ラグビーレフリー・池田韻「オリンピックで笛を吹くのが夢」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
屈強なラガーマンたちが、楕円のボールを巡って激しい攻防を繰り広げる。その中で、ある意味異質で、それでいて毅然とした女性のジャッジの声が響き渡る。ラグビーレフリー・池田韻(ひびき)。現在、国内外を問わず経験を積む、日本ラグビーレフリー界のホープ。彼女には、レフリーとして成し遂げたい夢がある。
「オリンピックに行きたいなと思っています。正直、フィジカル的に優れているわけでもないし、英語のネイティブな国の生まれでもないし、簡単ではないんですけど、そこに向けてきちんとチャレンジしていきたいなと」
照準を合わせるのは、2028年ロサンゼルスオリンピック。そこで笛を吹くには、幾つの困難な壁を乗り越えなくてはならないのか・・・それでも池田は歩みを止めない。
池田は毎日を精力的に生きている。平日のある日、彼女の姿は東京都内のオフィスビル群の中にあった。コンサルティング会社の営業チームのサポート。それが日々の糧を得る、彼女の生業だ。レフリーとしては会社の理解と協力の下、土日を中心に活動しているという。
別の日に池田の姿を追うと、とあるスタジオでカメラの前に立っていた。日本ラグビー協会の公式YouTubeチャンネルのMCとして、女子ラグビー普及の一翼を担っているのだ。流ちょうに、そして笑顔で語りかける彼女だが、緊張を抑えるのには苦労しているらしい。それでも・・・
「私が、女子ラグビーの人口を増やしたり、そういったところに関わらせてもらえるのは、凄く光栄な事です」
そして週末は、本人も心待ちにしているレフリーとしての活動。池田は、大学対抗戦やプロリーグはもちろん、求められれば国内外を問わず、どこへでも駆けつける。オリンピックでレフリーを務めるために、今何よりも必要とされているのは、多くの経験を積むこと。いかに冷静に、ゲームを規律あるものにコントロールし、選手の素晴らしいパフォーマンスを引き出していくには、机上の論理だけでは到底追いつかない。数多くのレフェリングをこなし、実地で学んでいくことが大切なのだ。
都心から離れた、海の近くで暮らす池田を訪ねる。彼女のラクビーとの関りは、当然だが、プレーヤーとして始まった。
「分業制というか、コンタクトの所で強みを持つプレーヤーもいれば、ステップにアドバンテージを持つプレーヤーもいたりとか、それぞれの強みを生かしてボールを運んでいくところが、私はワクワクするんです」
日本海を望む福岡県福津市で生まれた池田が、初めて楕円のボールに触れたのは、小学2年生の時。ラガーマンの父の影響で、弟がラグビーを始めることになり、その付き添いのつもりが、気づいたら一緒に走り出していたという。気持ちを全面に出した、がむしゃらなプレーを持ち味に、ラクビーの名門・福岡高校では、男子と混じってぶつかり合った。
「高校生の時は、とにかくタックルが大好きで、タックルをしたくてやってました」
だが、3年生になると進路の問題にぶち当たる。当時のラグビー界では、女子が高校卒業後もプレーを続けるための選択肢は、決して多くなかったのだ。日本代表を目指すようなチームか、人数を集めるのにも苦労するチームか、二極化した女子ラグビーの中で、池田は自分のレベルに合ったチームを見つけられずにいた。選手生命を脅かすような肩のケガに見舞われたのは、そんな時だった。
「大学以降も続けるのであれば手術が必要で、どうしようかと思っていた時に、レフリーに誘ってくださる方がいて・・・」
その流れで、ある世界大会にレフリーのサポートメンバーとして参加する機会を得た。
「ラグビーって、プレーヤーだけじゃないんだなって。色んな人のおかげでラグビーの大会が出来ているのを実感して、そういう立場でラグビーに関わっていけたら幸せだなと思いました」
レフリーという仕事に活路を見出した池田は、一念発起、猛勉強の末に早稲田大学へ進学。名門ラグビー部に学生レフリーとして入部し、その基礎を学んでいく。そんな日々の中で、ラグビーのさらなる魅力にも気づいた。
「ラグビーの戦術とか、ロジックのところとかが判ってきて、プレーヤーの時とは違う面白さを、レフリーになってから知ることが出来ました」
