
高梨沙羅はなぜ謝罪した? 精神科医に訊く、北京五輪で失敗した選手の心の内
高梨沙羅の「ごめんなさい」は正しかった
──インスタの投稿では真っ黒の画像を使っていました。深読みすると、そこも不安を感じるところでしょうか?
木村 黒い画像については、どんな写真を載せたらいいか分からなかったのではないかと思います。ですから、深い意味はないのかなと。彼女はインスタを主に活用しているので、そこで発信しようとした際に、なにも貼らないことはできないですし、もちろん、明るい色は選べませんよね。自然と出た、どん底の気持ちの表現ではないでしょうか。
──今回の件は、本人が責任を感じ過ぎることではない?
木村 事実としては、そうだと思います。「私のせい」という言葉が何回も出てきますから、必要以上に自分に対して責任を感じているようです。
──日本のエースであり、知名度も実力もある自覚ですよね。彼女にどんな声をかけるべきでしょうか?
木村 例えばサッカーで、FWの選手がシュートを外して「自分のせいで負けた」と言うのであれば、「チームメートに改めて感謝するタイミングだと思う」といった話をします。味方のあらゆるプレーがあって初めてシュートに至るわけですからね。
でも、高梨選手の場合は違います。なぜならチームスポーツではないので。
──そうすると、声がけは難しいですよね。
木村 そうですね。今回はそれこそ、大ジャンプができなかった“せい”ではなく、規定の話です。つまり、競技の質ではない部分が理由ですから、結果が出なかった場合とは全く異なる言葉が必要だと思います。それくらい今回は、特殊な例でもあると思います。
──特殊な例と言えば、全国高校サッカー選手権で準決勝に進出した東京都代表・関東第一高校が、コロナ陽性者が出たことを理由に辞退しました。プレーが理由ではなく、コロナの影響ですが、選手はものすごく責任を感じていたようです。
木村 高梨選手の件も、高校サッカーの件も、どうしようもないことです。コロナに関しては今後も起こり得ます。陽性となってしまった選手は、絶対に悪くはありません。もちろん、夜遊びしていて感染したのであれば別ですが、誰もがかかる可能性がありますし、みんなと同じように行動していて感染してしまったなら、本当に仕方がないことです。
その一方で、「申し訳ない」「自分のせい」と思ってしまう反応もまた、仕方がない感情です。人として、「俺のせいじゃない」とはなかなか言えないですし、それを言ってしまえば、それこそ非難を浴びますからね。
高梨選手が自分のせいだと感じて謝ったのは、“正しい”ごめんなさいだったと思います。
──正しい行動だった。
木村 例えばコロナにかかった人の、「コロナになってごめんなさい」は違いますよね。コロナになってしまった結果、家族、友人、同僚、チーム、スポンサー、スタッフ、あらゆる人に迷惑をかけてしまうことに対しての「ごめんなさい」。“正しい”とお伝えした表現が適切かは分からないですが、「ごめんなさい」は言ってもおかしくはない言葉です。
それに対して、「謝らなくていい」という人たちも非常に多いですね。“世間に”ごめんなさいと言う必要はないと思いますが、今回の結果によって、夢を失ってしまった人、大きな失望を感じてしまった人、そういった実際に関わったチームメートに対する「ごめんなさい」という言葉は、純粋な高橋選手のリアクションでもあったと感じます。
本人の申し訳ない気持ちも、周囲の悔しい気持ちも、どれも本当のものであり、押し殺すべきものではありません。
──感情を殺して、表面的に接するのも違う。
木村 結果を出せなかった悔しさは、消えるものではないですからね。先ほどの高校サッカーの話で言えば、みんな悔しいわけです。「誰かのせい」ではないですし、誰も悪いわけではないけど、悔しい。そうであるならば、この先、その悔しさをどこにぶつけていこうか、高校サッカーが終わったとしてもサッカーは続けられますし、そうではないことで気持ちを晴らす方法だってあります。そこまでしっかりと話すことが大事だと思います。
ですから、高梨選手のチームメートが、メダルを取れなかった悔しさを表現することは悪くはないと思います。悔しい気持ちは間違いなくあっても、それを高梨選手のせいだとは思っていないわけですから。チームとして、例えばまた4年後、どうしたらメダルを獲得できるのか。次への目標をお互いに確認し合ったり、本人を交えて話し合ったりすることは、高梨選手が前を向くためにも大事ですし、周囲ができることだと思います。
──小林陵侑選手や他の選手が悔しいと思うことも当たり前であり、高梨選手が自分のせいだと感じてしまう反応も当たり前にあること。
木村 そうだと思います。ですから、解決には、気持ちを共有することがいいと思います。
なんのためにスポーツをやっているのか?
