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ハンドボール日本代表候補・部井久アダム勇樹「今、すべきこと」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

東京・有明の[BUDDYスポーツアリーナ]。

練習中の、ハンドボール日本リーグのトップチーム[ジークスター東京]。

身長190㎝を越える大男が豊かな跳躍で高さを増し、鋭角な弾丸シュートをゴールにたたきこむ! 世界トップクラスのそれは、時速130㎞に達するという。

チームのエースであり、日本のエースでもある部井久アダム勇樹(ベイグ アダム ユウキ)、25歳。

 

 

 

2021年東京オリンピックに初出場したベイグだが、日本は予選ラウンド1勝4敗。最終成績は12チーム中11位。惨敗だった。

「東京での悔しい思いは、オリンピックでしか晴らせないと思っています。今、そのチャンスが目の前にきているんです」

ベイグは2023年10月のアジア予選で代表チームを牽引し、パリオリンピックへの出場権を獲得した。自力での出場は、1988年ソウルオリンピック以来、36年ぶり。待望の瞬間に、日本ハンドボール界は沸き上がった。

雪辱に燃えるときのはずだが、彼の表情はどことなくさえない。

今年2月、代表チームに激震が走った。

長く日本代表を率いた、ダグル シグルドソンが、突然、監督辞任を発表したのだ。新監督が招聘されるも、チームへの合流はなんとオリンピック直前の6月から。

この影響で、代表メンバーはいまだ決まっていない。日本のエースが宙ぶらりの状態を余儀なくされているのだ。

「(直前で)監督が代わるのは不安だけど、やれることをやるしかないですよね」

揺れるハンドボール男子日本代表チーム。その渦中でベイグは何とか平静を保ち、自分自身の準備を進めている。すべては、パリでのリベンジのために。

精神的にきつい状況下にあるベイグだが、所属の[ジークスター東京]の存在は心強い。チームには現代表候補を含め、豪華な顔ぶれがそろう。

東京オリンピックでキャプテンを務めた、TikToker・レミたんこと土井レミイ杏利。代表常連の司令塔、東江雄斗(アガリエ ユウト)。さらに長年、日本代表で活躍している元木博紀(モトキ ヒロキ)。

日本代表チームに勝るとも劣らない環境。ベイグはここで、存分に己を磨くことができるのだ。

そんな[ジークスター東京]で、彼はエースポジションのレフトバックを任されている。ゲーム形式の練習で、ベイグの動きを追うと……。攻撃時には左サイド後方でパスを受け、相手のゴール前に切り込んでシュートを放つ。

攻守が切り替われば真っ先に自陣に戻り、ゴール前の3枚目と呼ばれる位置で相手を封じ込める。レフトバックはまさに攻守の要となる、タフなポジションなのだ。

ベイグが代表に選出されれば、このレフトバックで世界レベルの弾丸シュートを期待されるはずだが……。

ある夜、ベイグは土井レミイを始めとする新旧日本代表の先輩たちと、焼き肉屋で夕食のテーブルを囲む。この中では最年少のベイグ。『ちょっと可愛い』などとイジられつつも、プレーヤーとしては高く評価される。

 

 

 

 

「若いけど、自分がエースだと自覚しているし、コートではすごく頼りになる」

部井久アダム勇樹は、パキスタン人の父と日本人の母のもと、福岡に生まれた。スポーツ万能だった少年は中学生の時にハンドボールと出会い、18歳で日本代表に初選出。高校生での抜擢は、日本ハンドボール史上初の快挙だった。