昼時になると、池田は昼食の準備にかかる。好きなものに対して脇目も振らず、とことん突き詰めるのが、彼女の性分。オリンピックで笛を吹く、その夢のために、日々徹底して体づくりを追求しているのだが、中でも大切にしているのが毎日の食。
「そもそも揚げ物とか、甘い物は食べないんですけど・・・」
手際よく、野菜を中心とした献立を整えていく。が、その量には少々驚かされる。この日は、大量のさつまいもとほうれん草のおひたし。鶏肉とたっぷり野菜のスープ。大盛りご飯に、タンパク源の納豆と、大好きな梅干しを添えた。すべてはレフェリンクの激務に耐え得る、強い体を作るため。ちなみにプレーヤー時代に比べ、食べる量はこれでも減ったらしい。
夜の帳が降りると、池田のトレーニングのルーティーンが始まった。週3回のジム通いをしているが、それ以外は自宅でトレーニングに励む。ところが、何の変哲もない腕立て伏せで、彼女が苦悶の表情を浮かべる。高校3年生の時の肩の大ケガの影響だ。それでも、プレーヤーと同様に、ケガを言い訳にすることは出来ない。あえて自分に苦行を科し、レフリーとしての屈強な心身を作り上げていくのだ。
一日の仕上げは英語の勉強。国際舞台で笛を吹くには、必要不可欠なスキルだ。仕事との両立を図りながら、努力を惜しまない池田。そんな彼女のレフリーとしての一番の課題は、試合全体の流れを把握しながら笛を吹くこと。日本ラグビー協会レフリーマネージャーの久保修平氏は言う。
「レフリーにもルールブックがありますが、その通りにレフェリングすると、おそらく10秒から30秒に一回、頻繁に(反則の)笛を吹くことになってしまいます。それは誰も望んでいません。ゲームの中で、その線引きの所を間違えない。一貫性を持って求められるものを、的確に(笛を)吹くことを考えていけば、彼女の課題への解決に繋がっていくのではないかと思います」
2023年11月26日。池田は、関東大学対抗戦、一橋大学対上智大学の主審を任された。試合前から、選手たちと入念にコミュニケーションを図り、信頼関係を築く。長年、ライバルとして切磋琢磨してきた一橋と上智。実力も拮抗している。しかも対抗戦の最終戦ということもあり、この試合を最後と決めた選手も多い。開始早々、プレーはヒートアップしていった・・・
試合中盤、両チームの威信を賭けて争うスクラムで、ファウルが目立ち始めた。反則で、予期せずスクラムが崩されると、大きなケガに繋がる場合もある。健全なプレー進行のため、池田は選手に協力を呼び掛ける。その手腕が問われていた。
「それぞれチームにこうして欲しいということを伝えて、出来る限り安全に反則が起きないように話しました」
この試合に必要だったのは、フェアで安全なスクラム。彼女はスクラムの場面に遭遇するたび、選手たちとコミュニケーションを図っていた。
池田の的確なレフェリングが功を奏し、徐々に両チームのスクラムが安定してきた。彼女の毅然とした姿勢が、選手本来の力を引き出しているのだ。試合は最終戦にふさわしい、最後まで白熱した好ゲームとなった。勝利を収めた一橋大学主将の村山直人は言う。
「池田さんは丁寧に話を聞いてくれて、試合の流れとして非常にやりやすかったです」
それを聞いた池田は、軽く笑みを浮かべながら首を振る。
「私がと言うよりは、両チームの選手たちがこの試合に懸けてきていて、彼らのやって来たことが出て、良い試合になったかと思います」
オリンピックで笛を吹く夢を追いかけ、妥協無く自分の課題と向き合う池田。そんな彼女に期待を寄せる声は、日に日に大きくなっている。前述の、日本ラグビー協会レフリーマネージャーの久保修平氏もその一人だ。
「今一番伸びてきているレフリーの一人です。アジアのレフリーの中でも認知されてきていて、愛されている存在だと思います」
照準を合わせるロサンゼルスオリンピックまで、5年を切った。選ばれし一人になるために、まだまだ積み上げていくべきことは多い。最後まであきらめないラガーマンの精神を以って・・・池田韻は、夢の舞台への道程を、今日も全力で駆けていく。
TEXT/小此木聡(放送作家)
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