
今年5月、中国で開催されたアジアカップ。強豪タイと決勝で激突したのは、日本。
勝てば秋にフィリピンで開催される、女子フットサル初のワールドカップの出場キップを獲得できる。
試合は両国一歩も引かない大接戦! PK戦にもつれ込んだ末、歓喜の雄叫びを上げたのは、日本! 悲願のワールドカップ出場がかなうのだ。
興奮冷めやらない日本代表チーム、その輪の中心に、松本直美がいた。
松本の日々は忙しい。フットサルのトッププレーヤーであると同時に、雑誌の取材にラジオ出演。ジムインストラクターとして働き、自身が立ち上げたブランドも運営する。
彼女はそんな多忙な日常をインスタグラムで展開し、フォロワー数はもうすぐ5万。しかし……。
「SNSとかでは、すごく明るいところだけを載せてますけど……。やっぱりしんどいときもありますよ」
まるで自分自身を追い込むかのように、精力的な活動は続く。
松本が背負っているものを探るために、彼女の生き方を追いかけた。
6月中旬の福井県。ここで女子フットサルのトップリーグ、〈ウーマンズ・エフリーグ〉が新シーズンを迎えた。
このリーグに参加するのは、全国各地の11チーム。だが、まだプロリーグ化には至らず、故にチームからの報酬はないのが現実。多くの選手が生活の糧を他所に求めながら、戦っているのだ。
松本所属の〈バルドラール浦安ラス・ボニータス〉は、一昨年までに4連覇を達成したリーグ屈指の強豪。しかし、昨シーズンは5連覇を逃し、王座奪還に燃えている。
開幕戦の相手は、エスポラーダ北海道。試合開始のブザーが鳴り響いた。
ここで少し、フットサルについて触れておこう。
試合はバスケットボールより少し広いコートで、前後半合わせて40分。コートに立つのは1チーム5人だ。
また、各ポジションの呼び名には、フットサル独自の文化が存在する。
ゴールを守るのは〈ゴレイロ〉。守備の要であり、後方から攻撃の舵をとる〈フィクソ〉。サイドから攻守にわたり、素早い切り替えが求められる〈アラ〉。そして、前線で攻撃の起点となる〈ピヴォ〉。
選手交代に制限はなく、審判の許可を得ずに何度でも自由に入れ替えられる。
松本のポジションは〈左アラ〉。積極果敢なディフェンスと、相手を掻き乱すダイナミックなランニングが彼女の大きな武器だ。
試合は前半2分、バルドラール浦安が先制し、前半終了間際にも追加点。
しかし後半開始早々、エスポラーダ北海道にゴールを奪われると、試合の流れは一変。緊迫したこう着状態が続く。
途中、松本が鋭い抜け出しでチャンスを作るも、ゴールは奪えない。それでも、チームに流れを引き寄せようと粘り強い守備を見せる。
すると後半12分、相手ゴール前の密集で松本の前にボールがこぼれてきた。
今シーズン初ゴールは貴重な追加点となり、これで勢いづいたチームは本来の実力を発揮。終わってみれば、7対2の大差で開幕戦をものにした。
「勝てましたけど、(自分自身で)攻撃のリズムを作ることに課題があります」
試合の翌日、休養もそこそこに松本は始動する。
まずは定期的に通う、パーソナルジムでのトレーニング。
肉体のポテンシャルを引き出すことを目的に、特殊な器具を使ってインナーマッスルを徹底的に鍛える。これによって体幹が安定し、コート上で前後左右の動きに素早く対応できるのだという。ディフェンスを強みとする松本には、欠かせない能力だ。
『やばい』『きつい』とぼやきながらも、彼女は与えられたメニューを完遂する。
トレーニングの後も、息つく暇はない。
「私がよく行くカフェで、スポーツサイクルアップイベントの打ち合わせです」
スポーツアップサイクルとは、使えなくなったスポーツ用品の再利用のこと。松本は昨年もこのイベントを企画、開催していた。
「パンクしたボールや、使えなくなったスパイクとか結構出るので、それを新たなモノに変えられるアップサイクルのイベントは積極的に開催したいんです」
