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フィギュアスケート振付師 宮本賢二「若き才能を花開かせる」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
高橋大輔、羽生結弦、浅田真央、そして荒川静香・・・
日本のフィギュアスケート史を飾る、錚々たる名前。
その栄光をつかみ取ったプログラムの振付を、一手に担ってきた男がいる。
『宮本賢二』 世界が認める、フィギュアスケート振付師。
彼は現在、日本全国を巡り、若いスケーターたちの振付を行っている。
付いた異名が【若き才能を花開かせる天才】
そんな宮本が、福井県敦賀市に姿を見せた。また一人、若き才能を花開かせるために。今回の振付のプランを聞くと、意外な答えが返ってきた。
「今日は、全日本ジュニアにも出場した子と会いますけど、何も決めていません。ノーアイデアです」
与えられた時間は3日間しかない。
初日—
スケートリンク、ニューサンピア敦賀にて。宮本が、16歳の有望株と顔を合わせる。岩﨑陽菜(はるな)。実は、彼女と宮本が会うのは2度目。昨年、フリープログラムの振付を手掛け、それをきっかけに、彼女は頭角を現してきたのだ。今回は2分50秒のショートプログラムの振付。寸暇を惜しむように、岩﨑とリンクに入る。その瞬間、宮本のスイッチが切り替わった。いったいどのようにして、眠っている才能を引き出すのだろうか?
宮本はまず、岩﨑のスケーティングのスピードと、カーブの技術をチェックする。選手によって傾向が違うため、それに合わせた振付を行うのだ。次いで宮本は、使用楽曲の『ラ・ラ・ランド』を聴き、まるで即興芝居のように振付のイメージを作り上げていく。その間、わずか5分。極めて独創的、誰にも真似ができない宮本劇場は、すでに幕を開けている。
「もっと柔らかく、柔らかく。ここは氷じゃなくて、柔かい地面だよ」
動きに硬さが目立つ岩﨑に、宮本はヒントを与える。すると、すぐに彼女の動きが変わった。選手自身にイメージさせることで、理解度は深くなり、身に付くスピードも上がるというのだ。
その上で、宮本は、岩﨑の腕と指の所作を重視する。
「彼女は手足が長くて、それが大きな武器になる一方で、気を抜くと動きが汚く見えてしまうんです」
指、指、指!この日、宮本は何度この言葉を口にしただろうか。
一方で、彼は自身のイメージには強い拘りを見せない。選手がやりにくそうにしているのを見れば、すぐに振付そのものを変更してしまう。
「何回もやって、出来るまで頑張っても、それが選手にとって喜びとなるのか?それとも苦痛なのか?見極めるのは凄く大事です」
だから自分が拘るのを止めた。
「これじゃなきゃいけない、じゃなくて、こういう方向もあるって考えられるようになって・・・僕自身も進化したのかなって思ってます」
岩﨑の得意な動きをふんだんに取り入れながら、振付の作業が続く。
2分50秒の内、1分の振付が出来た頃・・・曲調が変わるのをきっかけに、宮本と岩崎の初日が終了する。だが、彼は一人リンクに残り、後半の振付に思いを馳せていた・・・
天才振付師・宮本賢二は、かつてアイスダンスで全日本選手権2連覇を果たすなど、オリンピックのメダルも期待される選手だった。しかしそのオリンピック目前に、パートナーが引退。岐路に立たされる。
「本当は、もう一度オリンピックを目指したくて、新しいパートナーを探したけど、上手く行きませんでした」
そんな時、彼のスケート人生を支える父親が言った。
「『自分が一番を目指すんじゃなくて、一番を目指す誰かのために働きなさい』って言ってくれて、目が醒めました」
宮本は現役引退を決意し、振付師へと転身した。
帰宅した岩崎陽菜を訪ねてみると、彼女は明るく笑いながら、これまでの賞状などを見せてくれた。夕食の席では、姉の結香さんが、最近の妹の様子を教えてくれる。
