長崎県立壱岐高校硬式野球部「幼馴染み軍団」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

『21世紀枠……、長崎県、壱岐高校』

春のセンバツ高校野球出場決定! その一報を、マネージャーも含めた部員全員で聞いた壱岐高校野球部の面々が、雄叫びをあげる。

九州長崎の離島の高校が甲子園へ。令和の時代に起きた、まるでおとぎ話のような物語が幕を開ける。

壱岐の島の港に程近い壱岐高校は、生徒の半数近くが国公立大学へ進む進学校だ。

その中で野球部は、昨年の県大会準優勝、そして九州大会ベスト8の成績が認められ、島100年に一度の奇跡といわれる甲子園出場を決めたのである。

選手21人全員が島の育ち。私立の強豪校とは比較にすらならない環境の下で、彼らはいかに奇跡を起こしたのか?

エースピッチャーでキャプテンの浦上脩吾はいう。

「小学生のころからずっとライバルとして、チームメイトとして戦ってきたので、お互いがお互いを知り尽くしていて、何でもいい合える関係なのは強みだと思ってます」

彼らの物語を追いかけると、奇跡は単なる幸運ではないことが見えてきた。

取材初日の朝、壱岐高校には多くの報道陣が集まっている。センバツ大会の組み合わせ抽選会、当日だった。

授業中の野球部員たちからは、気が気じゃない様子がうかがえる。

ちょうど休み時間に入ったとき、壱岐高校の抽選順が回ってきた。生配信の映像を映すタブレットに、みんなが群がる。

「あ、浦上が映った」

そう、抽選に臨むのはキャプテンの浦上。攻守の要、キャッチャーの岩本篤弥が祈る。

「浦上、マジ頼む! 本当にやめろ、強いとこは!」

引き当てた相手は、兵庫の東洋大姫路高校。大会屈指の選手層を誇る、優勝候補。

全員が悲鳴にも似た声をあげる。だが意外にも次の瞬間、彼らは笑顔を浮かべた。たぶん、浦上を責める者は一人もいないだろう。野手の前田蒼太は淡々という。

「相手にのまれないよう、自分たちのプレーができれば……、(他の部員に同意を求め)な?」

目指すは21世紀枠、4年ぶりの初戦突破。強豪校が相手だろうと、やるしかない。

授業終わりのチャイムとともに、野球部員たちがダッシュで練習に向かう。

練習環境は、決して恵まれているとはいえない。グラウンドは4つの部活動で共有するため、十分な広さがとれず、雨が降れば数日間は水溜まりが残ってしまう。

そんな中でも工夫しながら集中して練習に臨み、連携のとれた堅い守備を武器に、勝利を積み重ねてきた。

チームで特に大切にしているのは、互いのプレーに遠慮なく意見をいい合うこと。

「プレーの中で『評価の声』をしっかり出そうというのは徹底しています。グラウンドのハンデ、離島のハンデもあると思うけど、小さいころからみんな一緒で、遠慮なく『評価の声』を出せるのは強みだと思うんです」

キャッチャーの岩本は、全員が島で育った幼馴染みだからこその絆をアピールする。

事実、エースでキャプテンの浦上は、何度もその絆に助けられてきたという。

「(ピンチで)マウンドに集まると、キャッチャーの岩本を中心に笑顔が出たりして、緊張も減って、肩の荷が下りるんですよ。それでしっかりもう一度スイッチが入りますね」

浦上と岩本のバッテリーは、実は中学までは別のチームで競い合い、それぞれ全国レベルの結果を残している。

壱岐の黄金世代と呼ばれ、しのぎを削ったライバル同士は高校進学を前に、どちらからともなく話し合う機会を作る。そこで2人は『島外の強豪校ではなく、一緒に地元の壱岐高校で甲子園を目指す』ことを確認し合ったという。

「自分たちの代なら、壱岐からの甲子園出場が達成できるかもしれないって思いがあって、それで岩本と他のみんなに声をかけて、壱岐高校で甲子園に行こうって」

小学生のころから顔見知り、いわば[幼馴染み軍団]が、甲子園という目標の下に一致団結することで、奇跡はもたらされたのだ。

坂本徹監督は、島の人々のサポートも奇跡への大きな力になったと確信している。

「応援していただいていることが、何よりの支えになっています。一緒に戦っているという思いがあれば、消極的なプレーは見せられないですからね」

離島という環境に少子高齢化の影響も加わり、壱岐は年々人口が減り続けている。だからこそ、希望がほしいのだ。

町を歩けば、いたる所で野球部へのメッセージが目に飛び込んでくる。

『おめでとう!』そして『ありがとう!』。ある商店の店主はいう。

「子供のスポーツって、大人を元気にしてくれるんですよね。壱岐高校は店のすぐ裏なので、声とかバッティングの音もよく聞こえてくるんです。子供たちの頑張りに、それこそ『おめでとう!』と『ありがとう!』ですよ」

