
2025年10月24日。長野県長野市で開催された、第32回全日本スピードスケート距離別選手権大会。
女子500mのインレーンでスタートを待つのは、2026年ミラノ コルティナ オリンピック出場を目指す稲川くるみ、26歳。

ワールドカップ派遣メンバーを決めるこのレースは、つまりオリンピック日本代表への第一関門。稲川はスタートのブザーと共に、磨き上げたダッシュを決める。
トップスピードに乗るかつての天才少女は、この後見舞われるアクシデントなど想像すらしていなかった……。
少し時を遡る。稲川と出会ったのは、彼女が練習拠点とする北海道帯広市のオーバルリンク(卵型の屋内スケート施設の呼称)。
すぐにはリンクに立たず、入念なアップトレーニングをおよそ60分。
コーチもチームメイトもいない、孤独な環境を彼女はあえて選択している。それには入念なアップと共通した理由があった。
三姉妹の末っ子に生まれた稲川くるみ。姉たちの後を追い、初めてスケート靴を履いたのは3歳の時だ。
「ルールが自分の性格に合っていたんだと思います。タイムを競うということが」
小学生になると毎朝1時間、学校が終わってから2時間、友達と遊ぶこともせず休みもせず、自らも進んでスケート漬けになった。
そんなストイックな日々は実を結び、小学生で88回もの優勝を手中に収める。天才少女と呼ばれ、将来を期待されるのは当然だった。
だが、卒業を迎えるころ幼い体が悲鳴を上げる。練習中、体に違和感を覚え、医師の診断を仰ぐと……。股関節の疲労骨折だった。

「軽く見ていたけど、軽い練習もしちゃいけないくらいのケガでした。友達と会うこともできず、スケート一色の毎日だったので、正直ちょっと疲れていたんですよね」
稲川は中学生になったが、治療に専念した2年間、伸び盛りの大事な時期にスケートから遠のく。
3年生になって少しずつ氷を滑り始めたものの、いつまた痛めるか分からない不安に怯える毎日。以前の強さは影を潜め、やがてスケートへの情熱さえ失われた。
そんな彼女に、希望の明かりを灯した人物がいる。現在も帯広三条高校のスケート部顧問を務める、後藤陽(ごとう あきら)監督。
「帯広での中学生のレースでレフリーをやっていて、たまたま彼女の滑りを目にしたんですが、身長が高いのに最初の100mが速いんですよ。だから、すぐに結果が出せるんじゃないかと直感しました」
スピードスケートでは通常、背の高い選手は後半にスピードを上げて記録を出す。だが、稲川はスタートから速いのだ。後藤監督は彼女にスプリンターとしての可能性を見出していたのである。
稲川は中学卒業後、帯広三条高校へ入学し後藤監督の指導を仰ぐ。
「ろくに成績も出してないうちから(勝てると)信じてくれて、実際に優勝できるようになった。できると断言してくれたことで、自分もそう思えるようになったんです」
高校では全道(北海道)、全国、そして世界を舞台に成績を残し、彼女は蘇った。
その後、大学生活を経て支援を申し出てくれた企業に就職すると、2023年の全日本距離別選手権500mで優勝。遠回りをしながらも、ついに彼女は日本のトップスケーターの一人となった。
そして今、稲川はチームに所属することなく、孤独なトレーニングを続けている。

