「後ろを向くな」亡き夫に背中を押されて<全農杯2023年全日本卓球選手権大会ホープス・カブ・バンビの部 広島県予選会>
妊娠中に癌が発覚
肖さんのがんが発覚したのは2012年5月、まだ下の娘が香津美さんのお腹の中にいるタイミングだった。
「主人は日本語が得意でなかったので、私は先生の説明にショックを受けましたが、主人は最初うまく理解できてなかったんです。当初、まぶたがちょっと垂れてきたと言って眼科に行ったのがきっかけだったので、眼科(がんか)と癌(がん)の音の重なりで、目の病気かなと思ったみたいで」
写真:肖香津美(SHIKISAI)/撮影:ラリーズ編集部
「家に帰って辞書を引きながら細かく説明していくうちに、主人の顔色が青ざめていきました。私も嘘を言えないので、そのときはしんどかったですね」
そこからの闘病生活で数えきれないほどの入退院を繰り返したが、肖さんはそのたびに元気になって家に帰ってきた。いつもパパと遊んでもらっていた上の娘は“注射打ったら治るんでしょ”くらいの病気だと受け止めていたほどだった。
写真:肖健成コーチ(写真右から3番目)/撮影:千島寛
うまく思い出せないあの頃
「あの頃は私もがむしゃらで、何度思い出しても何があったかあんまり思い出せないんです。ただ目の前にあることをやるだけで。赤ちゃんを無事産む、子供を学校に行かせる、主人が治療をこなせるようサポートする、と」
なにより、肖健成さん自身の前向きさと強さのおかげで、家族は何度も山場を乗り越えた。
そして、8年6ヶ月が過ぎた。
入院してもまた帰ってこられる、という祈りにも似た自信が家族に生まれていた2020年11月、肖さんは帰らぬ人となった。
享年47歳だった。
真っ暗だった3ヶ月間
亡くなってすぐ、長く張り詰めていた香津美さんの気持ちが切れた。
毎日ずっと家に籠もり、浮かぶのはマイナスの考えばかり。「なんか、もういいやって。真っ暗でした」。
3ヶ月ほど続いたある日、これでは二人の娘に申し訳ない、と思った。上の娘は寮に入っていたが、下の娘は毎日学校に行って帰ってくるのに、母親がずっと家で塞ぎ込んでいる。
「いま思い出してもカッコ悪かったです、私。いい年して何やってんだろうと(笑)」
写真:肖香津美(SHIKISAI)/撮影:ラリーズ編集部
「心が強い人だったから」
そこから、とにかく外に出るように、自分で動いてみた。
そこに、いまのSHIKISAIクラブの子どもたちとの出会いがあった。指導してください、と請われた。とにかく練習に顔を出して、家で一人にならないようにしようと思った。
すると、夫・健成さんと卓球の思い出が、前向きなものとして甦ってきた。
「主人ならどうやって指導するかな、この場面でなんてアドバイスしたかなって」
後ろを向くな、と夫に励まされたようだった。
「主人は明るくて前向きで、心が強い人だったので。私も同じようにやってみようと」
写真:肖香津美(SHIKISAI)/撮影:ラリーズ編集部
真剣勝負の収穫は
さて、小学6年生女子3人だけのSHIKISAIクラブの予選会の結果は。
一人が全農杯全日本ホカバに出場、二人が予選通過ならずだった。
「今回は広島県は各カテゴリーで4枠あったので、絶対3人とも全国行こうと、練習から遠征からいろいろ組んで真剣勝負してきました。申し訳ないけど今年は言わせてもらう、じゃないと勝てないよとコミュニケーションを取りながら。本当にみんな頑張ってきたので、二人が通れなかったのは、本当に私の力不足です」
今日一番の悔しそうな表情を見せた。
写真:女子ホープス1位の山本紋寧(SHIKISAI)/撮影:ラリーズ編集部
「でも、真剣勝負したおかげで、私も子どもも自己分析ができたので、そこは大きな収穫かなと思います」。
写真:念願の焼肉を頬張るホープス女子1位の山本紋寧(写真左)と野村真世(写真右)/撮影:ラリーズ編集部
試合後に、次どうしようかという話をすると「来月のホープス団体予選、絶対通過してみせる」と、子どもたちが香津美さんに強く誓ったという。
「このホカバ予選会の後、2日間休みを作るので心も体も休めてくださいと言ったら“いや、練習します”って。私が休みたいくらいに(笑)、本当にやる気のある子たちなので、その重みを感じています」
※編集部注:その後、SHIKISAIは6月に行われたホープス団体予選で優勝、全国ホープスへの出場を決めた。
写真:平川詩織(SHIKISAI)/撮影:ラリーズ編集部
声を大にして言いたい「ホカバは良い大会」
ホカバの1試合の後ろには、多くの人の思いと背景がある。
子どもにも、保護者にも、そして指導者にも。
「本当にホカバは良い大会ですよね、声を大にして言いたい」と香津美さんは力を込めた。
「いま、公園に行っても“大きな声出さないように”とか“子どもの声がうるさい”とか注意を受ける環境で遊ぶ子どもたちが、嬉しい、悲しい、わんわん泣いて、すごい喜んで、喜怒哀楽を思う存分出せる場所。子どもって、泣いて笑って怒って、で良いと思うんですよ。全国大会に行けなくたって、自分を誇りに思う子どもたちに成長しています」
写真:SHIKISAIクラブの野村真世(写真左)、平川詩織(写真中央)、山本紋寧(写真右)/撮影:ラリーズ編集部
取材の終わりに
口癖のように「感謝です」と口にする香津美さんに、“肖さんに一番感謝していることは何ですか”と聞いてみた。
少しだけ時間を置いて、“考えかたですね”と言った。
「主人はいろんな世界を見てきた人なので、考え方の許容範囲がとても広くて。中国電力での指導も、選手の個性や特徴を磨いて大会に送り出していました。“こうじゃなきゃいけない”じゃなくて、みんな違ってみんないい、個性を大切にする姿勢を、私も見習っています」
写真:肖香津美コーチ(SHIKISAI)/撮影:ラリーズ編集部
その一つの表れだろうか。
中学一年生になった下の娘は、春から中国で暮らしている。
「ママ、行ってみたい。すぐ帰ってくるかもしれんけど、やってみる」と、娘から卓球留学を切り出したのだ。
「主人がいつも下の娘に言ってたんです、“あなたは甘えん坊だから、心が強くならないといけないよ”と。いま彼女は、中国で主人に学んでるんだと思います」
亡き夫の中国の実家から学校に通い、卓球と、そして心の強さを学ぶ。そして、その成長を夫の家族たちが温かく見守る。
もう一つ、肖さんの来日依頼、闘病中もずっと支え続けた中国電力卓球部も、今も変わらず香津美さんや家族のサポートを続ける。今回の撮影も“肖さんの記憶が残る練習場で”、というお願いを快く引き受けてくれた。SHIKISAIクラブの子どもたちは、貴重な中国電力練習場での練習時間を満喫していた。
「どこまでも支えてもらって、本当に感謝しています」、香津美さんはまた“感謝”を口にして、笑った。
亡き、じゃない。思い出は、ずっと胸のなかにある。
物語は、始まったばかりだ。
写真:娘にアドバイスを送る肖健成/提供:肖香津美
動画はこちら
取材・文:槌谷昭人(ラリーズ編集長)
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