
2024年パリオリンピック。
近代五種競技・日本代表の佐藤大宗(たいしゅう)選手が、射撃とランニングを組み合わせた[レーザーラン]のゴールテープを切ったそのとき! 日本近代五種史上初のメダリスト(銀メダル)が誕生した。
剣をとり(フェンシング)、泳ぎ(200m自由形)、そして撃って走る(レーザーピストル射撃とランニングの組み合わせ・レーザーラン)。キングオブスポーツの異名を持つ近代五種は、これらの競技をたった一日でこなす、過酷な戦いだ。
その近代五種を己の生きる道に選んだのが、世界最高峰の障害物レース[スパルタンレース]の日本チャンピオン、陣在ほのか(26歳)である。
彼女は2024年、近代五種にゼロからの挑戦をスタートし、いきなり全日本選手権出場を果たした逸材。
「競技種目の変更があって、私の経験が生かせるんじゃないかと思ったのが(競技を始めた)きっかけです」
近代五種はパリオリンピックを最後に、馬術種目を廃止。新たに[オブスタクル]を採用した。これは、さまざまな種類の障害物をクリアしていくタイムレース。某TV番組の【サスケ】をイメージしてもらえば分かりやすいだろうか。
スパルタンレース日本チャンピオンの陣在にとって、これはチャンスだった。
「アスリートとしてオリンピックは憧れで、(2028年ロサンゼルスオリンピックへの)希望が見えたんです」
だが、フェンシング、水泳、そして射撃はまったくの未経験。無謀な挑戦とささやく声も少なくなかった。
それでも、なぜ彼女は足を踏み入れたのか? 3年後のロサンゼルスオリンピック出場を目指して戦う、陣在ほのかの真実を追いかけた。
ある日、神奈川県の三増公園陸上競技場に、陣在の姿を見つける。
五種目のうちの一つ、射撃とランニングを組み合わせる[レーザーラン]の練習。
グラウンドを走る彼女にコーチはついていない。もともと陸上競技の選手だった陣在は、ランニングの練習メニューは自分で組み立てているのだ。
そして射撃の練習に入るのだが……。[レーザーラン]は、600メートルのコースを5周走り、1周ごとに射撃を行う。その射撃は10メートル先にある、わずか6センチの的に5発命中させなければならない。経験の乏しい陣在にとって、射撃は難関だった。
しかもレーザーピストルは、一丁800g以上と規定されている。これが想像以上に重く、安定した射撃姿勢をキープするのは難しい。現に、この練習中も……。
「全然当たんないよ……」
ランニングには自信があるが、射撃は今も重要課題の一つ。
「(難しいけれど)やればやるだけ、うまくなれる感覚はあります」
そういって笑う陣在の手指の爪は、かわいらしくデコレートされていた。
「せめて(爪くらいは)ね」
陸上競技を原点とする陣在は、女子800mで日本選手権にも出場を果たす全国レベルの選手だった。ところが、
「大学4年のとき、コロナ渦で(選手として)完全燃焼できない状況になってしまって。でも、まだアスリートとして頑張りたい気持ちも残っていて……」
そんなとき、知り合いから前述の[スパルタンレース]に誘われる。すると、コロナ禍で棒に振った陸上人生を取り返すかのように、陣在は努力を重ね、瞬く間に日本チャンピオンに輝いた。だが、彼女の心は満たされないままだった。
「日本で1位になっても、何も変わらない。世間から評価されないって、ものすごく寂しいんですよね」
マイナースポーツの評価を上げるには、見てくれる人を増やさなくてはならない。陣在は自ら競技を盛り上げるべく、自身が広告塔となってSNS配信を始める。今やフォロワー数は16万人を超え、成果は着々と現れていた。
その矢先の2024年、陣在は近代五種への無謀ともいえる挑戦に打って出た。
「新しいことにチャレンジして、もっと注目を集めたいと思っていましたし、アスリートにとっての最高峰の舞台に立ちたいという思いもありました」
