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元アメフト選手_木下典明「第二のアスリート人生」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

とあるグラウンドで、フラッグフットボールの練習が行われている。アメリカンフットボールから派生したこの競技は、2028年ロサンゼルスオリンピックでの正式採用が取り沙汰されている。5年後を目指して、大男たちが縦横無尽に駈けていく。

 

その中に、ひと際シャープな動きを見せる、40歳の中年男がいた。彼こそが、本場NFLでも実力を認められた、日本アメフト界のレジェンド・木下典明。今年2月に現役引退を表明したはずの男が、誰よりも躍動している。

 

オリンピック出場が叶うなら、その時、木下は45歳。なぜ彼は、新競技で再び戦う決意をしたのだろうか?

 

 

ここで、木下のアメリカンフットボール選手としての実績を振り返っておこう。高校アメフトの大イベント、クリスマスボウルで2度の優勝を果たすと、立命館大学時代は、大学日本一を決める甲子園ボウルを3連覇。

 

その後、プロ選手として、NFLヨーロッパのアムステルダム・アドミラルで、2年連続最優秀リターナーを獲得した。そして日本では、オービックシーガルズのオフェンスの支柱となり、Xリーグ3年連続の日本一に貢献。日本代表チームでは主将を務め、本場アメリカのNFLでもその実力は評価され『NFLに最も近い男』と称された。

 

そんな木下のフラッグフットボール参入は、ある意味劇薬となって、数多のフットボーラーに刺激を与えているのだ。

 

現在、木下は母校のアメフト部や、子供たちのスポーツ塾でコーチを務めながら、フラッグフットボール選手としての日々を送っている。この日は、月に一度行われる、フラッグフットボール日本代表候補西地区の練習日。その練習から、アメリカンフットボールとの違いが見て取れる。

 

フィールドに立つのは、1チーム5名。タックルなど、直接のボディコンタクトは無し。そのため、ヘルメットなどの装具も身につけない。1番の特徴は、腰に巻くベルトから伸びた、帯状のフラッグ。強く引くと、音と共にこのフラッグが外れる仕組みになっている。ディフェンスが、ボールを持つ選手のフラッグを獲れば、この時点でそのワンプレーが終了となるのだ。

 

「みんな、取るのが速いんですよ、フラッグ」

 

新参者の木下にとっては、すべてが勉強中である。

 

あるオフの一日。木下は、自然に囲まれた小さな畑で、鍬を振るっていた。

 

「これはさつまいもですね。こっちは今日収穫する、実えんどうです。豆ごはんとかにする、お豆さんですね。その時期に植えることが出来るものを、一斉に植えようみたいな感じでずっとやってますね、僕は」

 

アスリート人生での、リフレッシュを兼ねて始めた野菜作り。だが、没頭する理由はそれだけじゃない。

 

「子供の食事ですかね、やはり。安全で美味しいものを食べさせてやりたくて」

 

リフレッシュなぞどこへやら・・・子煩悩な木下は、オフの畑仕事にも全力投球するのだった。

 

日本のアメリカンフットボール史上、最高のワイドレシーバーとして、世界最高峰のNFLに最も近づいた男・木下典明。だが、2020年、オービックシーガルズでの試合中、彼は足に選手生命を脅かす大ケガを負ってしまう。

 

誰もが復帰は難しいと囁く中、木下はひとり諦めていなかった。それを証明するかのように、1年後にはフィールドに帰って来たのだ。そんな木下を支え続けた場所がある。

 

 

「一番上の兄貴がやっている整骨院で、いつもお世話になってます」

 

自身もアメフト選手で、かつては弟と同じチームでプレーしたこともある、長兄の善仁さん。木下の40歳からの挑戦を、どう感じているのだろうか?

