
飯田兄弟・サーフィン「一緒に大海へ」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
早朝の千葉の海岸。
まだあどけなさの残る少年2人が、サーフボードを抱え、波がくるのを待っている。
機を見るや素早く海に入り、パドリングで漕ぎ出していった。
そして大人顔負けのライディングテクニックで、楽々波をとらえた!
彼らは兄弟。兄の飯田翔斗、12歳、弟の夕惺、10歳。共に国内外の大会で数々のタイトルを獲得し、圧倒的な強さを誇っているキッズサーファー。サーフィン界で飯田兄弟といえば、ちょっとした有名人だ。
そんな2人が目指すのは、NSSAの全米大会で優勝すること。
NSSAとはアメリカ国内最高峰のサーフィンアマチュアイベントであり、毎年7月に開催されるナショナルチャンピオンシップスは、全米各地の大会を勝ち抜いた選手が集結する。
兄の翔斗は昨年のこの大会、12歳以下の部で3位に輝いた。
そして今年の大会には、弟の夕惺が初出場。兄弟で全米チャンピオンの座を争うのだ。
海から上がった兄弟が、帰宅する前に、とあるサーフショップに立ち寄った。
ショップのオーナーは兄弟の父、飯田和史さん。現役のプロサーファーであり、息子たちのコーチも務めている。
兄弟がショップの裏に行くと、そこにはスケートボードのコースが広がっていた。
すべて母と祖父の手作りだという。そこで兄弟は、遊び感覚でスケボーを楽しみ始める。当たり前だが、なかなかの腕前だ。
父でコーチの和史さんが、サーフィンとの共通点を語る。
「ライディングやジャンプするときのフォームをスケボーで慣らしておくと、海でもそのままのスタイルが出るんです。だからスケボーで完全にできていれば、同じ感覚で波に乗っていけます」
飯田兄弟がサーフィンを始めたのは、それぞれが5歳になったころ。
兄・翔斗は父親に憧れ、弟・夕惺は兄が楽しそうにサーフィンをしている姿に憧れ、自分のサーフボードをねだったという。
以来、2つ違いの兄弟は、ライバルとして競い合ってきた。そんな中、2人が全米チャンピオンを目指すきっかけとなったのは、ある選手との出会い。
兄の翔斗が教えてくれた。
「五十嵐カノア選手が(兄弟が目指す)その大会で優勝していて、それがトップサーファーへの近道だということが分かって」
パリオリンピック日本代表で、東京オリンピック銀メダリストの五十嵐カノア。彼は、翔斗と同じ12才でNSSA全米チャンピオンに輝いていた。
五十嵐カノアの存在そのものが、飯田兄弟を世界への挑戦に駆り立てているのだ。
夕刻、自宅にお邪魔した。
夕食を待つ兄弟は、映像でイメージトレーニング。サーフィンに懸ける情熱は、誰にも負けない自負がある。
今夜のメニューは、母・香織さん特製の特大ハンバーグ。兄弟がかぶりつく。
家族全員がそろう食卓での会話は、当然のようにサーフィン一色。父・和史さんが兄弟にゲキを飛ばす。
「伊豆の大会、頑張ろうな。伊豆が終わったらすぐアメリカだから、勢いつけていこう、みんなで」
兄弟はアメリカに出発する前に、調整を兼ね国内大会に出場する。
6月14日。アメリカ出発を1週間後に控えたその日、飯田家族はキャンピングカーに荷物を詰め込んでいた。家族総出で、国内大会開催地の静岡に向かうのだ。
夜のうちに移動し、道の駅で眠るのだという。
大会当日の朝6時。寝ぐせの髪をそのままに、翔斗が姿を見せる。
「(今日の)波は良くないけど……、でも勝てる」
静岡県の白浜海岸で開催される、日本サーフィン連盟公認のAAランクの公式大会。
1試合15分のトーナメント方式。15分間に波に乗った本数全てが採点され、点数の高かった2本の合計点で競う。
