
近藤亮太 小林香菜・2025世界陸上東京大会マラソン日本代表「それぞれの夢を乗せて」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
長崎、そして徳島。今、それぞれの地で、きたる大舞台に向けて走り続ける、2人の若きマラソンランナーがいる。
今年9月、34年ぶりに東京で開催される陸上競技世界最高峰の舞台、世界陸上。
そのマラソン日本代表の座を勝ち取ったのが、近藤亮太と小林香菜。共に彗星のごとくマラソン界に降り立ち、一躍その名を知らしめた逸材だ。
2人の歩んだ道程と、ひた向きに走る姿を追いかける。
【近藤亮太】
今年2月の大阪マラソンで、初のフルマラソンに臨んだ近藤亮太。
スタートから先頭グループにくらいつき、40㎞地点でスパート! 一気にトップに躍り出る。
ゴール直前で海外選手にかわされたものの、タイム2時間5分39秒は。初マラソンにおける日本最高記録であり、歴代でも5番目の好記録だった。
この成績が評価され、近藤は日本代表に選出されたのである。
長崎県長崎市。近藤が所属する三菱重工マラソン部は、毎朝5時半、15㎞のロードランで始動する。
近藤は現在、世界陸上に向けて調整中。だが、仲間との毎日のルーティーンは欠かさない。市街を走るその表情は、どこか楽し気だ。
ロードランを終えると、すぐにシャワーを浴び、寮の食堂で朝食。9時からの仕事に備える。
隣の席に座ったのは、ケニア出身のチームメイトで同期入社のコリル。彼は世界陸上ケニア代表の選考大会に出場するため、間もなく一時帰国するという時期だった。
やはり同期の松倉唯斗も加わり、束の間の談笑に耽る。
「(コリル談)亮太は優しい。いつも私たちにフランクに、そしてフラットに接してくれる。でも、走ることにはストイック。自分より強い選手がいれば、素直に教えを乞う。彼は絶対一番になる」
松倉が『グッドコメント!』と拍手を送れば、近藤も『もっといって』と調子に乗る。
マラソンはあくまでも個人競技。しかし競い合い、刺激し合う仲間が、間違いなく近藤の支えになっている。
近藤の職場は、航空機用エンジンの設計、製造を担う三菱重工航空エンジン。ものづくりが大好きだという近藤。だから、この職場は気に入っている。
「試合の後は『見たよ!』『ワクワクした!』とかいってくれて、(凱旋で)会社に帰ってきたときはいつも、いい走りができてよかったなと思います」
直属の上司・青山和磨さんも、近藤への期待を話してくれた。
「人懐っこい一面を持っていて、応援したくなっちゃうんですよね」
近藤は中学時代、800mや1500mでは勝てなかった相手に、3000mで勝ったことがある。これが長距離種目への芽生えだった。
「もっと距離の長い種目なら、自分は勝てるようになるんじゃないかと。ゆくゆくは42・195㎞を走ってみたいと思うようになりました」
だが、島原高校時代は国体にこそ出場したものの、全国区の選手にはなれなかった。
進学した順天堂大学では、箱根駅伝で走ることを目指すもレギュラー争いに苦戦。初めての舞台に立ったときは、すでに4年生となっていた。この年の順天堂大学は総合2位。近藤は最終10区を走り、ゴールテープを切っている。
卒業後は自ら売り込みをかけていた地元長崎の名門、三菱重工マラソン部へ。
経験豊富な先輩や、志高い同期たちと切磋琢磨する中、トラック長距離種目や駅伝、ハーフマラソンで実績を積み上げ、2024年の終わり、ついに本格的なマラソン練習をスタートさせる。そしてわずか2カ月余り、前述のとおりフルマラソン初挑戦で驚異の記録をたたき出したのである。
近藤は決してエリートランナーではない。だが恐るべきことに、彼のここまでのキャリアは、すべて計画通りだった。
「(中学時代から)少しずつ少しずつ記録を伸ばして、高校生のトップレベルの実力には3年生で到達する。国体出場はその成果です。大学でも、4年かけて何とか箱根駅伝に出られるレベルまで、少しずつ積み上げていきました」
三菱重工マラソン部に加わってからも変わらなかった。用意周到に初マラソンへの布石を打っていったのだ。
「今やるべき最大限のことを、毎日続けていった結果です」
実は努力の才能の塊。それでもマラソン部の黒木純(じゅん)総監督は、近藤にはまだまだ伸びしろがあるという。