 

「年齢と共に挑戦しようとする気持ちは薄れてくるものだと思うので・・・弟の何でも挑戦していく姿勢というのは、素直に尊敬出来ますね。こっちも勇気をもらってます」

 

そして弟の木下もまた、兄への感謝を忘れていない。

 

「ケガが無かったら、もっと動けたんじゃないかと思うこともあるけど、(兄のおかげで)また走れるようになったので、幸せです」

 

木下に、『心の支えは?』と尋ねると、彼は『家族です』と即答した。自宅を訪ねると、その家族、妻と3人の息子が迎えてくれた。看護師として働く妻の有香子さんは、再び走り出した夫を、献身的に支えている。

 

「(木下には)好きなことをしたら良いと思っているので、今もこれからも、好きなことをしてもらえれば。支えていける自信はあるので」

 

側で聞いていた木下は、思わず苦笑い。

 

「お世話になってます」

 

一方、3人の息子は、父の背中を見て相次いでアメリカンフットボールを始めたという。有香子さんは、そんな様子に目を細めている。

 

「(木下にとって)自分が好きなことを、子供も好きになってくれたのは、嬉しいはずです。これからもずっと好きでいてくれたら、私も嬉しいかな」

 

その息子たちは最近、フラッグフットボールにも興味を示しているらしい。木下は、零れる笑みを抑えきれない。

 

 

翌日、木下は母校・大阪産業大学付属高校に足を運ぶ。アメフト部のコーチを務めているのだ。

 

「自分の幹となっているのが、ここなんです」

 

高校アメフト界の大イベント、クリスマスボウルで2度の優勝を経験した木下。選手として大きく成長したこの時期、そこには恩師・山嵜(やまざき)隆夫監督の存在があった。

 

「2年生までは、本当に普通。というか、並以下の選手でしたね。それが3年生になって、とんでもなく伸びた。もう40年くらい監督をしてきて、こんなに急激に変わったのは、木下ひとりだけですよ」

 

そして、フラッグフットボールプレーヤーとして、新たな領域に踏み出すことにも、確信に近い期待を寄せていた。

 

「彼自身の能力からすれば、充分通用するというか、日本代表で活躍してくれると思ってますよ。あとは一生懸命やってもらって、力を発揮してほしいですね」

 

恩師が側で期待を寄せてくれているからだろうか、木下の指導にも熱が入る。部員からの信頼も絶大なようだ。何しろ木下は、レジェンド中のレジェンド。その一言一言が、部員たちの心に染みていく。中には、木下の背中を一途に追いかける者もいる。

 

「僕もフラッグフットボールをやってみたくて、(木下と)一緒に試合に出られたら嬉しいです」

 

木下は、部の指導に加え、母校のトレーニング施設を利用して、フラッグフットボール用の体づくりに暇がない。フラッグフットボールでは、肉弾戦のパワーを必要としない分、よりスピーディーな動きや、咄嗟の俊敏性が優先される。木下にとってはアメフト時代と勝手が違うこともあり、苦労が絶えないという。それでも、アメフト時代と比べると、体重が落ち、体が引き締まって来た。

 

「世間一般の40代よりは、まだまだ動けますよ。だからこそ(フラッグフットボールに)挑戦しているんですけどね」

 

過日、そんな木下について、フラッグフットボール日本代表チームの岩井歩監督は語っていた。

 

「経験そのものは、本当に群を抜いているので、今ここにいる(日本代表候補の)メンバーに限らず、日本にいる全てのフットボーラーが、彼に学びたいと思ってるはずですよ。ただ、フラッグフットボールも簡単なスポーツではなくなってきているので、彼が如何にこのチーム、この競技に、フィット出来るかというところが、ひとつ課題でしょうね」

 

 

アメリカンフットボール、レジェンドプレーヤー・木下典明。フラッグフットボールに賭ける、40歳からの第二のアスリート人生。

 

アメフトで一時代を築いた男は、この新興競技で、どんな輝きを放ってくれるのだろうか? 彼は一切の気負いなく、穏やかな笑みを浮かべながら話してくれた。

 

「(フラッグフットボールが正式競技になることを前提に)僕の中でオリンピックを目指して動いた時点で、メダルは狙うというよりも、義務だと思っています。だから確実にメダルが獲れるような選手に、自分自身が這い上がっていかなくちゃね」

 

 

TEXT/小此木聡(放送作家)

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