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肥後の小学生たちが本気で日本一を狙い、勝ち取った初優勝「会場の中で、うちが一番勝ちたがっていた」

卓球インタビュー 肥後の小学生たちが本気で日本一を狙い、勝ち取った初優勝「会場の中で、うちが一番勝ちたがっていた」

2021.08.27 取材・文:槌谷昭人(ラリーズ編集長)
8月18日、ロート製薬杯 第39回全国ホープス大会の女子の部で優勝したのは、熊本のヒゴ鏡卓球クラブだ。
これまで準優勝2回、3位2回と、どうしても届かなかった悲願のタイトルに、クラブ創設17年目にして初めてたどり着いた。

全国ホープス大会は、各地方予選を勝ち抜いた、1チーム3人〜4人の小学生が団体戦で争う、チーム戦としては小学生最高峰の大会だ。

「今回優勝した3人は、幼稚園の年長さんで同じ時期にクラブに入ってきたときから、日本一をずっと目指してきました」
“日本一を獲りに行って獲った”熊本のヒゴ鏡卓球クラブの秘密に迫るべく、竹本泰彦代表(51歳)にオンラインで話を聞いた。

山田あかり(右)、本郷蒼空(左)ペア(ヒゴ鏡卓球クラブ)
写真:山田あかり(右)/本郷蒼空(左)ペア(ヒゴ鏡卓球クラブ)/提供:卓球レポート/バタフライこのページの目次

  • [7 日本一の涙]()

始まりは“い草倉庫の2階”

竹本さん自身も、かつては壽屋、NEC九州などの実業団でプレーした卓球選手だった。壽屋でチームメイトだった偉関晴光氏とダブルスを組み、全日本社会人ダブルスで準優勝した経験もある。卓球選手だった奥さんと結婚した後、地元・熊本県八代市に卓球クラブを作ったのが約17年前だ。“ヒゴ鏡”というクラブ名は、南熊本、肥後の鏡町というその場所に由来している。

その出発地は、竹本さんの実家の“い草倉庫”の2階だった。
「私の実家が、い草農家だったので、その倉庫の2階に手作りで赤マットだけ敷いて卓球台を3台置いて。1階は農機具を置いていたので2階にしたんですが、屋根は瓦だけでエアコンもなかったので、夏の日中が本当に暑くて暑くて(笑)。時間をずらして練習してました」
目を細めて当時を懐かしむ。

ヒゴ鏡卓球クラブの出発点・い草倉庫2階の卓球場
写真:ヒゴ鏡卓球クラブの出発点・い草倉庫2階の卓球場/提供:竹本泰彦氏過酷な環境の中でも、評判を呼び徐々に生徒が増えてくる。一年半ほど“倉庫卓球場”を続けた後、意を決した竹本さんは借金をし、新しい卓球場を作ることを決めた。
「親戚や周囲には反対されましたけどね。“卓球で飯が食えるか”って」

現在のヒゴ鏡卓球クラブ練習場
写真:現在のヒゴ鏡卓球クラブ練習場/提供:竹本泰彦氏

「うるさいオヤジですよ(笑)」

「子どもたちは、僕のことを卓球以外のほうがうるさいって言うと思います」と笑うのは、その指導方針だ。
学校の宿題をしていないと練習させない。お母さんから部屋の整理整頓ができていないと聞くと「まず、部屋を片付けてから練習においで」と諭す。
人の嫌がることを言うな、するな。落ちているゴミは拾う。スリッパが乱れていたら揃える。保護者の方には目の前まで行って挨拶をする。
「だって、卓球はいつか卒業するんです。その後にやっていける人間力向上のほうが大事。もちろん、日本一・日本代表は目標なんですけど」

子どもたちとグータッチをする竹本泰彦監督
写真:子どもたちとグータッチをする竹本泰彦監督/提供:Nittaku卓球ノートを忘れたらボール拾い。ボールを踏んだらトレーニング。
「うるさいオヤジですよ」と自嘲するが、その情熱と確かな指導哲学で、クラブは少しずつ成長を続け、コロナ前には60名を数えるほどになった。

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