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高橋乃綾・ソフトテニス日本代表「笑顔の意味」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

全日本ソフトテニス社会人選手権大会。女子ダブルスの一戦。

激しいラリーが続く中、彼女は確かに微笑んでいた。

 

 

「(笑顔は)無意識ですけど、勝たなきゃ勝たなきゃと思い詰めるのではなく、喜びを感じて楽しめたら、結果はついてくると思っています」

高橋乃綾。2018年のアジア大会、日本初のシングルス金メダルを獲得すると、これを皮切りに翌2019年の世界選手権ではダブルスと団体で金メダルに輝くなど、数々の国際大会を制してきた。日本ソフトテニス界が世界に誇る、絶対的女王だ。

だが、女王は年内での現役引退を決意している。最後の試合に定めているのは、日本一の称号が懸かる11月の全日本選手権皇后杯。

そして、皇后杯に向けて、弾みをつけるために出場した全日本社会人選手権。

高橋は3連覇を果たした。なぜか、いまだ日本一のタイトルを手にしたことがない彼女の、ラストマッチが近づいている。

実は、高橋は3連覇の直前、世界選手権に日本代表として臨んでいた。出場3種目で決勝進出。ところが結果は接戦の果て、全て銀メダル……。

勝って当たり前のプレッシャーが、彼女のテニスを狂わせたのだろうか?

そんな中でも高橋を9年間指導する中本裕二監督は、彼女の力を信じて疑わない。

「(高橋の)技術は世界一。精神面のバランスさえかみ合えば、誰もかなわないですよ」

最後と決めた皇后杯で、最高のパフォーマンスを! 笑顔とプレッシャーの狭間で、有終の美を狙う高橋。その戦いの日々を追った。

広島県北広島町。そこに高橋が所属する「どんぐり北広島ソフトテニスクラブ」の拠点がある。

選手は全国から集まった精鋭8名。豊平どんぐり村と名づけられた道の駅、その施設郡の中のテニスコートが練習の場だ。

 

 

地域密着型クラブを掲げるチームの中で、高橋たち選手は全員近くの寮に住み、平日はどんぐり村の施設などで働き、夕方から練習。土日は丸一日、テニスコートで過ごしているという。

岩手県出身の高橋は、2015年のクラブ創設と共に広島に移り住み、9年間、このチームで技と心を磨いてきた。

ある日の、高橋の職場をのぞいてみる。

町役場の中の[豊平地域づくりセンター]で、本の貸し出しや返却の管理、そして高橋を目当てに訪れる人たちの応対に勤しんでいた。日々、地域の人々と温かい交流を築いているのだ。

一緒に働くベテラン職員の[中みとえ]さんは、チームの熱烈な支援者の一人。高橋の存在が町の希望になっていると感じている。

「ここに世界の高橋さんが座っているのは、普通に考えたらあり得ないことだって、みんなで話してるんですよ。(高橋を始めとする、どんぐり北広島の選手たちが)町のみんなの光みたいに、特に高齢者にとっての光になるんじゃないかと思ってます」

中さんは東京で開催される皇后杯、高橋のラストマッチには、何を差し置いても駆けつけるつもりだ。

この日、夕方からの練習にお邪魔した。

11月の皇后杯に向け、高橋は細かな調整に余念がない。だが見たところ、特別な練習ではなさそうだ。

「私たちは基本練習をメインにしてます。基本の練習を、試合のイメージを持ってやるというのが、一番試合の結果につながるんです」

そして彼女は『試合を楽しめれば勝てる』と信じている。鍵となるのは、中本監督が考案した、ダブルスにおける戦術[攻撃型並行陣]だ。

試合形式の練習中、高橋は機を見るやパートナーと共に前へ出て並び、甘い球を逃さずたたいた。この攻撃的なスタイルがチームどんぐり北広島の代名詞であり、数々の勝利をもたらしてきたのだ。

ちなみにこの日は、他県の中学生たちが練習に参加していたのだが、中本監督は惜しみなくこの戦術の有効性を説き、具体的な動作を指導していた。

「これで日本のソフトテニスのレベルが上がり、裾野が広がってくれるなら、誰にでもウエルカムで教えますよ」

そして高橋こそ、この戦術の具現化によって、世界トップクラスのプレーヤーに昇り詰めたのである。

「前に出るプレーからのスマッシュやボレーは私たちの生命線です。だから前へ出ることを徹底しています」

練習が終わると、高橋たち8人は嬉々として向かう場所がある。

それは道の駅の温泉。チームへの支援の一つとして開放されているらしい。

タオルでねじり鉢巻きをした中本監督は、自慢げにいう。

「毎日練習の後で温泉に入っているのは、日本でうちのチームだけですよ」

温泉効果なのか、風呂上がりの彼女たちは元気だった。

温泉で疲れを癒やした後、高橋は車を走らせスーパーへ向かう。一週間分の食材や日用品を買い込むらしい。

付き添うのはチームの後輩でもある、妹の偲(きずな)さんだ。

2人は品を吟味しながら、またたく間にショッピングカートをいっぱいにしていた。

寮に帰ると、今夜は大騒ぎしながら姉妹で自炊。妹主導でオムライスらしきものができていく。

 

