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プロスノーボーダー・岩渕麗楽「頂点がいいんです」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

平昌、北京、オリンピック2大会連続スノーボード・ビッグエア競技4位入賞を果たした、プロスノーボーダー・岩渕麗楽、21歳。2023年6月、彼女は引っ越しの準備に忙殺されていた。

 

「引っ越しの理由は・・・8月末からのシーズンインに向けて、6月から練習頻度が高くなるんです。練習場所の近くに引っ越した方が、良い状態で練習ができるので」

 

この日の内に、岩淵は長らく暮らした部屋を跡にした。

 

2022年北京(冬季)オリンピック。スノーボード・ビッグエア競技。キッカー(ジャンプ台)を使って高く飛び、トリック(技)の完成度や難易度で競うビッグエアは、スノーボードの花形種目だ。その決勝3回目、最後の試技。4位に付けていた当時20歳の岩渕麗楽は、逆転のメダル獲得を狙って、勝負に出た。

 

ジャンプ台から、高く北京の空に舞った彼女は、女子では未だかつて成功した者がいない大技、《フロントサイドトリプルアンダーフリップ1260》を仕掛ける。岩渕は確かに空中動作に成功した!が、着地に失敗・・・順位は4位のまま、メダルを取り逃がしてしまう。

 

それでも、この勇気あるトライは、観客はもちろん、同じ舞台にいたライバルたちの心さえも震わせた。涙に暮れる岩渕を囲み、慰め、そして称賛する。金メダルを獲得したアンナ・ガッサーは、後の記者会見で明かす。

 

「自分の順位が下がっても構わない、着地してほしいと願いました」

 

だが、岩渕がメダルを逃したことは紛れもない事実。この時から、次のミラノ・コルティナオリンピックでのメダル獲得を目指した戦いは、すでに始まっていた。

 

 

新居で岩渕を出迎えたのは、二匹の愛犬、チロルとマロ。癒しのひと時を味わう彼女に、改めて引っ越しの本心を聞いてみた。これまで、拠点とする練習場には、片道1時間をかけて通っていた。それでも十分過ぎるほどの実績は上げていたはず。次のオリンピックまではまだ3年近くある。なぜこのタイミングだったのだろうか?

 

「(新居から練習場に)15分で行けるようになるので、その分練習時間に充てられるじゃないですか。正直それでも足りるかどうか・・・」

 

オリンピック2大会連続の4位。メダルに届かず流した涙・・・足りないあと一歩を埋めるため、岩渕は大きな決断を下していた。

 

「オリンピックまで3年という、今このタイミングで(フォームを)全部崩して一から作り直していくつもりです」

 

より難度の高い技を成功させるため、これまで積み上げ、固めてきたフォームを見直すというのだ。3年で間に合うだろうか?いや間に合わせなくてはならない。だから、一分一秒でも多くの時間が欲しかったのだ。すべては次のオリンピックでメダルを獲得するため。ところが岩渕の野望は、この時さらに大きくなっていた。

 

「頂点(てっぺん)がいいんです」

 

 

別の日、練習場所に岩渕を訪ねた。彼女が練習拠点とするのは、自宅から15分!の埼玉クエスト。最大20メートルを誇るジャンプ台は、オリンピックや世界大会の基準に達する高さだ。

 

プラスチックのブラシの斜面を滑り降り、キッカー(踏切り台)でジャンプ。そして摩擦防止の為、水を撒いたエアバッグに着地する。つまり、季節を選ばず、スノーボードのトレーニングに集中できるのだ。ここで岩渕は、一大決心のフォーム改造に取り組んでいた。この時は、今できる回転数をさらに増やしていくための、基礎づくりの真っ最中。

 

「男子の後追いをしているような感じで、女子の回転数もどんどん増えてきています。年々技の難易度が上がってきているのも身に染みて感じますし、その速度が速すぎるので、私も今の段階から準備していかないと」

 

一朝一夕に完成してしまうような取り組みではない。岩渕を13歳から見ている佐藤康弘コーチが、その課題を挙げる。

 