最高峰の舞台、それはオリンピック。そこで自分が輝き、アスリートとしての正当な評価を受けることで、マイナー競技に取り組むすべての人の希望につながる。陣在はそう信じているのだ。
その日の夜、陣在はフェンシングの練習場に場所を移す。
「(初めてフェンシングに触れたとき)構えから戸惑いました。走るときは重心を高くするんですけど、フェンシングはその逆で重心を低くするスポーツなので」
フェンシングのコーチを務める、安雅人さんはいう。
「まだフェンシングの動きに慣れておらず、自分の持っているものを生かせていない状況ですね。それでも身体能力が高いので、それをフェンシングの中で昇華できれば化けると思います」
現在の実力は中の下だという。だが競技を始めて一年で、このレベルは驚異に他ならない。練習では悪戦苦闘する陣在だが、その表情が意外と晴れやかなのも印象的だ。
「できなかったことが、できるようになっていくことしかないので楽しいです」
ロサンゼルスオリンピックまであと3年。それまでに世界と戦えるレベルに到達しなければならない。課題は山積みだが、彼女はそのクリアを楽しんでいるようだった。
オフの一日。陣在の自宅を訪ねる。
この日は普段から友だちのように仲の良い、母の恵さんと料理を楽しむという。
「料理はほぼ毎日してます。他のことを考えなくていいから好きなんです」
母と共に、手際よく調理していく。メインメニューはハワイ風の海鮮丼らしい。
「おいしいものを彩りよく、バランスよく食べるということを大事にしてます」
笑顔で海鮮丼をほおばる陣在を前に、母・恵さんに話を聞く。
『オリンピックを目指す娘をどう見ていますか?』
「チャンスだねっていいました。実現できるかどうかは努力次第ですけど、オリンピックを目指せるだけでも幸せなことだと思うので」
無償の愛で応援してくれる家族の存在。だから陣在は頑張れる。
その朝、屋内プールに陣在が現れた。
近代五種の競技種目の一つ、200m自由形の練習だ。そしてこの水泳は、彼女が最も苦手としている種目でもある。
それが故か、2ヵ月前、この水泳でアクシデントが起こった。
「フェンシングや射撃と同じく、水泳(競泳)も未経験だったので、焦っていたんだと思います。(近代五種を始めて)週5でメニューを組んで泳いでいたら、左肩が痛み出してしまって」
経験したことのない激痛。それまで使っていなかった筋肉を酷使したことが原因だった。
そしてこの日は、2カ月ぶりの水泳練習再開。
「今日は肩の状態を見ながら、クロールをどれくらいの強度でできるのか確認します。(2カ月前の激痛を思い出すと)怖いですけどね」
緊張の面持ちでプールに入る陣在。念入りにフォームを確認しながら、ゆっくりと水の中をいく。
「(泳いでみた感じ)8割がた回復しているかなと思います」
その顔が、少しホッとしていた。
水泳の後は、ウエイトトレーニングに移行する陣在。
実をいえば、左肩のケガは他の種目にも支障をきたしていた。右手を使うフェンシングや射撃はまだいい。だが、新採用の障害物レース[オブスタクル]は、左肩を含めた上体の動作が激しいため、満足な練習ができなかったのである。
「悪循環ではありましたけど、(痛めた)左肩に負担をかけないぶん、下半身強化ができたのはラッキーだったと思います……と、良いほうにとらえています」
強い負荷が掛かった両足の太腿が、太く大きくパンプアップしていた。
ロサンゼルスオリンピックまで3年あまり。それは長いようで、おそらくあっという間だ。
五種目すべてで、水準以上のレベルに到達するのは至難の業だが、得意不得意の差が大きければ、世界の舞台で通用などしない。
茨の道と承知しながら、今は前だけを見て進むのみ。
「まずは国内の上位で戦えるようにコンディションを持っていきたいです。その先にしかオリンピックは見えてこないので。絶対にいきたいんです」
大きな夢を実現するその日まで、陣在ほのかは心と体を燃やし続ける。
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