卓球中国代表とのシューズ契約が転機 ミズノ、卓球業界挑戦の歴史[PR]
ターニングポイントとなった中国代表チームとの契約
2003年には福原さんが14歳で世界選手権に初出場し、ミズノのシューズを履いてプレーした。その効果もあり、卓球シューズのシェアが伸び始めた。
写真:2003年世界卓球でミズノのシューズを履いてプレーする福原愛さん/提供:アフロそして、ミズノの卓球事業のターニングポイントとなる出来事が2007年に訪れる。
“卓球王国”中国代表チームがミズノとシューズ契約を交わしたのだ。これがミズノの卓球シューズのシェアを飛躍的に伸ばすこととなる。
きっかけはここでも福原さんだった。
ミズノシューズを着用している福原愛さんの影響が、よく練習に訪れていた中国でも話題となり、試してみたいという中国選手の要望が多く上がってきた。
シドニー五輪のシングルス・ダブルス、アテネ五輪のダブルス金メダリストの王楠(ワンナン)がミズノシューズを履いたことも大きなターニングポイントとなった。
写真:2007年世界卓球でミズノのシューズを履いてプレーする王楠(ワンナン・中国)/提供:アフロ「中国代表からも『満足できたら契約したい』とシューズについての話が来た。現地に行ってシューズのプレゼンをすると『ミズノのシューズは良いね』と評価された」。
代表全員が満足することが条件だったため、社内の開発担当も含め、半年以上をかけて各選手用にシューズを調整した。その甲斐あって、2007年1月、ついにミズノは正式に卓球中国代表チームとシューズ契約を結んだ。北京五輪では金メダリストの馬琳(マリン)や張怡寧(ジャンイーニン)を含めて、中国代表がミズノシューズでプレーした。
「それまでミズノのシューズの日本国内の評価は、軽くて柔らかいという特徴から女子選手のシェアが高かったが、でも馬琳(マリン)、王皓(ワンハオ)ら中国男子選手もミズノを履き始めた。そこから日本の男子選手も履き始めましたね」。ミズノの卓球事業は徐々に拡大していった。
そしてラバー開発へ
もう1つ、ミズノの卓球事業を振り返る際に欠かせない出来事がある。
2006年のラバー発売だ。
「中国代表とのシューズ契約の話が進んでいた頃、ラバーを出しているんですよ。相乗効果でシューズもラバーも売れた。ミズノの卓球事業の売り上げが伸びて、社内のバックアップ体制も徐々に整いだして、卓球事業の風向きが変わりましたね」と玉山もターニングポイントとして挙げる。だが、卓球用具開発は試練とも言える出来事の連続だった。
(第3話 ラバー事業に新規参入も売れず 卓球事業存続へミズノが決行した“イチかバチかの賭け” に続く)
取材:槌谷昭人(ラリーズ編集長)
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