──今回のジャンプの団体競技のように、個人の結果によって、全員の目標が断たれてしまうのは、当事者にとっては想像がつかないほど厳しい出来事ですよね。
木村 本当にキツいと思います。みんなの思いを背負ってうまくいかず、「自分のせい」となってしまった選手は、自分一人の力で這い上がるのは相当に難しいことです。
──それこそ、「自分のせい」と思っている人に「君のせいじゃない」と言っても届かない。
木村 なので「私が出してしまった結果は事実としてあるから」となってしまう。
這い上がるには周囲の力が必要ですし、メンタルが落ち着いてきたら、今度は「なんのためにスポーツをやっているのか」に立ち返るといいかなと思います。
その際に私は、「目的」と「目標」を分けて考えることをおすすめしています。「目標」としての五輪があり、なぜそこまでやっているのかという「目的」はどこなのか。五輪がダメだったとしても、これまでの努力が失われるわけではありません。結果ではなく、どうしてスキージャンプをしてきたのかという目的に焦点を当てて考える。
次の試合もありますし、今後も競技生活が続きます。もし今、彼女の周りにいて、励ますことができて、このまま終わってほしくないと思う人がいるならば、きちんと「悔しい」気持ちを伝えたうえで、次の目標について一緒に話をしてもらいたいなと思います。
──彼女は、「今後の私の競技に関しては考える必要がある」と発信しています。
木村 それも、彼女の心境を考えると当たり前の反応の一つだと思います。だからこそ、彼女と一緒に目標を定め、どうやって取り組んでいくかを考えていく姿勢を見せてあげる。そうした行動が、今の彼女にとっては一番響くのではないかと思います。
──こうしたケースは、言葉よりも行動で示すことが大事なのですね。
木村 言葉だけでは、なかなか難しいと思います。近しい人ほど、寄り添った行動が重要だと思います。究極的に、競技を続けるかどうかは、本人にしか決めることはできません。ですが、続けてくれたらうれしいとか、それを応援するとか、続けることで自分が受ける影響や素直な感情を伝えてあげることが大切です。
高梨選手の今回の事例については、彼女が謝った行為はとても理解できるものですけど、焦点は、謝ったことではなく、高梨選手の”未来”に向けて周りがどう振る舞うか。
もちろん、近しい人だけではなく、応援する私たちを含め、そうしたことをもっと考えないといけないと思います。
■プロフィール
木村好珠(きむら・このみ)
1990年2月28日生まれ。東邦大学医学部卒。医学生時代に準ミス日本に輝いたことをきっかけに芸能活動を行い、タレント業と平行しながら2014年に医師免許を取得した。慶応義塾大学病院にて研修後、精神神経科に進み、現在は精神科医としてクリニックで勤務をしながら、産業医としてもたくさんの企業の健康づくりに携わっている。
筋金入りのサッカーフリークで、早くからスポーツメンタルに取り組んでおり、特にアカデミー年代のメンタル育成の普及に力を入れてきた。レアル・マドリード・ファンデーション・フットボールアカデミー、北海道コンサドーレ札幌アカデミー、横浜FCアカデミーなど数々のチームでメンタルアドバイザーを務めており、子供からトップアスリートまで、幅広くメンタルサポートをすることができる新鋭のスポーツ精神科医。
Twitterアカウント
木村好珠@精神科医、産業医、スポーツメンタル
■著書紹介
スポーツ精神科医が教える 日常で活かせるスポーツメンタル
著者:木村 好珠 (精神科医・スポーツメンタルアドバイザー)
発行日:2021年7月27日
定価:1,650円(税込)
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