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生きる意欲が失せたどん底期も…C大阪・渡邉りょうが語る「波乱万丈からの快進撃」

スポーツの各分野で活躍中の選手や引退された方々が、競技を始めてから現在までの人生を折れ線グラフで表現し、その浮き沈みを時系列に沿って語っていただく企画「アスリートジャーニー」。

今回は、2023年にJ2リーグの藤枝MYFCから、J1のセレッソ大阪へ移籍した渡邉りょう選手に、編集長の竹中玲央奈がインタビューしました。J3からスタートし、J2でゴールを量産、わずか1年でJ1へのステップを果たした渡邉選手がシンデレラストーリーを振り返ります。

※本取材は渡邉選手がセレッソ大阪に移籍する直前の2023年7月末、藤枝MYFC所属時に行われたものです。

強豪とは無縁…弱小チームにいた小中高時代

渡邉 サッカーは小学1年生からやっていましたが、大きな転機となった高校3年生の頃からお話しようと思います。僕は東京の私立高輪高校のサッカー部に所属していました。戦績は高2の頃に超頑張ってベスト8に行けたくらい。小中もそれを超える成績を出したことはありません。ですから、強豪校とは無縁で、極端に言えば弱小チームで一生懸命サッカーをやっていました。

竹中 高校の頃のお話をもう少し聞きたいです。サッカー界で有名なのは東海大高輪台(東海大学付属高輪台高等学校)かなと思いますが、そこではないんですよね?

渡邉 高校の話をするとよく間違えられるので毎回説明するのですが(笑)、東海大高輪台ではありません。その数百メートル手前にある高輪高校が僕の母校です。

しかも、先述したベスト8の対戦相手が東海大高輪台でした。「強くない方の高輪」としては絶対に勝ちたかったのですが負けてしまい、悔しさは今でも残っています。

竹中 高校までは特にプロを意識していなかったと。

渡邉 中学は、小学校の時のチームメイトとサッカーを続けたくて、みんなで区立中学に進みました。高校も、純粋にサッカーを楽しみたいという気持ちで進学しましたね。クラブチームやユースは考えていなかったです。その辺に転がっている石ころみたいな、どこにでもいるサッカー少年でした。

竹中 中学だと、エリア的にFC渋谷やトリプレッタ、ちょっと範囲を広げてトッカーノなど、人気のサッカークラブがありますが。

渡邉 トリプレッタとは小学校の時からずっと試合をしていました。そこに入るのではなく、対戦したいチームでしたね。

当時のトリプレッタには、諸岡裕人選手(現・ブラウブリッツ秋田)がいたんですよ。「こんな化け物がいるんだ」と僕が衝撃を受けた、初めての選手が彼です。フィジカル、スピード、シュート全てがエグくて、彼の存在もトリプレッタを選ばなかった理由のひとつです。別格でしたね。

FC渋谷には、新井直人選手(現・サンフレッチェ広島)がいました。同い年でもあり、結構やり合っていたので、トリプレッタと同じように、FC渋谷とは「試合をしたいな」という思いが強かったので、プロを見据えた道を志す考えは全くなかったです。

世界が広がった産業能率大学への進学

竹中 話を戻しますと、高校卒業後は産業能率大学へ進学されました。この辺りは、サッカー人生の起伏で言うと右肩上がりですが、環境が大きく変わったのではないでしょうか。はっきり言えば、レベルが一気に上がりましたよね。

渡邉 世界は広いなと思いました。自分がいかに狭い世界でサッカーをしていたのかと痛感しましたね。日本代表の常連だったり、高校でずっと10番を背負っていたり、全国大会に出場していたりと、同世代はすごい選手だらけでした。

僕は、最初の1年間はBチームでしっかり頑張れたら…くらいの気持ちでいました。トップチームに上げてもらえることはありましたが、公式戦出場は1試合、しかもプレーしたのは数分間だけ。それでも高校から大学時代を上昇曲線にしたのは、高校時代と比べて一気に裾野が広がったからです。

竹中 そんなに強くない高校がベスト8まで行けたとなると、燃え尽きて大学はサッカーをしなくていいかなというパターンになりそうですが、そうでもなかったですか?

渡邉 大学でもサッカーを続けた人は数人いましたが、みんな楽しくやれればいいや、みたいな感じでした。本格的にやっていたのは僕くらいです。

そもそも広い世界を見たいと思ったのは、高校最後の選手権を不完全燃焼で終えてしまったからです。怪我のためコンディションが万全ではない状態で出場し、初戦敗退したんですね。ここで辞めるという選択肢はありませんでした。

そこで監督に相談したら、産能大を紹介していただいたんです。とはいえ、この時点で僕はまだ怪我の影響でサッカーができず、練習参加もできませんでした。

ただ、僕の1個上の浜下瑛選手(現・愛媛FC)と、サンフレッチェ広島ユースにいた越智大和選手が産能大にいたのですが、知り合いを通じて二人の自主練を見学をさせてもらう機会があったんです。

そこに産能大の監督もいらして、その時の僕の姿勢を評価してもらえたみたいで…。「うちに来てもいいよ」と言っていただけて進学が決まりました。

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