その後、中央大学入学と同時にフランスのプロチームと契約。Bチームで4部リーグに出場し、早くから世界での経験を積んでいく。

そして、大学在学中に東京オリンピックに出場。結果は承知のとおり惨敗……。その舞台で共に戦い、屈辱の敗北を共有する土井レミイはいう。

「(東京)オリンピックまでは、みんなについていくという感じだったけど、今は引っ張っていけるくらいの実力と責任を持っている。すごく成長していると思う」

先輩たちが口々に語るベイグ評に、彼は気恥ずかしそうにしながらも、決意を新たにする。

「(代表メンバーは)まだ決まってないけど、そのつもりで先輩たちと頑張ります」

地力出場を勝ち取ったパリオリンピックは、すぐそこに迫っている。パリでの雪辱を胸に、宙ぶらりの今を耐えていた。

余談だが、この後ベイグは土井レミイから、自分の分しか肉を焼かないことを注意されていた。もちろん、冗談半分だ。

4月中旬のその日、佳境の国内リーグ戦で、ジークスター東京は富山ドリームスをホームに迎えた。

トップチームを相手に、リスク承知で総攻撃を仕掛ける富山。それを尻目に、得点を重ねるジークスター。

そんな中、ベイグも次々とシュートを放つが……。昨シーズン、1試合平均5得点を挙げたエースから、なかなかゴールが生まれない。

「(国内外問わず)相手は、僕の強みを消すようにディフェンスしてくるので、二の手、 三の手がないときつい。シュート以外の自分の武器がないと、世界トップの相手には差を感じてしまいます」

するとベイグは封じられたシュートには固執せず、代わりに声を張り上げ、ディフェンスのリーダーシップをとった。

相手のコンタクトを顎に受け、顔をしかめる場面も。それでも体を張ることを厭わず、ゴール前に立ちはだかり、次々と相手オフェンスを封じ込めていく。

 

 

 

 

パリでの雪辱のために。レフトバックのもう一つの大事な役割であり、自分のもう一つの武器をベイグはまっとうし、この試合に大勝した。

「僕のサイズでいろいろできる選手は少ないんです。日本では190オーバーでレフトバックやって、3枚目もできる選手は僕くらいだと思います。だからそこは自分の強みにして、もっと精度を上げて成長したいんです。 代表チームの助けになりたい」

後日、練習中のジークスターに再び彼を訪ねた。練習の合間、貪欲に進化を求めるベイグが、先輩たちと積極的にコミュニケーションを取る姿が目立った。その一人、ベテランの信太弘樹が教えてくれた。

「このところ、自分の(シュートを)打ちたい間合いで、打てていない試合が多かったので、相手との間合いをアドバイスしました」

彼の代名詞である、世界トップレベルの強烈なシュートに磨きをかけることは、確かに重要だ。だが、それだけではまたオリンピックの壁に跳ね返されてしまうだろう。

だからこの日も、ディフェンスの調整は怠らない。

そんな献身的なプレースタイルを確立させていくベイグについて、ジークスター東京・佐藤智仁監督は、その姿勢を高く評価する。

「迫力のあるロングシュートや、シュートのスピードに目が行きがちですが、彼の本当の良いところは、オフェンス、ディフェンスの両方でハードワークをしてくれるところです」

以前のベイグは、がむしゃらに動いて、相手に接触することでディフェンスをしていたという。

「今は駆け引きも上手になってきているので、日本代表に入ってもディフェンスの技術はトップクラスだと思いますよ」

練習後、したたる汗を拭うベイグに、最後の話を聞く。

 

 

 

いまだ発表されない、日本代表メンバー。世界に後れを取っていることは明白だ。それでも、彼の士気は下がっていなかった。

「36年ぶりに(オリンピックへの)自力出場を決めたということで、周りからの期待を感じています。いろいろな場所で『がんばってください』と声をかけていただくし、注目度も少しずつ上ってきていると思うので」

実のところ彼の心は、希望と期待の裏で、まだ不安も交錯している。

代表チームと自分のパフォーマンスは、果たしてパリの舞台に間に合うのだろうか?

それでも、今はすべきこと、求められることを、粛々と自分に課している。

「(パリで)結果を出すことで、日本のハンドボールの未来が変わると思うんです。最低限、ベスト8以上が絶対クリアしたい数字です」

雪辱のパリオリンピック。

部井久アダム勇樹は、そのときがくるのを信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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