「回転を加えた後、そこから頭を動かすタイミングや、腰を捻るタイミングが遅れてしまう。ここという所でわずかにズレるだけで、着地まで持っていけなくなってしまいます。だからその癖の改善に取り組んでもらっています」

 

空中動作で、頭や腰をタイミングよく動かすことができれば、より強い回転力を得られる。だが、解っていても、そのタイミングは難しい。ほんのわずかな誤差を修正するため、一回一回のジャンプを精査しながら、膨大な試行錯誤を重ねていく。

 

 

ここで、岩渕麗楽の21年の歴史を紐解いてみよう。

 

岩手県東磐井郡で生を受けた彼女は、父親の影響で4歳からスノーボードを始めた。物怖じせず、転倒しても嬉々として練習を続けるような子だった。10歳で、有望なルーキーが集まる大会で優勝すると、若干12歳にしてプロに転向。15歳で日本選手権に勝ち、日本代表の強化指定選手になると、その勢いで、ワールドシリーズに参戦。ワールドカップ・ビッグエアで最年少優勝を飾る。

 

平昌オリンピック4位の後、前述の北京オリンピックでは、転倒の末の4位。だが、その年の内に、北京では成功できなかった大技を成功させ、8度目のワールドカップ優勝を遂げている。トップレベルの技の成功と失敗は、いつも紙一重。だからこそ、フォーム改造でその確率を1%でも上げたいと願ったのだ。

 

「ビッグエアはもちろん楽しいです。楽しいんですけど、怖さとの戦いでもあるんですよね」

 

20メートルの高さから滑り降り、着地ギリギリまで技を繰り出すビッグエア。その恐怖との戦いは、想像を絶するものがあるという。

 

「この技をやって(失敗したら)こうなっちゃうかなとか、先のことを考え過ぎて怖くなるんです。そういう大人ならではの怖さというのは16歳くらいから出てきましたね」

 

克服の方法を聞いてみると、間髪入れず岩渕は答えた。

 

「やるしかないんです」

 

佐藤コーチはそんな彼女の挑む姿勢を高く評価する。

 

「新しい技をやる時は恐怖を感じるので、そういった時に一生懸命隠そうとするんですが、それでも果敢に頑張ろうとする。ファイティングスピリットがあります。怖くてもやり切ろうとする」

 

猛暑となったこの日、フォーム改造のために岩渕が飛んだジャンプは、およそ50本にも及んだ。真夏の空に、苦闘の汗が舞う。

 

 

1ヶ月後・・・いっそうの酷暑に見舞われる埼玉クエストで、岩渕は依然特訓の日々に明け暮れている。

 

その日、岩淵は、最高難易度の3回転半の大技に挑戦していた。新シーズンを間近に控える中、彼女の仕上がりを佐藤コーチに尋ねる。

 

「1080(3回転)は安定して出来ていますが、180(半回転)プラスして1260(3回転半)を安定して回転するには、まだまだの状態です。これからのビッグエアでは、1260(3回転半)がメインになってくるのは間違いありません。開幕まで少しあるので、何とか調節したいし、できると思ってます」

 

以前までのフォームを封印し、改造の賭けに出た岩渕麗楽。現実を見れば、少し進んでは、また新たな壁が現れる。それでも彼女は後ろを振り返らない。

 

「沢山の人に応援してもらってきて、何が返せるか考えた時、メダルとして形に残るものは大きいですよね? 自分としても、それがあるかないかでは、恩返しできたかどうかの気持ちが全然違います」

 

まだフォーム改造も、大技を安定して繰り出すことも完成してはいない。だからなのか、誰かが止めなければ、彼女はいつまでも飛び続けるだろう。

 

「手応えはあるんですよ。次のオリンピックこそ、メダルをしっかり掴んでみせます」

 

まず臨むのは新シーズン。この夏の成果を見てほしいと、岩淵は笑った。

 

真の標的は3年後、ミラノ・コルティナ冬季オリンピック。悲願のメダル獲得まで、岩渕麗楽の情熱の炎は、静かに燃え続けていく。

 

 

TEXT/小此木聡(放送作家)

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