 

寮と職場とテニスコート。ソフトテニスにすべてを捧げる青春だが、高橋姉妹に悲壮感は微塵も感じない。試合同様、楽しめば勝ちなのかもしれない。

岩手県に生まれた高橋が、ソフトテニスと出会ったのは小学校2年生。小さいころから何でも一番になりたがったという彼女は、やがて大きな野望を抱く。

「日本一になりたい」

だが、高校は北海道のソフトテニス強豪校に進んだものの、全国区の選手にはなれないまま卒業を迎えてしまう。

そんなとき、今も最高の師と仰ぐ中本監督に出会った。高橋の眠れる才能を見抜き、新設する[どんぐり北広島ソフトテニスクラブ]に勧誘してくれたのだ。

「そのとき日本代表のモチベーションビデオを見せていただいて、自分も日の丸を背負いたいと強く思いました」

入団すると中本監督の指導も相まって、高橋の才能はまたたく間に花開く。そして、前述のとおり入団3年目の2018年、アジア大会の日本代表に選出された彼女は、日本初のシングルス金メダルを獲得したのである。

「私にとって(ソフトテニスは)夢中で楽しめる唯一無二のものなんです」

だが、ここ数年の高橋は、そんな純粋な思いと結果を出し続けなければいけないプレッシャーの狭間で戦ってきた。

「日本代表として簡単には負けられない思いがあるので、調子が悪くても何とか勝たなきゃいけない……、最近はそれを強く感じています」

幾度世界を制しても、いまだかなわぬ夢《日本一》の称号。ラストマッチの全日本選手権皇后杯は、競技人生最大のプレッシャーがかかるに違いない。

皇后杯を一カ月後に控えたある日、高橋は室内練習に励んでいた。ハードコートで行われる大会に向け、下が固い状況に慣れるためだ。

ダブルスの練習試合が始まった。高橋は、急成長中のチームメイトと熱戦を繰り広げる。

 

 

すると、激しいラリーの中で、無意識のあの微笑みがあふれ出す。勝負に集中し楽しんでいる、彼女特有のサインだ。

「(皇后杯は)楽しんで試合をしたいです。だから練習でも、しっかりモチベーションを上げて、最後はやり切ったと思えるようにしたいですね」

この日高橋は、終始前に出る姿勢を見せ続けていた。

[攻撃型並行陣]中本イズムが、彼女の背中を押してくれる。

「どうしてもプレッシャーはかかってくると思いますけど、その中でも、自分らしさが出れば楽しめるし、結果もついてくると信じてます」

最後は前に出た高橋が、甘い球を逃さず強烈なボレーをたたき込んだ。

ソフトテニス界のトップランナー、高橋乃綾。日本一の夢はかなうのか、彼女は微笑みをたたえ、競技人生にラストスパートをかける。

≪追記≫
2024年11月8日、東京の有明テニスの森公園にて、全日本ソフトテニス選手権皇后杯が3日間に渡って開催された。

出場全180ペア。第4シードの高橋乃綾ペア(パートナー・岩倉彩佳)は、初戦こそもたつきを見せるが、これをクリアすると[攻撃型並行陣]を武器に、危なげなく勝ち進んでいく。

大会2日目には、妹の高橋偲ペア(パートナー・畠中望来)や、チームメイトの坂本朱羽・川口みゆきペアなど、次々と上位シード陣が敗れる波乱が起こったものの、高橋はこれに動じることなく、ベスト8に駒を進める。

そして11月10日、大会最終日。準々決勝(以降は5ゲーム先取の9ゲームマッチ)に登場した高橋・岩倉ペアは相手を圧倒! 5対0のストレート勝ちを収める。

続く準決勝は、相手に2ゲームを先取されるなど苦戦を強いられるが、ゲームカウント2対3から3ゲームをたて続けに奪い、逆転で決勝進出を果たした。

悲願の日本一まで、あと一つ。

中本監督、そして広島から駆けつけた[どんぐり北広島]の支援者たちが見守る中、日本一決定戦が幕を開ける。

決勝の相手は、高橋と共に9月の世界選手権を戦った日本代表メンバー、天間麗奈17歳・宮前希帆18歳ペア。

天間・宮前ペアは、まるで世代交代を迫るがごとく高橋に襲いかかった! いきなり4ゲームを連取し、日本一に王手をかける。

後がなくなった高橋・岩倉ペア。ここで意地を見せた。第5ゲームで天間・宮前ペアを圧倒し、反撃ののろしを上げる。高橋には、あのラリー中の笑顔が蘇っていた。

だが、ここまでだった。第6ゲーム、これからのソフトテニス界を担う若い力に、絶対的女王・高橋乃綾は屈した……。

『日本一になれない、世界女王』日本ソフトテニス界の七不思議を、ついに覆すことはできなかった。

全日本選手権皇后杯を最後に、現役引退……。彼女は悔いなく、すべてをやり切ったのだろうか?

これからのことはすべて、高橋乃綾の胸の内にある。

 

 

 

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