荻村伊智朗がデザインした世界初の卓球専用シューズ その復刻に懸けたドイツ人起業家の物語
プロジェクトの経緯と概要
2014年11月、マックスとフィリップはつてを辿り、荻村の遺志を継ぐ、日本のITS三鷹卓球クラブにまでやってきた。
荻村の長男・一晃(かずあき)氏や、織部幸治氏はじめ、吉祥寺の「武蔵野卓球場」の創設者・上原久枝さんら、“荻村ファミリー”とも知己を得た。
写真:ITS三鷹卓球クラブ/撮影:槌谷昭人
あるとき、荻村がデザインした世界初の卓球専用シューズ“シャープマン”の広告を当時の雑誌広告で見つけた。
1950年代・60年代には、日本はもちろん世界中の卓球プレーヤーがこのシャープマンを履いてプレーしていたことが、現存する当時の国際大会などの写真からも伺える。
その後、卓球専門メーカーからより機能的な卓球シューズの発売が続き、一般メーカーから発売されたシャープマンは、80年代後半には市場からほとんど姿を消していた。
起業家である自分たちが、このシューズを復刻し、世界中で発売すれば、“イチロー・オギムラの精神”を世界に伝えられるのではないか、と思った。
“オギ・スピリット”とはつまり
製造元は神戸の靴メーカー「光洋産業」だったが、既に廃業していた。その消息を辿るところから始まった。
プロジェクトがやっと前に進み始めたとき、コロナ禍が始まった。
ドイツに帰国せざるを得ず、身動きが取れなくなった。
細かいデザインの意匠やニュアンスを伝えるのに、日本語のメールでやり取りするのは困難を極めた。
「あと、世界中の人が新しい靴を必要としなくなった時期だったからね」マックスは笑って振り返る。
ただ、不思議なほどに、頓挫しそうになるたび、日本はもちろん、スペイン、イスラエル、デンマーク、アメリカ、イギリス、多くの国の人が助けてくれた。
当時のオリジナルシューズの在庫は、東欧エストニアのスポーツショップの倉庫で見つかった。
写真:見つかったオリジナルのシャープマン/撮影:槌谷昭人
「いま振り返って思います。ああ、これがオギ・スピリットだと。国境を超えて、違う文化や人間を結びつけたオギムラの精神だと」
そして笑った。「だって、伝記を読んで感動した二人のドイツ人が、いま、日本でこんなプロジェクトをみんなとやれていることも」
写真:マックス・ファン・ラーク/撮影:槌谷昭人
「And, maybe OGI’s dream(荻村さんの夢かもしれない).」織部さんが笑う。
「それこそ、僕らが実現したかったことそのものなんだ」マックスが応えた。
なぜ織部さんは協力したのか
今、およそ8年におよぶプロジェクトの試作品や資料で、ITS三鷹の倉庫の一室は完全に埋まっていた。
写真:試作品や資料で埋まった倉庫の一室/撮影:槌谷昭人
なぜ、ここまで織部さんがフィリップとマックスに協力するのだろうか。
「彼らの意気に感じたんですよ」織部さんは、楽しそうに笑う。
写真:織部幸治(ITS三鷹)/撮影:槌谷昭人
ITS三鷹には、荻村伊智朗が生涯で遺した、卓球に関する膨大な書類や備品が保管されている。
フィリップとマックスのふたりは時間をかけて、その膨大な資料1点ずつを確認し、倉庫に整理していった。
「荻村さんの遺したラケットやウェアを見るときの、彼らのまなざしを見て、彼らがいかに本気かがわかりました」
“オギの使ったものを触るのに、手袋は要らないのか”、逆に織部さんが質問された。作業中ずっと“Wow!”と小さく驚きながら、その遺品を丁寧に扱う二人の姿があった。
写真:マックス・ファン・ラーク/撮影:槌谷昭人
「卓球を通じて世界の平和に貢献する」、荻村伊智朗の生涯を貫いた強い信念だった。
いま、荻村の伝記を読んでドイツ人起業家二人が、つてを辿って、荻村の作った日本の卓球場までやってきた。
かつて荻村が世界中に蒔いた種の一つが、いまこんな形で花開いているのかもしれない。
「やるしかないと思いました。No Choiceですよ」
写真:織部幸治(ITS三鷹/右)とマックス・ファン・ラーク/撮影:槌谷昭人
復刻版シャープマンの特徴
写真:復刻版のシャープマン/撮影:ラリーズ編集部
さて、その復刻版シャープマンを簡単に紹介しておこう。
1950年代に日本で作られたからこそ、マックスたちは日本での製造にこだわった。
ただ、職人の手作業でアッパーとソールを接着させる“ヴァルカナイズ”製法を再現しようとすると、現在の日本では受託先が少なく、コスト高になってしまう。
それでも、彼らの決意は固かった。
「当時の製法で、日本で作って復刻させる。できるだけ本物に近づけたい」
そのドイツ人起業家たちのこだわりに“スピングルムーブ”などのスニーカーで知られる広島の企業「スピングルカンパニー」が応え、その製造を請け負うことになった。
写真:美しいソールを持つ復刻版のシャープマン/撮影:ラリーズ編集部
タン裏には、“S70625”という番号が刻印されていた。
商品番号かと尋ねると、マックスは目配せしながら“イチロー・オギムラの誕生日なんだ”と教えてくれた。
昭和7年6月25日。
細部にまで、遊び心に溢れている。
写真:復刻版シャープマンのタン裏の番号/撮影:槌谷昭人
卓球シューズとしての機能は
現代の卓球シューズとしての機能性はどうなのだろう。
「快適にプレーできますよ、もちろん機能的に現在の卓球専用シューズと同じとは言えませんが」
実際に履いてプレーしてみた織部さんは、そう言った後、こう微笑んだ。
「何より、履くと、オギ・スピリットを感じられます」
貴重な“ヴィンテージスニーカー”として購入するのが良いかもしれない。
今回、世界で400足しか発売しない、とびっきりの復刻版ヴィンテージとして。
写真:復刻版のシャープマン/撮影:ラリーズ編集部
伝記を同梱する理由
もう一つ、特出すべきポイントは、シューズに、荻村伊智朗の伝記英訳版「OGI THE LIFE OF OGIMURA」を同梱することだ。
わざわざ新しいカバーを作り、まとった、新装版として。
写真:「OGI THE LIFE OF ICHIRO OGIMURA」/撮影:槌谷昭人
「靴と一緒に、オギムラの物語を贈りたい」マックスたちの思いは、最初からずっと変わらなかった。
「これは単なるキャンパス地のスニーカーかもしれない。でも、イチロー・オギムラの物語と精神を伝えてくれるはずだ」
写真:荻村伊智朗(左から3人目)/提供:ITS三鷹卓球クラブ
「この小さな一歩が、いつか大きな動きになると信じているんだ。だって、ピンポン外交もそうだっただろう?アメリカの卓球選手が、中国選手のバスに間違えて乗ってしまった、ちょっとした出来事から始まったんだ」
「天界からこの蒼い惑星の」
英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。
マックスたちと同じドイツ人の劇作家・ベルトルト・ブレヒトの言葉だ。
いま、国際情勢は、かつて、英雄・荻村が世界平和のために奔走した時代と同じかそれ以上に、混沌を極める。
“天界からこの蒼い惑星の”から始まる、あの荻村の一節を思い出す。
その美しい詩は、“新しい夢がいっぱい語れます”で締められている。
写真:ドイツ・ベルリン来訪時の荻村伊智朗(右から二人目)/提供:ITS三鷹
動画はこちら
取材・文:槌谷昭人(ラリーズ編集長)
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