THINK SPORTS『審判』

 

スポーツの試合には、審判の存在がある。アマチュアのスポーツ愛好家の人たちは、自分が選手になるだけでなく、審判もやるケースが多いだろう。

 

プロスポーツの世界では、プレーの判定をする審判はかなり重要で、誤審などがあるといつも大問題になる。該当の審判員が各方面からかなりたたかれることも。このときに「プレーしているほうは生活がかかっているのに許せない」といった意見や、反対に「いや審判も人間なのだからミスはある」といった寛容な意見がよく飛び交うが、なかなか落としどころは見つからない。

 

例えばサッカーの場合、最初は審判という存在がいなかったそうだ。プレーする者同士が「今のはこっちのスローイン」「今のはあちらのファウル」と、自分たちで判断して決め、試合を進めていた。

 

プレー中に問題が起こったときは、両チームのキャプテンが話し合って解決していたという。そうしたなかで、第三者の意見を参考にするということで、次第に審判の存在が出てきたのだそうだ。

 

つまり、元々は判定を当事者同士で判断・決断していたという精神が大事なのだろう。審判の存在は、本来は自分たちで判定を決めるところを、審判に「判断をお願いしている」というスタンスなのである。

 

審判、プレーヤー、相手。スポーツにはお互いへのリスペクトが絶対に必要だ。その前提でスポーツが成り立っていることを意識して楽しまなければいけない。

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