これまでも〈ナオミキカク〉と題し、自ら企画した数々のイベントを実行している。
今年1月にはタイ・バンコクでフットボールクリニックを開催。異国の子供たちとフットサルの喜びを分かち合ったという。
「現役の今だからこそ、子供たちに伝えられることがあると思ってます。だからやりたい、やってます」
やりたいことは後回しにせず、本気で追いかける。それが彼女のルールだ。
兄の影響で、松本がサッカーを始めたのは5歳のとき。男の子に混じってボールを追いかけた。
高校生になると、ジェフユナイテッド市原・千葉の育成組織で本格的にサッカー漬けの日々を送る。
そして3年間、身も心も捧げ、達成感とともにスパイクを脱いだ。
高校卒業後は、父が料理人だったこともあり調理師免許を取得。ホテルの厨房で働いたが、一度は離れたボールとの縁は、まだ結ばれていた。
「サッカーを辞めて2年ぐらいボールを蹴っていなくて、そんなときに知り合いのフットサルチームの監督から『遊びにおいで』って誘われたんです。それがだんだん楽しみになって」
彼女の中で、日に日にフットサルへの想いが募る。そして決断した。
「年齢的にも、フットサルを本気でやるには今しかないと思って、やりたいことをやるために(ホテルに)辞表を出しました」
そんな松本の覚悟は、本物だった。あっという間にスキルアップを果たすと、退職後わずか3年で、国内屈指の強豪バルドラール浦安に入団。ついには日本代表にも選出されたのだ。
平日のバルドラール浦安のチーム練習は、夜。松本は日中、ジムトレーナーとして働いている。
指導しているのは、専用スーツに電気を流しながら運動を行うEMSトレーニング。
「今働いてますけど 休憩中には一人で(スーツを)着てトレーニングしてます。これでストレッチをすると、可動域を広げる効果もあります」
松本はこの仕事に限らず、自分がやりたいことへの努力を惜しまない。
2024年には、昔から興味のあったファッション分野にも進出。アパレルブランドを立ち上げ、デザインや運営に携わっている。
なぜこんなにも、彼女は心を燃やせるのか。すべてはフットサルへとつながっていく。
「結構しんどいときもあるんですけど 女子のフットサルはプロ化ができていないという現実があって……」
女子フットサル界を盛り上げねばならない、自分の立場を理解していた。
「現状を変えたい思いは常に持っていますけど、現実は甘くないので、自分ができることは(ピッチの中でも外でも)しっかり結果を出していくことだと思っています」
その日、とあるスタジオに、いつになく念入りにおめかしする松本の姿を見つけた。
サッカー専門メディア、フットボールゾーンの取材を受けるのだ。
一方で、自身で企画するイベントにも力を注ぎ、さらには収入を得るためのジムインストラクターに、アパレルブランドの運営。日本のトッププレーヤーでありながら、幾つもの別の顔を持つ松本だが、内に秘める思いは一つだ。
「女子のフットサルを、大勢の人に観てもらえる環境を、私が表に立って積極的に発信していきたいんです」
夜。バルドラール浦安のチーム練習で、松本は己の課題に向き合っている。
それを見守る、米川正夫監督は話す。
「(すでに高水準のスキルを持つが)あとは自分で相手を剥がして(振りきって)シュートを打ったり、決定的なパスを出したりっていうところのプレーですね。これがもっとできるようになると、もう替えの効かない選手になると思います」
この秋に控えるワールドカップは、フットサルの環境を大きく変える、またとないチャンス。それは間違いないが、一人の選手として見ればワールドカップ出場に保証がないのも事実だ。彼女がいう『現実は甘くない』とは、まさにこのことだろう。
だからこそ、松本直美は全身全霊で立ち向かう。
(後編に続く)
Follow @ssn_supersports