「集中しすぎて、硬くなってしまうようなところがあるので、さらに一つつひとつ経験を積むことで、クリアしてもらいたいと思っています」
仕事を終えた午後。近藤はトラックでスピード強化と、安定したピッチで走るためのトレーニングを行う。
フォームもタイムもムラのない走り。それを手に入れるには、己を律する力が必要だ。
「マラソンはコツコツやっていくものだし、結局は自分との戦いです。人生を映す鏡ではないけど、今まで食べたもの、走った距離、睡眠時間、そういうものが全部映し出されるのがマラソンだと思います。幸い、僕はこういう積み重ねが得意みたいです」
中学時代から、長期的な視野で実力を積み重ねてきた。その目には世界陸上の、さらにその先の未来まで映っている。
「まだ最高到達点に僕はいません。世界陸上も一つの通過点として、3年後のロサンゼルスオリンピックで世界と勝負して、メダル争いをしたいんです」
座右の銘が如く、コツコツと一歩ずつ。近藤亮太は大きな目標に向け、まずは世界陸上のスタートラインに立つ。
【小林香菜】
今年1月の大阪国際女子マラソンで会心の走りを見せた、小林香菜。
実力者、鈴木優花選手をピッタリとマークするレース展開。その終盤戦に、誰もが目を見張った。
「レース前半まで粘れればいいと思っていました」
結果は2位。日本人選手ではトップの成績で、世界陸上の座を射止めた。
ほんの2年前まで、小林は大学サークルで活動する一市民ランナーだったといえば、いったい誰が信じるだろうか?
鳴門海峡を望む、徳島県鳴門市。
大塚製薬陸上競技部で汗を流す、小林の姿を見つけた。彼女もまた、初出場となる世界陸上に向け、調整に余念がない。
そんな小林の経歴は、他のアスリートとはひと味もふた味も違う。といえば聞こえはいいが、要はユニーク。しかも超がつくほどのだ。
「とにかく運動が苦手で、家族も親戚もみんな全滅です」
子どものころは、運動にはやる気も興味も湧かなかったという。
そんな彼女がなぜ? きっかけは中学での、参加が義務づけられた駅伝だった。
「運動ができる子がキラキラして見えてたんですけど、なぜかその子たちと同じくらい走れたんですよ! それが楽しくて」
走る楽しさを知り、自分の長距離の素質に気づいた小林は、そのまま陸上部に入部。すぐに頭角を現し、3年生でジュニアオリンピックの3000mに出場すると、なんと10位に食いこんだ。
だが、そのまま駆け上がるのかと思いきや、高校は陸上強豪校からの誘いを断り、進学校の陸上部へ。もともとは大の運動嫌い。トップレベルの環境で走り続けることに自信が持てなかったのだという。
しかも、高校では2度に亘って大きなケガに見舞われ、満足に活動することすらできなかった。
そして、早稲田大学進学後は体育会系の陸上部ではなく、「早稲田ホノルルマラソン完走会」というサークルに所属。一市民ランナーとして、楽しく走る日々を満喫する。
そんな彼女の心の奥底で燻り続けていたのは、競技への思いだった。
「楽しむだけでいいのかな? もう少し本気でやってみたいな、でもどうすればいいのか……」
葛藤の中、小林は後悔のないランナー人生を選択する。とはいえ、実業団チームで走ることを模索するも、サークル上がりの彼女にとっては至難の業。
探し回った末にたどりついたのが、大塚製薬陸上競技部だった。
拠点の徳島で長距離走の本格的なトレーニングを始めると、やはりそのポテンシャルは一級品だった。小林の本気は、瞬く間に開花する。
入社一年目の防府読売マラソンで、いきなり優勝をかっさらうと、息つく間もなく世界陸上への切符までもぎ取ってしまったのだ。
名伯楽の河野匡(かわの ただす)監督は、驚きを隠せず、そして興奮していた。
「(小林のような選手は)世界中どこを探してもいない。成長の速度が群を抜いてます」
練習での小林は、遠回りした分を取り返すかのように、ひた向きに自慢の高速ピッチを刻む。
振り返れば、どんな環境にいても、走ることだけはやめなかった。
「(走ることが)好きなんですよね、結局。それが私の最大の強みです」
近藤亮太、そして小林香菜。間もなく2人の大舞台[世界陸上]に、その人生が映し出される。
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