その多くの時間を基本動作の反復練習に費やす、独特な練習法。あの悪夢のような股関節のケガは完治しているが、それでも常に自分の体に問いかけながら、ハイペースにならないように気をつけている。通常なら根を詰めて練習するところでも、絶対に無理はしない。
自分のペースは自分で決める。チームに所属していれば、単なる我がままともとられかねないだろう。だからこそ稲川は、たった一人で己を磨く道を選んだのだ。
必要とあれば、今も恩師と慕う後藤監督からアドバイスを受ける。2025年1月のワールドカップ。自己ベスト37秒24をたたき出しての銅メダルは、その賜物だという。
「(ワールドカップで)メダルをとったとき、これがオリンピックだったらどんなに素晴らしい世界なんだろうって、ふと思ったんです」
大きな夢ができた。それは、稲川のステージをさらに高く押し上げていく。
ある日のオーバルリンク。稲川はいつもとは違う練習に臨もうとしていた。
地元の強豪スケートチーム[team passion]との合同練習だ。他の選手としのぎを削り、一人では成し得ない部分の技術を高めたい……。彼女は自ら協力を要請したという。
稲川の課題は走行中に疲れが出てきたとき、粘れずにスピードが落ちてしまうこと。練習から競うことで、スピードを落とさず滑っていく技術が学べるのだ。
「私は後半にかけて姿勢が持ち上がってきてしまうので、最後まで同じ姿勢で滑りきれるように、持久力と合わせて少しずつ強化していきたいんです」
5人で隊列を作り滑走。徐々にスピードを上げていく。滑走姿勢は[team passion]の三輪準也コーチにチェックしてもらう。
ここでも稲川は、限界を超えないように心がけている。だが、それはケガのことを考えているわけではない。
「動作が速くなればなるほど一時的なタイムは出ますけど、それではレースにならないんです。疲れてきたときでも、ペースが落ちない練習をしたいんです」
久しぶりに孤独から解き放たれ、稲川は貴重な時間を過ごしていた。
ワールドカップ代表メンバーの選考を兼ねた、2025年の全日本スピードスケート距離別選手権大会を3週間後に控え、稲川は陸上での自転車トレーニングに勤しんでいた。
代表メンバーとしてワールドカップで好成績を収めれば、その先にはミラノ コルティナ オリンピックが見えてくる。
「これまでのことが発揮できれば、結果はついてくると思っています。最初の100mでタイムを稼いで、後半も姿勢を変えず大きな滑りでペースを落とさない。これですね」
3週間後に備え、稲川は複数のレースを間に詰め込んだ。無理はしない彼女がここまで自分を追い込むのは、強い決意の表れ。過酷な3週間に飛び込んでいく。
2025年10月24日、全日本スピードスケート距離別選手権大会。
稲川は、初日の500mと二日目の1000mにエントリー。それぞれ4位以内に入れば、ワールドカップ派遣が決まる。むろん目指すのは表彰台、そして優勝だ。
500mのレース、稲川が自分の滑走順を待っている。
会場には、帯広三条高校を引率してきた後藤監督の姿もある。心強い。
最終組、稲川の滑走順。現在のトップは昨年の覇者、吉田雪乃選手の37秒50。勝つには自己ベスト37秒24に迫るしかない。
『セット』
そしてスタートのブザー。勢いよく飛び出した稲川。最初の100mを10秒60のまずまずのタイムで通過した。だが、心なしか動きが重い。
課題の後半、稲川は思うようにスピードに乗れない。結果は、38秒40、4位。
500mでのワールドカップ出場は約束されたが、表彰台にすら上がれなかった。
『何かがおかしい』
このとき、すでに異変は始まっていた……。
翌25日、女子1000m。
レース前のウォーミングアップ。かつて苦しみ抜いた股関節に、かすかな違和感を覚える。あのときの疲労骨折が脳裏をよぎった。
それでも4位以内で滑る自信はあった。だが、ワールドカップ出場権のために無理をする必要はあるのか? 目標はあくまでもオリンピック。500mではすでにチャンスの尻尾はつかんでいる。
考え抜いた末、稲川は自ら決断を下す。棄権、勇気ある撤退だった。
「この大会(距離別選手権)に照準を合わせて調整してきたつもりでしたけど、3週連続のレースで疲労が溜まっていたみたいです。オリンピックに向けてはもっと過酷になってくると思うので、新たな課題が浮き彫りになりました」
診断の結果、違和感の原因は股関節深部の筋肉の炎症。幸い、大事には至らなかった。
今後は500mに的を絞り、今度こそ体の声を聴き、万全を期してオリンピック出場に懸ける。
2026年2月、ミラノ コルティナの地に立つ自身の姿を思い浮かべて……。スピードスケーター・稲川くるみの熱い冬が始まる。
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