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宮城で東京五輪を観戦した人は、どんな気持ちだったのか? 観戦者に聞いてみた

コロナ禍で行なわれた東京オリンピック。ホストタウン・東京を中心に発出されている緊急事態宣言の影響を受け、ほぼ全ての会場で無観客開催となった。

そんななか、宮城県では7月21日からサッカー競技が男女合わせて10試合開催された。反対を受けながらも有観客開催を実施した村井嘉浩知事は「やって良かった。選手、観客、ボランティアはいい思い出が作れた」と評価したが、果たして本当に“いい思い出”は作れたのだろうか? 実際に観戦した人に聞いてみた。

観戦することの後めたさ

コロナ禍においては、スポーツ観戦自体を悪とする風潮がある。五輪開幕前から、プロ野球やJリーグは観客数の上限以内で有観客開催を行なってきた。会場内では検温やアルコール消毒などが徹底され、これまでに大規模なクラスターは発生していない。

しかし、不要不急の外出を避け、ステイホームを徹底し、やりたいことを我慢している人たちから見ると、大人数でスタジアムに集まり娯楽を楽しむ姿は悪目立ちしてしまう。それが、開催自体を否定的に考えられていた五輪なら尚更だ。

7月28日に行われた男子一次ラウンドD組のドイツvsコートジボワールを観戦した宮城県在住の会社員・石川さん(仮名)も、後めたさを感じながらスタジアムにやってきた1人だ。サッカー観戦が好きで、当初はチケットの当選を喜んでいた。

しかしコロナの感染が拡大し、大会直前の7月8日にも緊急事態宣言が発出されたことで1都3県の無観客試合が決定。さらには北海道、福島県も相次いで無観客が決まった。

「宮城も無観客になっていたら、他会場の状況を考えても理解できたと思います」

しかし宮城県は、県の方針により上限1万人の有観客で開催することを決定。「自国開催の五輪を生で観戦できる機会は、生きている間に二度と訪れないでしょう」。貴重な機会を手にした石川さんだったが、感染拡大を受けて「ギリギリまで観戦するかどうか迷いました」と素直に喜べなかった。

五輪を楽しむことがタブーとされていることは、宮城の街中を見ても一目瞭然だ。本来であれば五輪開催を歓迎するイベントが、駅や街中など至るところで行なわれ、街灯には東京五輪のフラッグがなびいていたはず。実際はそういった催し物も“自粛”。「県内で五輪が開催されていることを実感している人は、ほとんどいないのでは」と思えるほどだ。

再びスポーツを楽しむ世の中に

五輪の雰囲気を感じられない状況は、スタジアムでも同じだった。いつもなら飲食店やグッズ売り場など様々な出店が並ぶスタジアム周辺だが、かろうじて五輪公式ショップが1店出ていただけ。

もう当たり前の風景となった検温とアルコール消毒を済ませてスタジアム内に入っても、コロナ前のような心が躍る非日常はなかった。最大で4万9000人が収容可能な宮城スタジアムだが、石川さんが観戦した試合は数千人がバラバラと散らばって試合の行方を見届けていた。

「2年前にここで日本代表戦が行われましたが、その時と比べると圧倒的な静けさ。ピッチ上の選手や監督の声が、よく聞こえました」

コロナ禍ながらも有観客で実施された五輪を振り返り、石川さんは「和やかな五輪という特別な記憶が残るのも悪くないんじゃないかなって思います。ピッチ上で歓喜するコートジボワール代表の選手を、ゆったりと眺めていた夜のことは一生忘れません」と前を向く。

もっとも、興奮したかどうかは別の話だ。

コロナ前には満員の観客の中、国を背負って懸命にプレーする選手たちに興奮し熱狂する雰囲気を待ち望んでいた。しかし実際に目の前には閑散としたスタンド、声援はなく、バラバラな拍手が響く殺風景な絵に見えた。

「その中で興奮したかと言われると…微妙です。五輪特有の雰囲気を味わえたとは思えません。適切な表現ではないかもしれませんが、日曜の午後にマイナースポーツを観戦したような雰囲気でした」

“一生に一度の思い出”となるはずだった五輪観戦は、思い描いていたものとはかけ離れたものとなってしまった。

だからこそ余計に強く感じたことは「再びスポーツを楽しむ世の中になってほしい」ということ。以前のように無邪気にスポーツを楽しめる状況ではないことを理解しながらも、withコロナの時代に、再びスポーツの熱狂、感動、興奮をスタジアムで感じることができる世の中になることを願うばかりだ。

■クレジット
取材:川嶋正隆
写真:ユーザー提供

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