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二度も目の前から逃げていった夢 亀澤理穂が2025東京デフリンピックに懸ける思い

亀澤(旧姓:佐藤)理穂(かめざわりほ)の名前を知っているだろうか。

ろうあ者(聴覚障碍者)スポーツの最高峰、デフリンピック卓球競技に4大会連続で出場、これまで8個のメダルを獲っている“レジェンド”アスリートである。

日本において、デフリンピックの知名度は低い。
こんなに強いアスリートが卓球競技にいるにも関わらず、である。

丁寧な手話通訳者にも同席してもらった今回、多くの質問を投げかけた。

生まれつき耳が聴こえず、卓球を愛する家族の元に生まれてきた、一人の“ママアスリート”に。

シングルス決勝トーナメント直前で日本選手団全員が棄権

――2022年5月のブラジルデフリンピックは、シングルスの決勝トーナメント目前で、コロナ陽性者の増加によって全競技日本選手団が棄権しましたね。

前日までに、亀澤さんは団体銀メダル、ダブルス銅メダル。シングルスに懸ける思いは強かったはずです。

亀澤理穂:はい。4年間頑張ってきたことが一瞬で無くなってしまったショックはありました。

これまでデフリンピックに4回出場して、それぞれ2つのメダルを獲ってきたので、2022年ブラジル大会こそ、3つのメダルを目指していました。

戦う前にまたメダルが2つになってしまうこと、正直それは残念でした。

でも、コロナ禍で無事に開催できたことへの感謝と喜びもあって、うん、半々くらいの気持ちでした。

――もっと悔しい瞬間はこれまでありましたか。
亀澤理穂:あります(笑)。

例えば、2013年ブルガリアのデフリンピックのダブルス決勝戦。
元々小さいときから知っている、上田萌選手(2014年に引退)とペアを組んでいました。

最後はデフリンピックで金メダルを獲ろうね、という約束を二人でしていました。

決勝まで進んで、あと1回勝てばというところで、3ゲーム目の途中で私が左足首を捻挫したんです。回り込もうとした一瞬。

結局、靭帯が伸びていたんですが。

亀澤理穂(住友電設)
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部

佐藤真二監督「これはダメだ」

亀澤理穂:夢が、目の前から消えてしまった。

タイムアウトのベンチで、父でもある佐藤真二監督から「これはダメだ、もうあきらめなさい」と言われました。

でも私は最後まで戦いたいという気持ちが強くて、痛みはありましたが、最後まで戦いました。その後1ゲームは取ったんですけど。

佐藤真二,亀澤理穂
写真:当時の監督である父・佐藤真二と亀澤理穂/提供:卓球レポート/バタフライ

――凄…。
亀澤理穂:結局、相手の中国ペアに自分が動けないコースを突かれて負けました。

でも、あのとき続けなかったら一生後悔したと思います。やってよかったと思っています。

亀澤理穂(住友電設)
写真:亀澤理穂(住友電設)/提供:卓球レポート/バタフライ

――上田萌選手はそれが現役最後の大会だったんですよね。
亀澤理穂:はい。シングルスで金メダルを獲って、綺麗に引退しました(笑)。

上田萌,亀澤理穂(住友電設)
写真:上田萌(写真右)・亀澤理穂ペア/提供:卓球レポート/バタフライ

――理穂さんも、シングルスで金メダルを獲って終わりたいという思いですか。
亀澤理穂:はい、2025年東京デフリンピックでシングルスで金メダルを獲って終わりたい。それが今の自分の目標です。

亀澤理穂(住友電設)
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部

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