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東京五輪 柔道金メダリスト・ウルフ アロン「復活のウルフタイム」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

2021年の日本武道館。

 

東京オリンピック柔道男子100キロ級、日本のウルフ・アロンと韓国のチョ・グハムの決勝は、延長戦にもつれ込む。

 

ここにきて、ウルフの動きは衰えることを知らない。圧倒的なスタミナが故に、延長戦は〈ウルフタイム〉と呼ばれているのだ。確実に相手の心身を削っていく。

 

 

そして、狙いすました大内刈り! この瞬間、彼は世界の頂に立った。

 

あの栄光から3年、28歳のウルフは不振に喘いでいた。国際大会では表彰台はおろか、初戦敗退の屈辱も味わう。

 

これは、東京オリンピック金メダリストのウルフ・アロンが、長い不振からはい上がり、復活を遂げるまでの物語。

 

どん底からパリオリンピック代表をつかみとる、その瞬間に立ち会った。

 

 

その日、カメラが密着したのは、ウルフの数少ない休日。彼は昼食の買い出しに車を走らせていた。

 

「減量中こそ自炊は必要だと思います。何が入っているかもしっかり分かるので。体の状態を自分で良い方向に向けていくことができますから」

 

到着したのは行きつけの鮮魚店。自分の目で素材を吟味する。しかも、自分の手でさばくという。購入したのはカンパチと赤イカ、そして鰯。自宅に戻ると、すぐに手慣れた様子で魚をさばき始める。

 

 

「さばいている最中は集中できるので、一つのリラックス、精神統一みたいなところがありますね。柔道にも通ずるところがあるのかな」

 

休みの日は極力柔道を忘れるつもりだが、こうして雑念を払い、感覚を研ぎ澄ますように包丁を使っていると、やはり心は柔道に行き着いてしまうようだ。

 

そうこうするうち、見事な刺盛りが完成。この日は後輩の柔道家・宇田川力輝を招いて、2人で新鮮な刺身を堪能する。

 

「こういうひと時があるから、頑張れるような気がします」

 

 

 

さかのぼること今年1月。母校・東海大学の武道館に、ウルフが姿を見せる。

 

 

このとき柔道のパリオリンピック日本代表は、唯一、男子100キロ級だけが選考を先送りにされていた。

 

理由は、実績や本来の実力が頭抜けているはずのウルフの低迷。実に2年間にわたって、国際大会の優勝から遠ざかっているのだ。

 

「試合で結果を出せないことが一番苦しいんです。好きで柔道をやっていて、好きなことで結果を残せないのは嫌だと、改めて感じました。負け続けることによって、負けたくない気持ちが強くなったんだと思います」

 

現状、ウルフは代表候補の2番手。逆転で代表内定を勝ち獲る最低条件は、1カ月後にパリで開催されるグランドスラムでのメダル獲得。パリオリンピック出場に黄色信号が灯っていた。
 

「外国人選手と試合をして勝つことが、自分に対して課せられたところだと思っています。外国人選手が(ウルフを研究して)やってくることへの対策が、今は一番大事ですね。攻める選手が有利なルールになってきているので、自分自身がどういう攻め方、守り方をしていくか、対戦相手に合わせた対策が必要になってきます」

 

すべては柔道の未来のため。一度は辞めるつもりだった柔道を、いつの間にか愛していた。

 

だが、パリオリンピックまで3年しかない中(東京オリンピック1年延期のため)での1年間の休養は、想像していた以上に影響が大きく、復帰後、ウルフは長い不振に陥ってしまったのだ。

 

あの〈ウルフタイム〉を支える無尽蔵のスタミナも戻らず、苦しい状況が続く。それでもパリオリンピックを目指し、その心が折れることはなかった。

 

「東京で勝って以降、モチベーションが下がった時期もありましたが、2連覇を目指せるのは東京で勝った者だけなんですよね。これから先、自分がどういう柔道人生を歩んでいくかを考えたとき、目標を設定するのが凄く大事で、それがパリオリンピックでの2連覇だったんです」

 

 あるときの稽古の合間の取材中、ウルフはふと、内に秘めていた思いを明かしてくれた。

 

「柔道自体は、パリオリンピックが僕の最後の一番大きな目標。パリの次(ロサンゼルス)を目指すことはありません」

 

 ダメなら次がある、そんな甘い考えが通用しないことは分かっている。

 

 退路を断って臨むウルフは、むしろ飄々としていた。すべきことが定まっていたからだろうか? 逆に強い意志がオーラのようににじみ出て見えた。

2月。空港にウルフの姿を見る。

 

パリオリンピック代表入りかけたラストチャンス、グランドスラム・パリ大会。崖っぷちの戦いに向かう、その背中は、静かな闘志に燃えていた。

 

「やってきたこと以上のものは、試合では出ないと思っているので、秘策どうこうより自分の力を発揮して、今まで準備してきたことをぶつけるだけです」

 

後日、その大一番で6試合を勝ち抜き、復活の優勝を遂げたウルフの雄姿が新聞記事に大きく報じられた。代表内定の最低条件をクリアして見せたのである。

 

 

激戦から10日後、ウルフが所属するパーク24の目黒道場。稽古を終えた彼を取材していると、1本の電話が。

 

 

『強化委員会の方で、ウルフ選手、無事、オリンピック代表内定、決まりました』

 

電話越しに朗報が聞こえてきた。

 

「ありがとうございます。がんばります」

 

予期せず、大事な瞬間に立ち会うことができたのだ。すぐに話を聞く。

 

「やっとスタートラインに立てた実感が湧いてきました。結果を残せない時期が続いていましたが、グランドスラム・パリで勝ったことによって、自信を取り戻すことができたのは大きかったですね」

 

パリオリンピックまで、あとわずか。勝てば、日本人選手初の100キロ級連覇となる。

 

「限りある時間の中で、一日一日、自分がすべきことをしっかり見つけながら、足りないものを補い、長所を伸ばしながら、準備していきたいですね」
今回の取材を通して、ウルフが飄々と語るときは、自信の表れであることが分かってきた。そして今、彼は飄々と語る。

 

「2連覇を目指せるという立場に感謝しながら、2連覇したいと思います」

 

最後と決めたパリオリンピックに向けて、稽古場にウルフの汗が飛び散っている。

 

柔道人生の集大成に定めるのは、2つ目の金メダル。

 

その目は再び、世界の頂を見据え、〈ウルフタイム〉の幕が開く。

 

 

 

 

 

 

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