だから、応援も支援も惜しむ気はない。

センバツ大会に向けて、応援団の準備を進めている島民もいた。

壱岐高校野球部OBで作った後援会が毎晩のように集まって、観戦ツアーや応援グッズを手配するなど、大忙しの日々を送っている。

「大変ですよ。大変だけど、そりゃもう最高ですよ。選手たちに感謝、それしかない」

島全体が、壱岐高校野球部が起こした奇跡に沸きあがっていた。

「壱岐高、どこと当たるんですか?(東洋大姫路と聞かされ)うわぁ」

島で飲食店を営む、竹下繁さんを店に訪ねたときの第一声だ。彼は壱岐高校の甲子園出場に、ひと際感慨深い思いを抱いている。

30年前。島にはソフトボールチームのみで、少年野球の火は燻ってさえいなかった。

「子供たちに野球をする機会を作ってやりたくてね……」

手弁当で島に少年野球連盟を立ち上げ、今も理事長として普及と繁栄に努めている。

「最初は3チーム。大会も開いて、少しずつチームも増えていきました」

もちろん、壱岐高校の選手たちは全員、竹下さんが裾野を広げた少年野球で成長し、野球を楽しむことを覚えてきた。

「甲子園って、夢でしょ? 夢は現実にできるってことを、あの子たちが教えてくれたね」

その日、一人の野球部員の自宅を訪ねた。

3年生の前田蒼太。弟の瑛太と煌太も島の野球少年だ。

家族団欒の中、母の芳美さんが兄弟の少年野球の試合結果をまとめた分厚いファイルブックを見せてくれる。作ったのは、3年前に他界した祖父の清信さんだ。

「(孫の甲子園出場の雄姿を)見せてあげたかった……」

前田は笑みを浮かべながら、昔日の祖父との記憶をたどっていた。

壱岐高校の甲子園出場は、単なる強さの証しではない。島民それぞれの心に火を灯し、動かしていたのだ。

大舞台への出発を間近に控え、チームは東洋大姫路の強力な投手陣を想定したバッティング練習に取り組んでいた。

「(東洋大姫路の投手陣は)みんな140は出てるので、(ピッチングマシンは)145㎞設定にしてます」

だが、どれだけ練習しても緊張と不安が募る。自分自身への期待はもちろん、島全体の熱い思いをヒシヒシと感じているからだ。

それでも、夕暮れの空に明るい掛け声が響き渡った。

どんなときでも仲間たちと思い切り楽しむ。それこそ、彼らが幼い頃から培ってきた壱岐の島の野球であり、勝利への生命線なのだ。

そして出発当日。選手たちは船で島を出る。港には大勢の島民が集まった。

その中には、島の少年野球連盟を立ち上げた竹下さんの姿も。

「本当にすごいな、感慨深いよね」

その目には、確かに涙が浮かぶ。

 

壱岐の島から甲子園へ。夢の舞台に挑む選手たち。船の窓から、大きく手を振る島民たちの姿を、いつまでも見つめていた。

3月20日、大会3日目第三試合。壱岐高校2―7東洋大姫路高校。

時は進んで3月の終わり。

甲子園から戻った壱岐高校野球部は、夏に向けて練習を再開していた。

島からの大応援団とともに臨んだセンバツ甲子園大会。初戦で敗れたものの、優勝候補を相手に4回までリードを奪うなど、堂々と戦い抜いた。選手たちは一様に今の思いを口にする。

「負けたのに、みんなが『よかった』って言ってくれて……。だから、夏に絶対甲子園に戻ってやろうと思って」

この日、フィジカルトレーニングに多くの時間を費やしていた選手たち。

甲子園での戦いを振り返り、全員の話し合いでこのメニューを決めたと、キャプテンの浦上はいう。

「東洋大姫路さんと対戦して、体の大きさが全然違っていて。打球の速さも違ったので、もう一回、体づくりをし直そうと話し合いました」

大舞台での経験を力に変え、島に再び歓喜を。

壱岐高校野球部。奇跡の物語は、まだ終わらない。

 

 

 

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