高原直泰・サッカー元日本代表「コーヒー豆」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
南国・沖縄で開催された、サッカーJFLの一戦。
好試合にスタンドは熱気に包まれる。それもそのはず、地元、沖縄SV(エス ファウ)の今シーズン、ホーム最終戦だ。
試合後、クラブの最高責任者がマイクの前に立つ。
『このクラブが沖縄にあるという意味を、これからもっともっと見せていきたいと思っています』
かつて日本代表チームの一員として、2006年のワールドカップにも出場したストライカー。高原直泰、45歳。
世界を沸かせたレジェンドは今から9年前、縁もゆかりもない沖縄に渡り、自らの手でクラブチームを設立した。選手、監督、経営者……。3刀流で、すべてをチームの成長に捧げてきたのだ。
そんな高原は今、クラブの選手たちと共に[沖縄コーヒープロジェクト]に取り組んでいた。日々の練習の合間にコーヒー畑で働き、試合会場では自社ブランドのコーヒーを販売している。
「もうこれを飲まなきゃ始まらないです。勝利へのゲン担ぎも兼ねて、毎回買ってます」
サポーターたちの評価も上々だ。
それにしても、なぜ農業なのか? 南国での取り組みに、高原が見据える未来があった。
沖縄市内のグラウンドで、沖縄SVの練習が行われている。そこには、昨シーズンで選手と監督を引退した高原の姿も。
「(チームスタッフに)現場はほぼ任せているんですけど、やっぱりまだ自分も体を動かしたくなっちゃって」
現役選手たちと気さくに話しながら、クラブ経営に専念する今も、チームを間近で見守っているのだ。
高原は9年前、沖縄にスポーツ産業とサッカー文化を根づかせたい内閣府の要請を受け、沖縄SVを設立した。
「(沖縄に)骨を埋める覚悟で来ました」
だが、まったくのゼロ出発。何もかもが一筋縄ではいかなかった。何しろ最初にやったことは、練習の場所探しだったほどだ。
「何も準備されていない状況で(沖縄に)来ましたからね。すべてを同時進行で進めながら、チームを作り上げていった感じですね」
そんな中、試合ではストライカーとして得点を挙げ、チームを牽引。毎日がフル稼働だった。
「選手だけの活動なら、その準備だけで済みますけど、それ以外の仕事もこなしながら、他の選手たちを納得させるプレーもしていかなくちゃいけない……。なかなか難しかったですね」
それでも高原は諦めることなく、全身全霊で上を目指した。
「スポーツを通して地域に貢献できるのは(元アスリートとして)幸せなことです。沖縄にスポーツ産業を根づかせて、盛り上げていくには、最低でもチームをJリーグに押し上げないと、その役割は担えないですから」
沖縄SVは創設7年目の2022年、異例のスピードでアマチュアのトップリーグであるJFLに昇格。Jリーグを視界に捉えている。
だが同時に、ただJリーグを目指すだけでは意味がないと、高原は考えていた。
「現実問題として選手たちの生活を支える資金力は必要ですし、沖縄の人たちにとってチームが必要不可欠な存在になっていくにはどうすればいいの? って話です」
そこで見つけた一つの答えが、農業だった。
その日、うるま市の農園に農家のおじさん、高原の姿を見る。沖縄SVを立ち上げた当初から、ここで農園事業に取り組んでいるという。
彼がチームの資金力と地域貢献のために目をつけたのは、農家の人手不足で増え続ける耕作放棄地だった。そして、このころ注目されていた日本でのコーヒー豆の栽培だった。
「耕作放棄地で、もしコーヒーがちゃんと育って収穫できるところまでいけば、沖縄がコーヒーの産地になれるじゃないですか」
沖縄は、世界的にコーヒー豆の産地が集中する[コーヒーベルト]の北限に位置しているため、大いなる可能性を秘めていることは間違いない。
「ハワイのコナコーヒーのようなものが作れたら、沖縄の魅力の一つになるんじゃないかと思うんです」
高原は沖縄SVの事業となることを目指して、選手たちと共に沖縄ブランドのコーヒー栽培に着手した。
だが、コーヒー豆は、苗を植えてから実を結ぶまで5年もの月日を要するという。時には台風による倒木や、強い日差しによる立ち枯れの被害とも闘った。
「大変なことに手を出したと、何度も思いましたよ。でも、不思議と諦めたいとは思わなかったですね。スポーツを生業としている自分たちが(コーヒー栽培に)関わることで、新たなスポーツの価値を見出せると感じていたんです」
その後も沖縄の土壌に合う品種を探して実験を重ねながら、高原たちは練習後の農作業に勤しんだ。今では大手食品メーカーの協力も得て、コーヒー栽培の事業化は着実に進んでいる。
「この農園にコーヒーの木は460本くらい植えました。順調にいけば、再来年には確実に収穫できます」
練習を終えた沖縄SVの選手たちが、農園に集まってくる。根気のいる農作業も、今や手慣れたものだ。
チームのDF、藤崎将汰はいう。
「この先Jリーグ入りが果たせれば、サッカーだけに集中できると思いますが、(コーヒー栽培は)それまでの基盤づくりというか、この沖縄SVを僕たちの手で広めていく気持ちで頑張っています。農作業も楽しくできているので、今の環境には感謝しています」
MFの高﨑康平は、沖縄に生きる者としての意義も感じている。
「チームが自分たちで育てたものを売りに出し、自分たちで利益を生んで、自分たちの本業の活動に当てていく。それが沖縄にとっても優良な産業となって、どんどん人が入ってくれば、チームにとっても沖縄にとっても大事な活動になるのかなと思っています」
プロスポーツにスポンサーの存在は必要不可欠だが、それだけに頼らない彼らのプライドが、新たな形のプロサッカーチームを育んでいくのだろう。
「はい、こちらが農園の看板です。うちのチーム(沖縄SV)のロゴと、協力してもらっている(大手食品メーカー)ネスレさんのロゴになっています」
ある日、修学旅行の高校生が農園の見学に訪れた。
サッカー界のレジェンドを目の前にして、彼らの目が輝いている。
当の高原も、高校生が興味を持ってくれたことがうれしくて、思わず熱弁を振るう。
「(自分自身は)子供のころに夢見たサッカー選手になれて、そこから今の納得がいく自分になれたことを誇りに思うのだけど、そういう生き方をするには、しっかり目標を持ってチャレンジできるかどうかなんだよね。そこが大事なんじゃないかな。まずは、自分がやりたいことを見つけてみてほしいな」
夢や目標を持って、その実現にトライすることの大切さを説く高原。
柄にもなく熱弁して照れたのか、高校生たちとの別れ際、雑談のようにつけ加えた。
「我ながら良いこと言ったなと思うけど、みんなは良いと感じたことだけ憶えておいて。なかったらさっさと忘れちゃう。俺はずっと、そうやって生きてきたから」
そんな中で目指した、選手も沖縄も幸せになるチーム作り。
Jリーグ昇格と、コーヒー豆の栽培。そのチャレンジは9年の時を懸けて、間もなく実を結ぶだろう。
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