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【鎌倉天幕】”唯一無二”の嵐!オーバークオリティにも納得のバックグラウンドを解明

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数々のアウトドアブランドからオファーが来るテントのプロ

使う人のことを考え、テントに求められるものを熟慮したうえでTPOに合わせて特化させるべきところを決めるのが鎌倉天幕の信条

誰もが知る有名アウトドアブランドが信頼し、自社製品の品質を委ねている「ニューテックジャパン」。OEMのみならず、マーケティングから企画、製造までを自社で一貫して行う「ODM」も得意としており、知識と技術の高さは業界で知らない人はいません。

鎌倉天幕(かまくらてんまく)は、そんなニューテックジャパンがアウトドア仲間のために立ち上げた自社レーベル。――と、ここまでは割とよく聞く話なのではないでしょうか?でも、そもそも鎌倉天幕の技術や知識ってどうやって積み上げられてきたのか。代表の白石徳宏さんはどんな人なのか?

今回は、そんなバックグラウンドストーリーにスポットを当ててみました。

「仲間のため」のアイテムだからいつだって最適解を追求

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中国のテント工場で経験を積んだ稀有な日本人

キャンプに欠かせないテント。実は、オートメーション化がこれだけ進んだ現代でも、その縫製は全てミシンを使って人の手で行われています。

戦後間もないころまでは国内でも製造がおこなわれていましたが、現在ではそのほとんどが中国やタイ、ベトナムなどの海外。日本からテント産業がなりをひそめて久しい1992年、20代だった白石さんは、中国へ渡りました。白石さんの父親が韓国系テントメーカーの日本法人を立ち上げたばかりで、「中国福建省にある工場へ行かないか」と言われたのがきっかけです。

右も左もわからないまま訪れたその工場では、世界中のアウトドアブランドのテントがつくられていました。

白石さんが実際に働いていた中国のテント工場

実際に手を動かしてテントをつくり、企画を立て、アウトドアブームの中で次々と生まれるニーズに応えてアイデアを出す。その環境とここで得た人脈は、現在も白石さんにとって宝物。帰国後、ニューテックジャパンとして独立してからも多くの有名アウトドアブランドがニューテックジャパンを指名するのも納得です。

中身が伴ったテントをつくるためにアウトドアにどっぷり

白石さんのアウトドア体験についても少し触れておきましょう。

小学校5年生のとき、塾の友達と神津島でキャンプをしたのが初めてだったという白石さん。「当時のキャンプ用品でキャンプをするのは大変でしたが、今でも鮮明に記憶に残っています」と当時を振り返ります。しかし、それ以外では大人になってからツーリングをしていたくらいで、テントを使うようなアウトドアはあまりしていなかったそう。

ヒマラヤトレッキングに向かう白石さん

今でこそ、ガレージブランドはオーナーがアウトドア好きで、つくることもやって…というのが当たり前ですが、当時、しかも世界中のテントを手掛けるメーカーで、アウトドアを楽しむつくり手はほぼ皆無でした。

そこで、「テント職人としても、アウトドアの趣味人としても、両方の立場で考えられる企画開発者になりたい」と、みずからがつくったテントでヒマラヤトレッキング、モンゴルでバイクツーリング、アメリカ西海岸をキャンピングカーで縦断など、大スケールでのアウトドアを楽しむように。

今では、釣りやサーフィン、ダイビング、スキー、スノーボードなど、レジャースポーツ全般も楽しんでおり、その経験をものづくりに生かしています。


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