飯田兄弟は共にキッズクラスにエントリー。順当に勝ち進めば、決勝で雌雄を決する。
試合前、一人海を見つめる兄の翔斗を見つけた。
刻々と変わる[波]の状況を、自分の目で見極める。彼のルーティーンだ。
そんな息子を見守る、コーチの和史さんはいう。
「本人が自分の頭で考えてできるように、自分からのアドバイスは最小限にしてます。勝因も敗因も、ひとつひとつ自分で考えることで初めて勉強になると思うんです」
その父の言葉の裏で、弟の夕惺は余裕を見せていた。
「真正面のところからしか良い波がこないから、ミスしなければいける感じ」
午前11時、競技が始まった。
初戦、波は小さいが、翔斗も夕惺も手堅くポイントを稼ぎ、危なげなく勝利する。
しかし、つづく第2ラウンド。より波が小さくなり、思うようにポイントを稼げない状況の中、夕惺がまさかの敗退。
和史さんに声をかけられても、無言でどこかに行ってしまった。
「(夕惺は)全然ダメでしたね。積極さも足りず、スイッチ(気持ち)が抜けているような状態でしたね」
一方、順当に決勝まで進んだ兄の翔斗は、ここでも高ポイントを連発し、キッズクラスでの優勝を決める! 負けた弟をおもんばかってなのか、控えめの笑顔で、周囲の祝福に応えていた。
試合後、父でコーチの和史さんは、アメリカ出発までの短い時間で兄弟が何をすべきかを整理する。
「結局2人は、まだ気持ちのムラが多いので、本来の実力が発揮できるようなメンタルを持たせつつ、一緒に研究して、基本的なフォームの調整をしていきたいと思います」
1週間後の国際線空港。
アメリカに向けて出発する飯田兄弟に、心境を尋ねる。すると翔斗、夕惺共に語ってくれたのは、ほぼ同じ内容だった。
「絶対優勝します。秘策はないです。いつもどおりのサーフィンで、攻めていきたい」
いつもどおり。和史さんとの調整がうまくいった証しなのだろうか? 冷静に、堂々と大舞台に臨もうとする2人に、期待が膨らんだ。
サーフィンの聖地、カリフォルニア州ハンティントンビーチ。
ここで全米王者の座を懸けた、NSSAチャンピオンシップスが行われる。
飯田兄弟が出場する12歳以下の部には、地方大会を勝ち抜いた28人がエントリー。つまり、選ばれし者たちの決戦の舞台なのである。
翔斗、夕惺、飯田兄弟の挑戦が始まった。
静岡の大会から一週間。明らかに技の完成度が上がっている。
そして2人は共に勝ち進む。並みいる強敵を抑え、なんと兄弟そろって決勝進出を果たした!
迎えた決勝戦、互いに認め合う兄と弟が対峙する。頂点に立つのは一人だけ。
的確に波を捉える翔斗。夕惺も負けずに波に乗る。切磋琢磨しながら磨いてきた、完成度の高い技の応酬。
決着のとき。悲願の全米チャンピオンをつかんだのは、兄、翔斗。
アメリカ最高峰の大会での、1、2フィニッシュ。飯田兄弟の名は、世界にとどろいた。
歓喜の日から5日後。いつもの千葉の海岸に、飯田兄弟の姿を見る。
弟、夕惺は晴れやかな顔で、次なる夢を教えてくれた。
「全日本サーフィン選手権もあるし、他の大会も全部優勝して、日本ランキング1位になりたい。アメリカでは準優勝だったけど、次は絶対優勝します!」
そして、兄、翔斗は……。
「アメリカやオーストラリアのレベルの高い国に行って、たくさんの選手を倒して、2人でオリンピックに出たいと思います」
海の遠く向こうを見つめる飯田兄弟。そこにオリンピックの大舞台が見えているのだろうか?
2人は力強いパドリングで、海原へと漕ぎ出していった。
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