かな時を刻む。


写真:壁掛け時計に「贈 シチズン時計卓球部」の文字/撮影:ラリーズ編集部

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取材・文:槌谷昭人