「自分から『見て!』って踊り出して。前はそんなことなかったから、宮本先生に付くようになって、楽しくなってきたのかなと思います」
岩﨑は溢れる才能をもちながら、極度に内気な性格が災いして、演技の表現が上手くできずにいた。だが昨年、宮本がフリープログラムの振付を行ったことで、彼女は変わり始める。母の真希さんも、娘の変化を感じ取っていた。
「元々、家では明るい活発な子なんですけど、その素の部分を引き出してくれるのが、宮本先生なんです」
当の本人は、母や姉の言葉に頷きながら、ニコニコ笑っていた。楽しいらしい。
そんな家族団欒の頃、宮本は一人、ホテルの部屋で悩みを深めていた。ショートプログラム後半の振付、まだアイデアは浮かんでいない・・・
翌朝早く、宮本はヒントを求め、町に出る。今回に限らず、彼独特のスタイルだ。風景はもちろん、目に入る彫像や絵画、建造物、果てには町行く人からも、様々な気づきが得られるという。
「今日は・・・どうでしょうね?」
見かけた少女の彫像、その胸を張った美しい姿勢に見惚れていた。
振付2日目—
昨夜まで悩んでいたことが嘘のように、次々と振付のアイデアが湧き出てくる。今朝見た彫像の姿勢も、しっかり取り入れられていた。それでも、何度も立ち止まり、その都度変更が加えられていく。
「変更することに躊躇はありません。特に今回は良い方に出ているので。多分本人もスッキリしているんじゃないでしょうか?表情が違うから。本人の感覚で動きやすいと思えているから、良い動きになっています」
宮本が、何も決めず振付に臨む理由はここにある。最初から作りこんでしまうと、その世界にがんじがらめにされ、柔軟な発想は生まれて来ないのだ。この日、試行錯誤を繰り返しながらも、振付は完成間近を迎えていた。
一人になった宮本は、冷えた体のメンテナンスを兼ね、ストレッチングに余念がない。自分の体調が、選手の振付に影響するなど、あってはならない。コロナ渦になってからは、夕食も弁当を買ってホテルの部屋で済ますほど、万一の悪影響を徹底的に排除している。
宮本が侘しい一人飯の夜を過ごしている頃、岩﨑が家族の前で2日目までの振付を披露していた。そこは氷ではなく、畳の上だったが、岩﨑は楽し気に躍動する。姉の結香は、妹の動きの劇的な変化に驚いていた。
「止まることなく全身が動いていて、すごく綺麗です」
振付最終日—
細かな指先の形から、ラストポーズまで、また幾度も変更が加えられながら、岩﨑のショートプログラムが完成を見る。曲に合わせた、通しの演技が始まる。158cmの小さな細い体を、大きく、伸びやかに見せる動作。最高レベルの運動量となる演技だが、一瞬たりとも止まることはない。宮本は、彼女の演技に目を細めながらも、驚きを隠せない。
「作りたての振付で、ここまで出来る子は中々いないですよ。なんだかワクワクドキドキします。これからどれだけ良くなるんだろうと思って」
慌ただしくも濃密な3日間が終わった。
翌日—
岩﨑陽菜は、宮本との合作振付を、コーチの淀粧也香さんにお披露目する。劇的な変化と、大きな可能性に、淀コーチも太鼓判を押す。
「(岩﨑に)すごく合っていると思います。宮本先生らしさもあって、楽しみです」
一方、宮本は宿泊先のホテルのロビーで、出発を控えていた。このまま、次は福岡に旅立つのだという。若手選手を花開かせるスケジュールは、遥か先までビッシリだ。すでに世界的な名声を得ていながら、なぜここまで股旅の日々を送れるのだろうか?
「僕の振付、僕との練習をきっかけに、日本を代表するようなトップスケーターが生まれるかもしれない。そう思ったら止められませんよね」
若き才能を開花させる天才振付師、宮本賢二。
新たな出会いと可能性を信じる限り、彼の旅は終わらない。
TEXT/小此木聡(放送作家)
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